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6・王都追放




 サンスプライト家の人間達は、皆戸惑っていた。今日は、フレイル伯爵令嬢との顔合わせだったはずだ。家令が首を傾げて確認してみるが、スケジュールに間違いはない。だが、さもフレイル家の一員といった顔で並んでいるのは、マクガフィン王国の国王陛下、ユージーンであった。


「フレイル伯爵……あの、お尋ねしても?」


 特に派手ではないが、しっかりと格調のあるシンプルな部屋。テーブルに向かい合って座るサンスプライト侯爵が、困惑した面持ちで口を開く。疑問は当然だ。ウルフ当人も、なぜ連れてきたのかよく分からないのだから。


「まあ……あまり気にしないでくれ。悪い子じゃないんだ」


「こんにちは、僕ユージーンです、よろしくお願いします!」


 ユージーンがピカピカの笑顔を向ければ、サンスプライト侯爵は苦笑いするしか出来なくなる。子どもに何を言っても仕方ないという気持ちと、仮にも国王陛下に失礼は出来ないという打算が働く。結局ユージーンは、そのままこの場に座る事を許されてしまった。


「えー……改めまして、こちらが我が息子の、フリージオです」


 サンスプライト侯爵に紹介されて、青年が黒い頭を深々と下げる。


「フリージオ・サンスプライトと申します」


 上げた顔は、噂通り穏やかそうである。諍いを知らなそうな垂れた目、険しさのない口元、棘のない声。嫌な印象は受けないが、特に目を引くものもなさそうだった。


 向こうの紹介に倣い、こちらも挨拶しようとウルフは口を開く。だがそれは、ユージーンの大きな声にかき消されてしまった。


「フリージオ君、知ってると思うけど、彼女はジーナ・フレイル伯爵令嬢。これからよろしくね」


「え? は、はい、よろしくお願いします……」


 何故かユージーンが紹介して手を差し出し、フリージオは勢いに押されそのまま握手してしまう。気まずい握手の後、これで挨拶は済んだと言わんばかりにユージーンは手を叩いて、会話の主導権を握り始めた。


「いやー、今日はお日柄もよくてなにより。何がいいって、シュタイナーがいない日っていうのが一番いいね! 今回も、どうせ強引に決めちゃったんでしょう? サンスプライト侯爵も、ごめんね?」


「い、いえ、国王陛下が頭を下げるような事ではございません! 確かに急なお話ではありましたが、非常に良いご縁だと思っております」


「うんうん、その気持ち分かるよ。だってウルフは最高の父親だし、ジーナは女神のように優しい上に美人だからね。僕だってここのお家と縁続きになれるなら、尻尾振って頷くだろうな」


 ユージーンがジーナを気に入っている事は、貴族の誰しもが知る事実だ。目をかけていた女を横取りされて嫌味を言っているのだろうかと、サンスプライト侯爵は凍りつく。しかしユージーンがあまりに笑顔なものだから、ただの天然なのかもしれないとも思える。真意が分からない以上、下手に口を出せなかった。


「ユージーン、せっかくの縁だし、俺だって話したいんだけどな」


 ウルフが助け舟を出せば、明らかに向こうの家の者がホッとした表情を浮かべる。一方ユージーンは頬を膨らませるが、行儀良く座り直しはした。


「えーと、サンスプライト侯爵令息……長いな、フリージオと呼んでも構わないか?」


「はい、もちろん構いません」


「フリージオ。俺はこういう場は慣れてないから、粗相をしたら許してほしい。まず一つ聞きたいんだが、薔薇は好きか? ジーナは薔薇が好きでな、庭にもたくさん植えているんだ」


「薔薇ですか。家の庭園にも赤い薔薇を植えています。よろしければ、後ほどご覧ください」


 だがここで、黙ったはずのユージーンがポツリと呟く。


「ジーナが好きなのは、黄色い薔薇だけどね」


 フリージオの垂れ目が、困ってさらに下がってしまう。それでも笑みを崩さずにいるのは、貴族だからか、ただ臆病なだけか。


「すみません、黄色い薔薇は植わっていないのですが……フレイル伯爵令嬢は、黄色がお好きなのですか?」


「ううん、ジーナの好きな色は淡いピンクだよ。だからドレスはピンクが多いよね?」


「そ、そうですか……」


「でも、これからは落ち着いた色合いのドレスも増やしたいと思ってるかな? ピンクは、どうしても幼さが出ちゃうからね。ジーナ、今度ドレスを贈るよ。ジーナが二番目に好きな、深い緑で仕立てて」


