23話 鳥の仮面
ぐらりと視界が揺らいだ。
光が薄らぎ現実へと戻ってきていた。
焼けるような痛みと眩暈が押し寄せてくる。
俺の体を焦がしていた、焔が静かに消えていく。
五感が鈍くなってくる。
剣を片手に崩れ落ちる俺の体を、リオンが優しく受け止めた。
細く柔らかい腕が、背中に回される。
寒風が吹き荒ぶ夜のなかで、冷たさは感じられなかった。
ドクンドクンと優しい鼓動が、微かに聞こえる。
命の温かさが伝わってくる。
なにが魔女だ。
やっぱり彼女も、ちゃんとしたひとりの人間じゃないか。
静寂が訪れた。
銀の髪が頬に触れる。
こそばゆい感覚とともに、花の香りが鼻腔を擽った。
すっかりと安心しきってしまったからか、脱力してしまう。
額にはじとりと脂汗が滲んでいた。
「たくさん傷つけてごめんなさい」
朦朧とする意識のなかで、リオンの声ははっきりと届いた。
「……いいさ。こうしてまた、分かり合えたんだから」
「でも、火傷の跡が残っちゃうかも」
手袋に包まれた指が、俺の顔を優しく撫でる。
「勲章みたいなものだと思えば、悪くない」
至近距離で見つめ合った。
燃えるような赤い瞳に、俺の琥珀色が映り込み溶け合うように揺れている。
リオンは一瞬躊躇するような顔をして、名残惜しそうに体を離す。
胸には彼女の体温が、ほのかに残留していた。
「……まずは、この混乱を終わらせましょうか」
「もう、いいのか?」
俺の問いに対し、「正直、わからない」と首を振る。
「やっぱり帝国は赦せないし、アルスカリの連中たちを殺してやりたいという想いは変わらない」
それはそうだ。
俺でさえやつらの行いは赦すことはできないし、赦すつもりもない。
当事者のリオンなら、なおのこと振り切れる感情ではないだろう。
「だけど」とリオンが付け加えた。
「帝国の人間だからって、目につく人間を手当たり次第に復讐の対象として認識するのはやめるわ。魔女は悪だと決めつけられて罵られるのは正直気分が悪いけれど、彼らには知るすべがなかったんだもの。暴力ではなく対話をする努力をしてみようと思うの」
色んな人と交流をもって、色んなことを知って、たくさんの経験を積んで、充実した人生を歩んでいく。
それが姉さんの本当の願いだから。
「だから、いったん引きましょう。他の魔女が従ってくれるかはわからないけれど、魔獣を止めるくらいならすぐにでもできるから」
「そうか」
「……もう一度、自分を見つめ直すことにするわ。この憎しみと罪に対して、真正面から向き合わないと」
「それなら、俺も協力しよう。サラ姉にも頼まれたからな。お前を隣で見守ってくれって」
幼馴染は、色素の薄い唇を弛ませる。
「約束。期待してるね」
その言い回しに、唖然とする。
だってリオンの言葉が、いつの日かの彼女のものと一言一句同じだったから。
何を言えばいいのか、わからなかった。
口を開いては閉じて、そしてまた何かを伝えようとして言葉にできずに口をつぐむ。
リオンは、そんな俺の怪しい挙動に首を傾げていて。
――――静かな殺気。
俺は無意識に剣を振るっていた。
何かが刃に触れて弾かれる。
「ずいぶんなご挨拶だな」
痛みを堪えて、柄を握る。
雪上を見れば、両断されたナイフが散らばっていた。
ギラリと光るその怪しい輝きに、騎士としての勘が告げる。
この武器には触れてはいけない。
ナイフの刃先には、おそらく毒が塗られているだろう。
辺りを見回しても誰の姿はない。
視界のなかには、黒い火の手と煙を上げて燃え続ける建物や木々があるだけで。
不気味な光景だった。
薄く殺気は感じられるのに、実体を掴めない。
その事実と勢いを増す雪の風が、状況の異様さに拍車をかける。
リオンが隣に並ぶ。
「怪我はないか」
「おかげさまで。……ねえ、ハルト。今の攻撃だけど、私だけでなくあなたも狙われていたわよ」
「ああ、そのようだな」
「……どうするの?」
「さてな。でもまずは、敵さんたちの姿を拝ませてもらおうか」
