25話 答え
「リオンッ!?」
駆け寄って、彼女の体を抱き起す。
「……これは、毒か」
「ああ」とクラヴィスが呟く。
「その毒は、特別製だ。魔蝕細胞を持つ者の体の自由を即座に奪い、少しずつ、しかし確実に命を蝕んでいく。解毒する手段は、きみたちにはない」
「リオンは魔獣を引かせようとしていた。自分を見つめ直して、この戦いを終わらせようとしていたんだ!」
「ハルト。きみは何もわかっていない」
「なんだと」
「きみの知らない魔蝕細胞の真実を教えてあげよう」
「真実だって?」
動揺が走る。
ここ最近、いくら調べてもほとんど情報が出てこなかった魔蝕細胞についての新事実が、明かされようとしている。
俺は唾を飲み込み、クラヴィスの言葉を待った。
「魔女が魔蝕細胞によって生まれた存在だということはもう知っているだろう? 彼女たちは、ある日突然アルスカリに連れ去られ戦うための兵器として利用するために魔蝕細胞を埋め込まれて魔女にされた。だから魔女たちは全員、帝国に強い憎しみを抱いている」
当然の流れだ。
彼女たちは自由と尊厳を奪われたのだから。
「本当に、そんな単純な話だと思うか?」
「どういうことだ」
「きみは焔の魔女のことを、本来は心の優しい少女だと言っていたね。たびたびきみの口から話を聞いていたけれど、確かに思い出の中の彼女は残忍さとはかけ離れている印象を受けた。そんな人間が、魔女に堕ちると想うかい?」
わからない。
昔のままのリオンなら、姉を殺されて意志に反して魔女にされたとしても、無抵抗な民衆にまでは危害を加えない気がする。
いかに深く傷つき、悲しむことがあったとしても、理不尽に対して理不尽を振りまくような真似はしないのではないか。
しかし、今のリオンは記憶を失っている。
だから人格自体がガラリと変わっていても、不思議ではない。
加えて十年の年月が過ぎているのだ。
彼女はサラ姉を、唯一の心の拠り所としていた。
「魔女がみな残忍なのは、帝国への復讐心だけが原因ではない。魔蝕細胞によって内に眠る悪性や負の感情を肥大化させられているからだ」
「は……?」
「言っただろう。魔女は本来、兵器として生み出されたと。人を殺せない殺戮兵器に、存在価値はないからね。ある種の凶暴性が求められるのさ。だが、感情の完全なる制御はついぞできなかった。そのせいで、飼い犬に手を嚙まれるような事態に陥っているわけだ」
本当に、救えない話だ。
クラヴィスは、失望の目で影たちの亡骸を見つめて言った。
「魔蝕細胞の影響を心身から取り除く方法は存在しない。だから、彼女たちのなかの凶暴性が失われることは、未来永劫ありえない」
立ちくらみを起こした。
頭の整理が追いつかない。
クラヴィスの声は、非常な冷たさを孕んでいた。
彼の言葉を反芻し、朦朧とする意識のなかで必死に絞り出す。
「それでも、俺たちはわかりあえたんだ。彼女は自分の罪を自覚した。だから、これから他人に歩み寄ることだってできるはずだ」
「たとえ改心しようとも、すぐに人間へと牙を剥くだろう。いや、そもそも改心したという認識すらも誤りなのかもしれない。欺かれているだけかもしれないのだから」
経験からか、アルスカリで触れた情報からくる判断か、クラヴィスはきっぱりと切り捨てる。
「きみは、これまで自分で築いてきたすべてを裏切るのか。英雄になりたいという夢を諦めるのか」
低い声が響き渡る。
いつもの柔和な雰囲気はどこにもない。
「かつての優しかったころの幼なじみのことを想うのなら、魔女として変わり果ててしまった彼女を殺すことこそが、英雄になるという約束を守ることになるのではないか」
遠くで魔法が爆ぜる音がした。
魔女と騎士との戦いは、まだまだ終わりそうにない。
「第三区画で待たせてもらうよ。あそこなら、邪魔が入らない」
クラヴィスの声が、ぼんやりと頭に響く。
「そこできみの答えを聞かせてくれ。賢明な判断をしてくれることを願ってるよ」
やつが背を向ける。
すぐに斬りかかることもできただろう。
