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5・愛の楔




 フィリックスが初めて人の悪意を直に受け取ったのは、幼い頃。高熱で寝込んだ日の事だった。うなされて意識の混濁するフィリックスが何も分からないと思ったのか、看病していたメイド二人が話していた事だった。


「このまま死んでくれた方が、旦那様にとっては有り難いのではないかしら」


 一人のメイドが、乾いた声で吐き捨てる。だがもう一方のメイドは、それをすぐに否定した。


「なんて事を言うの! 旦那様は、フィリックス様もジーナ様と等しく愛していらっしゃるのです。そんな事がお耳に入ったら、あなたが処分されますよ」


 反乱軍が優勢だった、先の戦い。マクガフィン王国が領土を半分残せたのは、フィリックスのおかげである。当時はまだ指揮官の一人でしかなかったシュタイナーが、フィリックス誘拐を企て、犠牲を払いながらも成功させた。『マクガフィン王家を、腐れ切った血から正当な継承者へ取り戻すべき』と掲げて戦っていた反乱軍は、大義を奪われ勢いを失ったのだ。その後、隣国、シェリズガーデン帝国へ協力を要請したが、それが反乱軍最大の過ちだった。帝国は反乱軍の領土を預かるだけ預かると、マクガフィン王国との同盟を盾にして侵略を拒否したのだ。だが、まだ帝国は反乱軍を飼い殺しにしている。マクガフィン王国が隙を見せれば、今度は反乱軍の言い分を盾にして、同盟を破棄し攻め込むつもりなのだ。


 フィリックスが生きているからこそ、旧反乱軍はマクガフィン王国に手を出せない。フィリックスを殺されてしまえば、大義を完全に失うからだ。しかしフィリックスが生きている間は、旧反乱軍が蜂起する動機を残し続ける事になる。といって殺してしまえば、今度は攻め込む口実が敵討ちに変わってしまう。


 つまり、マクガフィン王国にとって最善は『手厚く保護していたフィリックスが、不幸な事に病気で死んでしまう事』なのである。


「はあ……お可哀想な旦那様。旦那様が愛情深いのは美点ですが、それ故にこんなお荷物を押し付けられて。謀反人の子など、抱えているだけで立場が難しくなりますのに」


 このメイドは、フィリックスが回復する頃には解雇され屋敷から消えていた。おそらく、もう一人のメイドがウルフへ報告したのだろう。フィリックスに対し、そのメイド以外で悪意のある目を向ける者はいなかった。皆、回復を喜び優しく言葉を掛けてくれる。だが一人の悪意は、黒い染みとしてフィリックスの心に残り続けた。


「父上。僕は……謀反人の子なのですか?」


 ジーナはとっくに寝静まった夜中。遅くに帰ってきたウルフに、フィリックスは訊ねた。蝋燭の明かりだけがぼんやりと部屋を照らす薄暗い中、フィリックスの言葉を聞いた瞬間、ウルフが悲痛な顔をした事は、子どもでも分かった。


「フィリックス、すまない。そんな事を言う大人から守ってやれなくて、すまなかった」


 ウルフはフィリックスを抱き締める。その腕は、フィリックス以上に震えていた。


「確かに、お前の母親は反乱軍の娘だ。だが、それがなんだ? 生まれて間もない赤ん坊に、一体なんの罪があるって言うんだ。それに、お前は謀反人の子じゃない。俺の子だ」


「父上……」


「初めてお前を見た時、衝撃が走ったんだ。こんな可愛い子を自分の子に出来たら、どんなに幸せだろうと思った。だから渋るシュタイナーを説き伏せて、半ば無理矢理連れて帰って来たんだ」


「僕を、押し付けられたんじゃないの?」


「むしろ反対されたぞ。貴方では子に情を移しすぎて、肝心な時に利用出来ないだろうって」


 つまりは他の貴族に引き取られたなら、表面では可愛がられても、いざという時、道具として差し出されたかもしれないという事だ。フィリックスが寒気に震えれば、ウルフは抱き締める力を少しだけ強めた。


「その後は、しばらく揉めたぞ。シュタイナーの奴、お前を返せとしつこく迫ってくるから、頭に来て尻を蹴飛ばしてやったんだ。流石に暴力は駄目だと皆に怒られてな……宰相になったばかりなのに、三日間も独房に閉じ込められた」


 若かったからな、と笑い飛ばすウルフに、フィリックスは戸惑う。下手をすれば、それがきっかけで内乱が起こりかねない事態だ。だがウルフに、反省する態度は微塵も見受けられなかった。


「でもな、風呂にも入れず三日間独房で仕事漬けにされて、やっと帰ってきた時……髭も生えまくりで汚くて、臭かっただろう俺を、お前とジーナがキラッキラした笑顔でおかえりって迎えてくれてさ……ああ、この子を迎えられて良かったって、そう思った」