 ぐいぐいと迫るユージーンに、フリージオはとうとう黙ってしまう。その後も何か話題を出しても、すぐにユージーンが会話を乗っ取ってしまい、ジーナが口を開く隙もなかった。


 そんな時間が10分も続けば、会話を試みようと頑張っていたサンスプライト侯爵家の人間も、黙ってしまう。沈黙が場を支配したのを見て、ユージーンは手を叩いた。


「もう、話す事はなくなっちゃったかな? じゃ、今日はお開きって事で」


 ユージーンが立ち上がると、ウルフも追いかけて席を立つ。だがそのままユージーンの肩を掴むと、怒りの面持ちで目を細めた。


「ユージーン。今日は何の日だ? お前がおしゃべりするための日じゃないんだぞ。いくらなんでも、やりすぎだ」


「えーと……ウルフ、怒ってる?」


「そうだな、家に帰ったら、久々にみっちりお説教だ」


 お説教という単語を聞いて、ユージーンは顔色を変える。ウルフのお説教には、必ず鍛錬が付いてくる。健全な精神は健全な肉体に宿る、という言葉を体現するためだ。ユージーンは試しに後ろへ引こうとするが、がっちりと掴まれていてビクともしない。


「サンスプライト侯爵、ユージーンが大変失礼をして申し訳なかった。顔合わせは、日を改めて我が家で執り行ないたいのだが、構わないだろうか?」


 爵位だけで見ればサンスプライト侯爵家の方が上だが、実際の権力はウルフの方が上だ。失礼といっても、相手は国王陛下。サンスプライト侯爵家から、申し出を断る度胸などなかった。


 こうして何も進展しないまま、初めての顔合わせは終わった。一体あの時間は何だったのだろうと、ジーナはその晩思い悩む。が、次の日になって、そんな悩みはすぐに吹っ飛んだ。


 シュタイナー侯爵主導による、王太后ユリカの王都追放。


 衝撃的なニュースは国中を騒がせ、様々な憶測を呼ぶ。何も聞かされていなかったウルフは、事態の把握のため王城に詰めたまま帰らない。見合いなどと、呑気な話をしている暇はなくなってしまった。








 『シルフィードの乱』で王族の血が次々失われていく中、皮肉にも、生き残ったのは王籍に入ったばかりのユリカと、その子ユージーンだけだった。希代の悪女と呼ばれてはいるが、ユリカが王太后の地位を得る立場である事に違いはない。王の子であるユージーンを産んだのは、間違いなくユリカなのだから。皆はユリカの政治介入を危ぶんだが、幸いユリカは政治に興味がなかった。ある程度好きに使える予算さえ与えておけば、勝手に贅沢して満足する。ここで、もしユリカが政治介入していたら、今のマクガフィン王国は存在しなかっただろう。


 迷惑極まりない存在だが、ユージーンの手前殺してしまう訳にもいかない。ユリカも、自分の地位がユージーンあってのものだとは理解していた。ユージーンは自分が育てるなどと我儘を言っては、乳母からユージーンを取り上げては猫可愛がりしていた。肝心な教育に関しては、全て丸投げではあったが。その甲斐あってか、ユージーンとユリカの関係は良好であると思われていた。


 病巣は、いずれ排除しなければならない。それが残された貴族の総意ではあったが、今回の追放は、時期尚早な上に独断が過ぎた。ユージーンはシュタイナー侯爵に大層腹を立て、謹慎を言いつけた。そして同時に、ユリカの捜索を命じているらしい。


 何処かから飛んできた新聞を読みながら、糸目の少年は廃工場の不良達に声を掛ける。


「なぁ、王太后を見つけた奴は報奨金が出るってさ。金が欲しい奴はチャンスだぜ?」


「あんな悪女、たとえ金がもらえたって探す奴なんかいるかよ」


「探して殺せってなら、喜んでやってやるけどな」


 街の不良ですら、乱の原因であるユリカに好意は持っていない。そんな悪女に固執する国王陛下を、愚かだとせせら笑った。ただ一人、フィリックスを除いて。


「なぁ兄弟。やっぱりこれってシュタイナーの暴走じゃねーの? いや、むしろ珍しく善行じゃねぇ?」


「……いや、絶対違う。何か意味があるはずだ」


「何の?」


 フィリックスは答えない。何の意図があるのか、見えないからだ。


「けど、今までこんな事は一度もなかった。変化が起きるとしたら、それはユージーンの行動から始まるものだ」


「まぁ、金食い虫の悪女を追放すりゃ、国の財政も少し楽になるだろう。そういった意味なら充分に……ん? だとすれば、追放は国王陛下の意思って事か? だとしたら、なんでシュタイナーを謹慎させてまで、母親を探させるんだ?」