言いながら俺は剣を握り直して、強く振りかざした。
黒い風の刃が、周囲の建物を穿って破壊する。
たったの一振りで、燃える建物が低く滑らかに狩り揃えられていく。
振るっておいてなんだが、その威力に自分で驚く。
「ほんとあなたって滅茶苦茶よね」
「お前にだけは言われたくねえよ」
広がる視界のなかに、ようやく人のシルエットが確認できた。
数は十人ほどで、やつらはみな同じ服装に身を包んでいた。
目を見開いた。
俺はその姿に見覚えがあった。
「お前たちはっ!?」
リオンが声を荒げる。
俺たちを襲ったやつらの正体は、鳥の仮面の集団だった。
「……アルスカリ」
記憶の世界を回顧しながら、俺はやつらの名を呟く。
サラ姉とリオンを攫い、戦争の道具として利用するために魔女を生み出したこの一連の悲劇の元凶。
魔法の副作用やリオンの話によって存在自体は知っていたが、さっきのオルニスを除けば直接相対するのは初めてで。
きつく手を握りしめる。
はらわたが煮えくり返るような激しい怒りが、沸き上がってくる。
こいつらが、こいつらのせいでリオンがっ!
手のひらに、ぬるい血が滲んだ。
荒ぶる心を無理やりに抑えつけるために、深く深くい息を吸い込む。
「……俺は今、機嫌が悪い。だから、正直に答えろ。お前たちは誰の命令でリオンとサラ姉を攫った。なんのために、あんな惨いことをしでかしたんだ!」
リオンは戦争のための兵器として利用するためと説明していたが、もしかしたら他に理由があるかもしれない。
けっして納得することも許すこともできないだろうが、それでも聞かずにはいられなかった。
対話をするつもりはないようで、俺たちめがけてナイフを投擲してくる。
剣を振るい、やつらを睨みつける。
「ハルト・ロペス。今すぐ、魔女を殺せ」
感情を窺わせない淡々とした口調。
「無視してるんじゃねえ。質問に答えろ」
「お前が知る必要のないことだ。もう一度言う、魔女を殺せ。そいつらは、もはや使い道を失った不良品であり害獣だ。帝国に忠誠を誓う十二騎士ならば、その職責をまっとうして処分を下せ」
やつらは悪びれもせず、害獣とレッテルを貼る。
理解した。
こいつらとは、根本的に倫理感からして違っている。
「断る!」
「ならばここで魔女ともどもお前を殺す。たとえ十二騎士であろうとも、帝国に従わないのであれば生かしておく必要はない」
「よく言うぜ。最初からそのつもりだったくせによ」
影に対して、剣を構える。
こちらが一人に対して、向こうは十人近く。
やつらの力量も魔法も判明していないからこそ、まず慎重に出方を窺う。
「私も戦うわ」
「そんな疲れ切った状態で戦えるのか?」
「あなただってさっきまで燃えていたじゃない」
「どこぞの焔の魔女様のせいでな」
俺の皮肉を受けても、リオンは嘲ることも反発することもなく、ただ険しい視線で敵を見据えていた。
無理もない。
むしろ爆発することもなく、冷静にいてくれるだけでもよしとするべきだろう。
わざとらしく息を吐き出して肩を竦める。
「本音を言えば休んでいて欲しいんだが、どうせ聞いてくれねえよな」
「よく知ってるわね。さすが幼馴染といったところかしら」
「さっきまで、幼馴染扱いしたらキレてたくせに」
俺の軽口を無視して、リオンは呟く。
「もう一度言うけど、私も戦う。こいつらは姉さんの仇だから」
「そうか。それなら今度こそ、お前を守るよ」
「ほどほどに期待してるわ」
アルスカリは、一斉に武器を構えた。
「来るぞっ!」
黒のナイフが掃射される。
俺が剣を振るおうとしたその瞬間、リオンが腕を突き出して炎の壁を展開した。
十数の影が駆け抜ける。
刃と刃が交差する。
剣戟の音とともに火花が散った。
二人を跳ねのけ、一番奥の指揮官らしき仮面と相対したその時、産毛が逆立った。
こいつは、他のやつと違う。
警戒を数段高め、連撃を浴びせるがそのすべてを軽々と受け流される。
十秒、二十秒と時間が流れていく。
武器性能はこちらが上、それなのにこの力はなんだ?