でも俺の体は、鉛のように重くなり動いてくれない。
解毒する手段はきみたちにはない、とクラヴィスは言った。
つまりあいつ自身は、解毒剤を持っているのではないか。
希望的な観測だ。
だがわざわざ説得の言葉を口にして、場所を指定して去っていったことを考えると、リオンを救える可能性は十分にある。
だけど仮にあいつが解毒剤を手にしていたとしても、剣を交えて勝利しなければならない。
言い換えるならば、俺がこの手でクラヴィスを殺さなければならないのだ。
「ハハッ……なんだそれ。冗談にしてはきつ過ぎるだろ」
呟きながらも、頭の中では冷静な自分が理解していた。
これは悪夢でも、悪ふざけでもないんだと。
「……まずはリオンを、寒さを凌げる場所に連れて行かないと」
いくら魔女といえども、毒が回り切る前に死んでしまう。
衰弱するリオンを抱きかかえて、足を運ぶ。
確か近くに教会があったはずだ。
あの日の夜に、リオンから真実を聞いた教会が。
目を瞑り、胸を上下させる魔女を見つめる。
あんなに強大な力を振るっていたけれど、今の彼女は脆く儚いただの少女だ。
――――ハルくんの好きな英雄の物語風に言うなら。もしもの時は、お姉ちゃんとして私がリオンを守る剣になる。だからハルくんは、リオンを守る盾になってあげて。
約束が蘇る。
俺は、サラ姉に託されたんだ。
彼女は姉としてリオンを逃がし、死してなお剣となって妹を見守り続けている。
サラ姉がいない今、俺がリオンを守るしかない。
――――いいか、ハルト。愛情は時に人を狂わせる。強すぎる想いを抱えた人間は、簡単に道を踏み外してしまえるんだ。
――――何かの引用か?
――――経験則さ。
確かにそうだ。
クラヴィスの言葉は、どうしようもなく正しかった。
俺たちは、互いに狂っていた。
ただ大衆の目線から見れば、クラヴィスの狂気だけは支持されるものなのだろう。
もう、何が正しいのかわからない。
リオンもクラヴィスも、互いに被害者であり加害者なのだ。
せめてもっと、早くに気づいていれば。
時を巻き戻せるのなら、どれほど素晴らしいだろう。
二年前のあの夜に戻ることができるのなら。
十年前のあの夜に戻ることができるのなら。
みんなが、笑うことのできる未来に変えられるのかもしれない。
だが、もしもを重ねたところで意味がない。
今さら悔いたところで、現実は待ってくれないのだから。
――――先輩、約束してください。どんなことになっても、必ず無事に帰ってきてください。私はもっと、先輩から色んなことを教えて欲しいんです。
鼓動が早くなり、呼吸が荒くなる。
俺は自分の無力さに気づかずに、不相応に約束を重ねてきた。
その結果、サラ姉やリオンを裏切ることになってしまった。
そしてまた、どちらかの約束を破ることになる。
惨めだ。
自分に嫌気がさす。
無責任で、浅はかで、愚かしくて、情けない。
――――もう一度、自分を見つめ直すことにするわ。この憎しみと罪に対して、真正面から向き合わないと。
――――それなら、俺も協力しよう。サラ姉にも頼まれたからな。お前を隣で見守ってくれって。
いくら足掻こうとも、もはや喪失は避けられない。
リオンを見捨てて、すべてを取るか。
リオンを救って、他のすべてを諦めて裏切るか。
ガラガラと音を立てて、世界が壊れていくような感覚。
腕のなかで、大切な人の命が終わりに向かっていく。
「……ハルト」
唸されながら、リオンが俺の名前を呼んだ。
思わず立ち止まる。
彼女の体は、燃え盛る炎のように熱かった。
頬に汗が滲み、荒く息を吐き出しつづけている。
――――うん。ハルトなら、絶対にすごい英雄になれるよ。
――――いつかこの物語みたいな強くてかっこいい英雄になるんだ。そうしたら、お前のことも守ってやるよ。
――――約束。期待してるね。
「約束、か……」
天を仰ぐ。
額を雪が濡らしていく。
空からは相変わらず、雪が降り続けていた。
白い息を吐きだし、前を向く。
ようやく、答えを出すことができた。
決めたよ、クラヴィス。
「俺は――――」




