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16話 リオンの過去

 私は、暗い檻の中で生まれた。


 生まれたといっても、言葉通りの意味ではない。

 肉体はすでに十歳相当のものだったし、気づいたら鉄格子の中で隔離されていたというだけ。

 要するに、私はあの場所にいる以前の記憶を持ち合わせていなかった。


 だから私は、ハルト・ロペスのことも知らない。

 ……いや、思い返してみれば、一度だけ姉さんの口から「ハルくん」という名前が出ていた気もするけれど。


 私たち魔女には、自由なんてものはなかった。

 決まった時間に、感情を持ち合わせているのか疑問に思えるような仮面たちに薬を飲まされ、その効能を聞かされることなく注射を刺されるだけの毎日。


「被検体十八番は、【魔蝕細胞ましょくさいぼう】に適応できない出来損ないだ」


 その言葉を、何度も何度も聞かされた。

 魔蝕細胞による副作用のせいか、筆舌に尽くしがたい痛みが体中を駆け巡ることは何度もあったし、数日ほど何も喉を通らなくなってしまうことも珍しくはなかった。


 それでも私だけ魔女の力に目覚めることができず、いっこうに地獄の日々は終わらなかった。

 食事も運動も睡眠も、さらには会話さえもが管理される生活に、最初のころは酷くストレスを感じていた。


 けれども人間とは不思議なもので、あんな地獄のような環境のなかでも、時の流れとともに感情などというものはなくなっていった。

 当時の私は、人生を諦めていた。

 出来損ないの魔女として、やがて処分されるであろうことを薄々予感しながら檻の中で身を抱えていた。


 そんな私にも、一つだけ楽しみにしていることがあった。

 それは、私に対して姉として振舞い、気にかけてくれるサラ姉さんとの会話の時間。

 話ができるタイミングは限られていたこともあって、姉さんと過ごした時は流れるように早く過ぎ去っていったのを覚えている。


「ああ、リオン! 久しぶりに話せて嬉しいわ!」


 姉さんはよく喋る人だった。

 いや、本当は口下手で、話すのが苦手なタイプだったのだろう。

 姉さんがあんなに饒舌だったのは、あの特殊な環境のストレスのせいか、あるいは私を励まそうと必死だったのかは定かではないが、機会が訪れると色々な話をしてくれた。


「今日は、英雄の物語について話すね」


 そうして姉さんは、滑らかな口調で語り出した。


 姉さんは、よく本の話を聞かせてくれた。

 童話に寓話、歴史や少し難しい哲学的な話。

 私の知らない外の世界の話は、とても興味深くてついつい聞き入ってしまった。


 ただ、昔話だけはしなかった。

 それは姉さんなりの気遣いだった。


 初めて姉さんに会ったとき、あの人は沈痛な表情を浮かべて狼狽えていた。

 怒りと悲しみの入り混じった複雑な表情で動揺するあの人の姿に、胸が詰まった。


 けれども困惑する私の様子を見て、姉さんは落ち着きを取り戻した。

 私は姉さんの気遣いに救われた。

 記憶をなくしてしまった私を焦らせることもなく、ありのままの自分を受け入れてくれる彼女の優しさが、身に染みるようだった。


「彼も、こんな物語が好きだったっけ」


 そんな姉さんが珍しく昔の思い出を零したからか、私は感傷的な気分になった。


「……私たち、ここから出られる日が来るのかな」


 優しく私の髪を梳きながら、姉さんは言った。


「きっと、来る」


 それはどこか確信を秘めた口調だった。


「リオンには、あなたのことを大切に思ってくれる英雄がいる。だからきっと、彼が助けに来てくれる」


「……無理だよ。だって私、魔女だもん」


 一瞬、髪を梳く手が止まる。

 どうして私は、魔女にされてしまったんだろう。

 それも姉さんたちと違って、ろくに魔法も使えず、記憶まで失ってしまった欠陥品の魔女に。


「ううん、それでも。それでもきっと、彼はそれくらいじゃ手を引かない」


「ずいぶん、その人のことを信頼しているのね」


「ええ、だって彼は誰よりも強くて、優しい男の子だから」


 私は姉さんの語る「彼」に、ほんの少し興味を持った。

 いつか、私たちを連れだしてくれるかもしれない。

 そんなわずかな期待を胸に抱いた。


 終わりの時は、突然やってくる。

 私はそのことを、二年前のあの夜に実感した。


 初めて見た外の景色は眩しかった。

 崩落した天井の上には、満月が輝いていた。


 泣きたくなるくらいに美しいあの日の月を、私は一生忘れないだろう。

 視線を空から地に落とし、周囲を見渡せば息を呑むような光景が広がっていた。


 両断された牢の檻。

 破壊された壁。

 吹きすさぶ寒風。


 警戒した目つきで武器を構える騎士に、仮面の男たちの死骸。

 そして、細い手に握られた漆黒に輝く剣。


 イレギュラーだらけの光景で、私は少しずつ理解する。

 この惨状は姉さんが作ったんだ。

 おそらく、廃棄処分が決定した私を助けるために。


 重りのついた足枷が両断される。

 姉さんは剣を手放すと、いつにもまして真剣な目で語りかけてきた。

 漆黒の剣が、魔素の粒となって消えていく。


「ね、姉さん……? どうしたの、そんな怖い顔をして」


「いい、リオン。あなたは何があっても絶対に逃げなさい」


 突然の姉さんの言葉に、私は戸惑った。


「姉さんは、どうするの……?」


「私は残る」


「――え?」


 姉さんを置いて逃げる? 

 私だけで、いったいどこに逃げればいいの?