得体の知れない、そこはかとないこの恐怖はなんだというんだ。
恐ろしいことに、やつはまだ魔法を使用している素振りすら見せていない。
近接戦に向かない魔法なのか、あるいは何か使えない理由があるのかはわからない。
ただ純粋な剣の腕のみで、俺の攻撃をいなしきっている。
帝都に俺が知りもしない、こんな実力者が隠れていたなんて。
「……なあ、アンタ。名前を教えてくれないか?」
「…………」
男は答えない。
それどころか、一も二もなく神速の斬撃が見舞われる。
「くっ……!」
鍔迫り合いに持ち込み、嘲るように口端を吊り上げる。
「つれないやつだな。悪趣味な仮面で顔を隠しやがって、ロクにコミュニケーションすら取れないのか」
露骨な挑発にも、一切反応を示さない。
殺気を感じた。
側面からナイフが投擲されるが、炎に呑まれて消えていく。
「いいフォローだ!」
「感想はいいから、さっさと片付けて協力しなさいっ」
横目で確認すると、リオンは複数人の敵をまとめて相手取っていた。
彼女は多方向からの攻撃を的確に捌き切り、隙を見つけては炎を放っていた。
ただそれらは、有効な一撃にはなりえない。
早々にけりをつける必要がある。
そう判断して、剣を離し勢いよく飛び退いた。
それから互いに距離を詰める。
投擲、疾走、斬撃。
繰り広げられる戦闘は、熾烈を極めていった。
腰を沈めて斬り上げる。
激しい剣戟と、飛び散る火花。
吐き出す息は空に昇り、大気中に溶けていく。
鳴り響く警鐘が体を突き動かし、紙一重で避け続ける。
――――まずい。
背筋が震えた、その瞬間。
「……うぐっ!」
銀の剣閃。
轟音とともに、重く圧し掛かる死の一撃。
冷や汗が頬を伝った。
剣を握る手に、痺れがはしる。
並みの剣なら、その刃ごと砕かれて切り伏せられていただろう。
「今のはさすがに死ぬかと思ったぞ。お前の実力、十二騎士にも相当するだろうよ」
そう言ってふと、違和感を抱いた。
やつの剣捌きに、どことなく覚えがあるような気がしたのだ。
心の底で、何かに気づいてしまった感覚があった。
かちりと、何かがハマった感覚があった。
見落としてはいけない。
気づいてはいけない。
相反する感情が、俺のなかで渦巻いていく。
この胸騒ぎは、いったい。
「……なあ、アンタ。本当に誰なんだ?」
幽鬼のように、鳥の仮面の男が揺らめく。
不吉な輝きを携えて、ゆらりゆらりと剣が躍る。
異常で不気味な、死の匂い。
濃密な香りに息を詰める。
ぞくりと首筋を刃物でなぞられたかのような、おぞましい感覚に襲われる。
仮面の男が腰く低く落として、そして――――。
銀の刃が大きく薙ぎ払われ、雪埃が跳ねた。
対して俺も深く息を吸い込み、黒の剣を旋回させる。
号哭のような衝突音。
互いにたたらを踏んでよろけるなか、俺は執念だけで二撃目を繰り出した。
「お前はいったい何者だ!」
すんでのところで、剣先から逃れられる。
――――だが、わずかに手応えがあった。
敵が体勢を立て直すその最中、俺は手のひらを向けて魔法を放った。
光の線が放たれ、心が結ばれる。
鳥の仮面が欠けていく。
急激に口のなかが乾いていく。
「うそ……だろ……?」
そこから覗く青い瞳に、俺は雷に打たれたかのような強い衝撃を受けたところで。
「お前はっ!?」
世界が塗り替えられた。