 ウルフはフィリックスと顔を合わせ、真っ直ぐに見つめる。嘘のない澄んだ瞳が、フィリックスの心に刺さった。


「誰がなんと言おうと、フィリックスは俺の大事な子どもだ。そうだな……これから先、お前は出自で嫌な思いをするだろうし、いい顔をして近付いて、利用しようとする奴も出てくると思う。けれど、忘れないでほしいんだ。他の誰しもがそうであるように、お前も幸せになる権利があるんだって」


「僕も……?」


「ああ。生まれや境遇なんて関係ない。人は皆、自分の幸せを掴むために生きているんだ。俺はお前が、たくさんの幸せに囲まれて笑っている姿を見ていたいと思う」


 悪意を蒸発させるほどの、熱くて大きな愛情。フィリックスはもう一度ウルフに抱きつくと、幸せの温もりを実感する。何が自身に振りかかろうと、必ずウルフは味方してくれる。血の繋がらない子どもにも向けてくれるウルフの懐の大きさに、フィリックスは心から感謝する。そして、誓う。ウルフがそうであるように、何があっても、自身もウルフを父として愛し、守るのだと。











 貧民街、とまではいかないが、城下街の中では下層の人間が集まった、ごみごみとした通り。とある袋小路の壁を乗り越えて進んだ先にある廃工場が、街の不良の溜まり場だった。


 フィリックスはそこへ駆け込むと、冷たい空気が淀む隅で膝を抱え座り込む。上がる息を整えようとするが、何度息を吐いても収まらなかった。


「そのままじゃ、ぶっ倒れんぞ。ホレ、水」


 尋常でないフィリックスを、遠目に見つめる不良達。声を掛けたのは、糸目の少年一人だけだった。


 フィリックスは受け取った水を飲み干すと、コップを突き返す。糸目の少年がそれを受け取れば、フィリックスは再び深呼吸した。


「化け物から逃げてきたって顔してんな。もしかして、また国王陛下か?」


「……」


「沈黙は肯定だぜ、兄弟」


 もちろん、この少年が本当に兄弟である訳ではない。こんな歪な血が、もう一つあってたまるかとフィリックスは思う。だがこの口の軽い少年は、この場に溜まる不良の殆どを兄弟呼ばわりしていた。


「何回もやり直してきたのに……なんで俺は、気付かなかったんだろうな。あのシュタイナーを飼い慣らすあいつが、馬鹿のはずがない。あいつはずっと息を潜めながら……機を狙ってたんだ」


「そっか? あのなよなよした国王陛下は、シュタイナー侯爵の操り人形にしか見えないけどな。まあ、あいつの母親は、希代の悪女ユリカだもんな……そういう事もあるか」


 糸目の少年は、フィリックスの隠し事を全て知っている。出自も、魔法を使える事も、それを何回も使ってきた事も、全て。口では嘘だろうと言いながらも、少年は必ずフィリックスに相槌を打ってくれる。本気で信じているかは疑問だが、相槌が心地良くて、フィリックスはいつの間にか、何かあると全て少年に話してしまっていた。


「で、どうすんの? 国王陛下がジーナちゃんと結ばれるなんてなったら、貴族連中、皆が黙っちゃない。権力争いに巻き込まれて、暗殺コースまっしぐらだ」


「シュタイナーは、絶対に結婚を許さない。あいつは人間じゃない。自分も含めて人間は、王家を維持する部品だとしか思ってないからな」


「けどお前、国王陛下は怖いんだろ? ま、権力者なんて、どこの世界でもこわーいモンだけどな」


「あいつに、俺の魔法は通用しない。シュタイナーに乗るようで癪だが……フリージオとやらに頑張ってもらうしかなさそうだ」


「フリージオって、この前調べてやった奴か? なぁ、お前とかフレイル伯爵みたいに高スペックな男を見慣れてる女がさ、どこを取っても平凡な男に惚れるか? 例えばオレが女なら、まずありえねーんだけど」


「ジーナはお前と違って、誠実な男の方が好きだから大丈夫だ」


「そういう女に限って、悪い男にコロッと落ちちまうモンだぜ? なぁ、不良息子のフィリックス君よ」


 フィリックスが睨みつければ、糸目の少年は両手を上げる。


「ロロるなよ、オレは力のない一般人なんだからさぁ」


「お前なんか、魔法を使わなくてもすぐ倒せる」


 少年はからかうように肩をすくめ、余計に冷たい視線を浴びる事となる。しばらく冷や汗をかいていた少年だが、やがて溜め息を吐くと、フィリックスの額を指で弾いた。


「んな面倒な真似しねーで、お前が全部かっさらってやればいいんじゃねーの? たとえば愛しのジーナちゃんを攫って、旧反乱軍のとこに逃げ込んでさぁ……マクガフィン王国はオレのモノ! って叫んでやりゃ、国獲り合戦の始まりだぜ」