 私には姉さん以外に頼れる存在がいないのに。

 魔女の私が、いったいどこに。


「嫌だっ! 姉さんといられないなら、私は!」


「お願いリオン、聞いて」


 これ以上、聞きたくない。

 聞いてしまったら、ここで本当にお別れになってしまいそうだから。

 そう思っていたはずなのに、私は抵抗する力をなくしてしまった。


 細い腕が回されて、力強く抱きしめられる。

 姉さんの腕は、小さく震えていた。


「……ねえ、さん」


「昔のことを思い出せなくてもいい。今後あなたがどんな過ちを犯したとしても、生きていてくれればそれでいい。この先、どんなことがあろうとも、私はリオンの味方だから」


 姉さんは名残惜しそうにそっと私の体から手を離すと、慈愛の眼差しで私を見つめて。


「元気でね。……リオン、愛してる」


 姉さんを起点に、魔素の渦が発生する。

 黒い魔素が満ち満ちて、周囲に濃密な死の香りが広がっていく――。


「――姉さんっ!」


 私が叫んだその瞬間、人を覆い隠すほどの複数の大剣が、姉さんとの距離を隔てた。

 隙間から姉さんは周囲に無数の剣を展開させながら、たった一人で帝国の兵たちに向かっていく。


「殺せ! あいつは魔女だっ!」


「クソ、化け物めっ! なんて力だ!」


 天からは驟雨のごとく黒い剣が降り注ぎ、衝撃が地面を揺らした。

 怒号が飛び交い、悲鳴があがる。

 蔑すむような視線が、恐怖に震える声が、姉さんに浴びせられている。


 魔女なんて消えてしまえ。

 そんな人々の願いに、悲しみと怒りがこみあげてくる。


 地獄だった。

 あれほど外に出ることを渇望していたはずなのに。

 実験場の外の世界は、ただ恐ろしく(おぞ)ましかった。


「行くよ、リオン!」 


 女が私の手を掴んだ。

 彼女の顔には見覚えがあった。

 混乱に乗じて牢から脱走してきた魔女なんだろう。


「離してっ! 私は姉さんを置いていくなんてできない!」


「サラはアンタを守るために、覚悟を決めて戦ってるんだ! 妹なら、姉の最後の願いくらい聞いてやったらどうだい!」


「最後……」


 遠目で姉さんの方を見据える。

 滲んだ視界には、血しぶきと土埃を舞いあげながら、戦場を駆ける姉さんの姿が映っていた。


「今まで、ありがとう」


 小さくなっていく姉さんの姿に、私は呟く。


 姉さんと、もっといろんな話をしたかった。

 今の自分で、思い出を語りたかった。


 昔の記憶は戻らなかったけれど、あなたは紛れもない私の家族だった。




 私たちは、ひたすら逃げ続けた。

 土地勘のない私と違って、一緒にいた魔女は帝国の地に馴染みがあるようで、私の手を引きながらも複雑な街路を駆け抜けて、効率的に城壁へと向かっていった。


 それでも、追手はやって来た。


()()()()()()()()()()()() ()()()()()()()()()()()()()()()()|」


 愕然とした。

 姉さんが、殺された。

 張り裂けるような胸の痛みが、どす黒い何かが私を蝕んでいく。


 やつらの士気が高まっていく一方で、私の心は急速に冷えていった。

 私は居ても立っても居られず、自分の体を抱きかかえてへたり込んだ。


 私の手を引いてきた魔女が、声を荒げて何かを訴えかけてきているが、頭がぼうっとしていて聞き取れない。

 それなのに、追手の声だけはクリアに聞こえてしまう。


「何が何でも、あの女の首を討ち取れ! 俺たちが家族を、帝都の平和を守るんだ!」


「――――平和、ですって?」


 こいつらは、そこまで私たちが怖いのか。

 そこまで私たちが憎いのか。


「こいつらを野放しにするな!」


「くたばれ! 薄汚い魔女め!」


 鳥の仮面の男たちが、私の前に立ち塞がった。


「……ふざけるな」


 体のなかで、何かが蠢く。


「勝手に連れてきて、勝手に憎んで、勝手に殺そうとして」


 ただ生まれて、殺されるだけの人生なんて、そんな理不尽を認めるわけにはいかない。

 それなら、どうすればいい?

 少し考えて、すぐに答えは浮かんできた。


「魔女以外のすべての人間を、消してしまえばいいんだ」


 私は新たに、生きる糧を見つけた。


「こんな国、滅んでしまえ」


「馬鹿なっ! こいつは魔蝕細胞に適合できなかった失敗作のはず――」


 言い切る前に、発火させる。

 男は絶叫しながら、黒い炎に包まれていった。


「私はこの国を許さない。私から姉さんを奪ったこの帝国を絶対に許さないっ」


 二人三人四人五人。

 私は無我夢中で、立ち塞がる敵を殺した。

 仇を燃やした。

 黒い雨が降り注ぎ、視界に入ったすべてのものを燃やしていった。

 そうするたびに、胸の奥底に沈殿したどす黒い何かが浄化されていく感覚があった。


「あああああああぁぁぁぁっ……!」


「やめろっ! やめてくれっ!」


「誰か! この火を消してくれ! どうして!? どうして消えないんだよっ!?」


 そして私はあたりを焦土に変えてから、憎悪の炎を抱えたまま、帝国から離れていった。

 私たち魔女は、魔蝕細胞なんていうふざけたものを埋め込まれ、無理やり兵器に変えられた。

 私たち魔女は、殺人のための道具として完成することを期待された。


「魔女は、人を殺すために生まれてきた」


 天を仰ぎ見て、私は呟く。

 夜空には私を嘲笑うかのように、月が輝いていた。


「ならば、私は魔女であることを受け入れましょう。そのうえで、命を奪い続ける厄災として、帝国を地獄へと変えましょう」


 見ていて、姉さん。


「私、頑張るから」

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