 糸目の少年は、しばらく腕組みして唸る。


「あ、シュタイナー排除が真の目的とか! 追放を口実にシュタイナーを謹慎させて排除して、実権を取り戻そうとしてるとか。どーよ、オレ賢くねぇ?」


「確かに、それなら筋は通るな。けど、本当に……?」


「なんだよ兄弟、なんか引っかかんのか? だって国王陛下とジーナちゃんの結婚を一番反対してんのって、結局シュタイナーだろ? 排除する理由にはなるじゃねぇか。奴を排除して実権を取り戻せば、結婚に文句を言う奴はいなくなる。まぁ、後は国王陛下がジーナちゃんの心を掴めるかどうかだけどさ」


「あいつ……ユージーンは、シュタイナーを散々悪く言うし、怖がってたけど、今まで一度も手放した事はなかった。それが突然排除するかなって」


「それだけ本気って事だろ? 大体、お前が言ったんじゃないか、国王陛下は怖いってさ。オレの予測が本当なら、確かに国王陛下は大したタマだぜ? 実の母親を餌にして、今まで忠実に仕えてきた重臣を嵌めたんだ。おっかねー王様だぜ」


「確かに、ユージーンに関しては……今までこうだったから、次もそうだとは言えないが」


 思い悩むフィリックスに、糸目の少年は溜め息を漏らす。


「いざとなったら、またロロればいいだろ。魔法がホントだってんならさ」


「魔法がユージーンに通用しないと分かった以上、今までみたいに気軽には使えない。だから、慎重に見極めないといけないんだ」


 フィリックスは、糸目の少年がさらに軽口をこぼすのを無視して思考する。フリージオとやらは、結局ユージーンに振り回されて、何の印象も残せなかったと聞いている。国王陛下に、それだけ場を滅茶苦茶にされたのだ。サンスプライト侯爵家が、国王陛下の不興を買ってまで縁談を押し進めるとは思えない。ウルフは一応場を設けようと努力をしているようだが、それに相手が乗ってくるとは考えにくかった。


 どうすれば、ジーナとウルフが心穏やかに暮らせるのか。フィリックスの願いは、ただそれだけである。不良の仮面を被りながら、潜んで思考を巡らせる。フィリックスを心配する優しい者のいないこの場は、考えるのにちょうどよかった。


「それにしても、ジーナちゃんはすごいよなぁ」


「なんだ、唐突に」


「フィリックスも国王陛下もメロメロで、宰相も溺愛してて……皆に愛されて、幸せな子だなぁって。まさか国王陛下がシュタイナーを排除してまで、ジーナちゃんへの愛を選ぶなんて、オレ思ってなかったぜ」


「天使のような子だからな」


「あーあ、オレも一度ジーナちゃんに会ってみたいぜ」


 糸目の少年がポロリと口にすれば、その途端フィリックスの目がギラリと光る。刃物のような視線に、少年は慌てて首を横に振った。


「ちが、別に狙ってるとかじゃねぇし! いや確かに、噂の美貌は気になるけどな!」


 余計な一言は、さらにフィリックスの眼光を鋭くさせる。少年はすっかり縮こまり、熊に遭った時のように後ずさって距離を取っていく。


「あーっ! オレ用事あったの思い出した! いや、ヤバい、すぐ行かないとマジ怒られんし! じゃーな、フィリックス!」


 そして棒読みで言い残すと、駆け足で廃工場を去っていく。フィリックスはその背中を見送りながら、少し脅しすぎたかと反省した。


(けど……ジーナの相手は、ただの平民じゃ駄目だ。権力争いからは遠い、けどそれなりに裕福で、悪事には手を染めてない堅実な貴族。そんな奴でないと、苦労するだけだ)


 一方、糸目の少年は廃工場を出てからは走るのを止め、口笛を吹きながら路地裏を歩いていた。


(ジーナ・フレイルか……便利な人間もいたもんだな。その女一人確保すれば、宰相も、反乱軍の旗頭も、国王陛下ですら、手中に収められるって事じゃねぇか)


 シュタイナーという、卑劣極まりないが硬い盾は、国王陛下自らが片付けてしまった。そして弱点をさらけ出したまま、ユリカ捜索のため兵を散り散りにしてしまっている。


(風が、吹いてきたな)


 糸目の少年の足取りは軽い。空もなんだか、いつもより清々しく見えた。


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