「駄目だ。それをしたら、責任を問われて父さんが死ぬ」


「相変わらずファザコンだな、お前は。じゃあ、パパごと誘拐しちまえって。身内にはとことん甘い人だろ? 何か企んだって、気付きやしないさ」


「父さんが守りたいのは、家族だけじゃない。死んだ母さんとの思い出のある土地や、そこに住む領民も含めてだから……それは、最終手段にしたい」


「土地や一般人なんざにまで気を配ってたら、なんも出来なくなるぜ? あんたには、そこまでする思い入れもないだろうに」


「でも、父さんにとっては大事なものだ」


「全部手に入れたいなんて、それこそ傲慢ってもんだぜ。なぁ、兄弟よ」


 もし、自分が逃げ出し蜂起すれば。フィリックスは、流されるまま思い描く。一番の障害は、シュタイナー侯爵だ。


 彼は先の乱でフィリックスを誘拐する際、味方からも非道だと中傷される手段を取った。国内に存在するシルフィード侯爵の関係者……食事の材料を卸した農家、服を仕立てたデザイナー、一度だけ来店した菓子屋のパティシエなど、もはや言いがかりに過ぎない者まで数百人集め、公開処刑を図ったのだ。当然、反乱軍は正義を掲げて救いにやってくる。警護していた兵をなぎ倒し、彼らは民衆を解放した。


 が、処刑場を警備していた大勢の兵は、金に釣られて雇われた平民、あるいは恩赦狙いの軽犯罪者達だった。真実味を帯びさせるため、多少の名のある指揮官も存在はしていたが、全ては陽動であった。兵が出払った隙を狙い、シュタイナーは見事フィリックス誘拐を果たした。シルフィード侯爵と少し関わっただけの罪なき民、そして何も知らない平民と少しの犯罪者、囮となった指揮官。シュタイナー侯爵曰く『替えのきく無価値な命』と引き換えに、国土は半分守られたのだ。


 余談ではあるが、この時既に頭角を現していたウルフは、シュタイナーにより計画からは遠ざけられていた。言えば反対される事は明白であったし、事実、後から顛末を聞かされたウルフは、その場でシュタイナーに殴り掛かる騒ぎを起こして謹慎している。


 それと同じ事を、間違いなくシュタイナー侯爵は起こすだろう。フィリックスが処刑を無視しようとしても、心優しいウルフは、必ず止めるために行動を起こす。そもそも処刑を無視すれば、反乱軍は『敵の非道を止めずに味方を見捨てた』と烙印を押され、求心力が削られてしまう。罠だからといって小規模の軍を送って負けでもしたら、向こうを勢いづかせてしまう。前回、処刑場の警備は寄せ集めの平民であったが、今回もそうだとは限らないのだ。


 身柄を狙われるのは、フィリックス最大の弱点であるジーナだ。ジーナを人質に取られれば、フィリックスはたちまち動けなくなってしまう。そしてシュタイナー侯爵は、なんの躊躇いもなくジーナを害するだろう。


 ユージーンがシュタイナー侯爵を抑えれば、あるいは。その可能性も、すぐに立ち消える。フィリックスは今まで、ユージーンはシュタイナー侯爵に首根を掴まれた子猫のようなものだと思っていた。王位にさして興味もなく、『おこりんぼおじさん』に怒られたくないから言う事を聞いているだけの子どもだと思い込んでいた。しかし、ユージーンはフィリックスの秘密を知っていた。見て見ぬふりをして、ジーナを手にするチャンスまで待っていたのだ。


「……駄目だ。どうしたって、ジーナと父さんが傷付くのは避けられない。俺が……俺とユージーンさえジーナを手放せば、二人は暗殺だの誘拐だの気にしないで、幸せに暮らせるんだ」


「自己犠牲ってやつ? 健気だな、兄弟は。傷なんか付いたところで、人は忘れる生き物なんだぜ? その時は泣いても、割り切れるように出来てる」


「それを割り切れないのが、二人なんだ」


 少年は思う。愛を知るが故に愛を諦める事と、愛を初めから知らない事と、どちらが不幸なのかと。フィリックスは愛を知ったために、己の可能性に楔を打った。知らなければ、一国を手にする事すら可能であっただろうに。


「……あんたには、気張ってもらわねぇとなぁ」


 フィリックスは知らない。糸目の奥に隠された眼が、憎しみで燃え上がっている事など。彼の両親がシュタイナー侯爵によって処刑された、街一番と呼ばれたパン屋であった事を。


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