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2・王様のプロポーズ




 相変わらず、フィリックスはフラフラと街に繰り出している。父、ウルフもしばらく家には戻っていなかった。暇を持て余したジーナは、その日自室で刺繍していた。今日もなんの変哲もない一日が過ぎるのだろうと思っていると、メイドが慌てて部屋の扉を開いた。


「お嬢様、すぐにお支度をお願いします!」


「仕度? どなたかいらっしゃったの?」


「はい、その……」


 メイドが客の名を告げようとしたその時、彼女の後ろから一人の男が声をかける。


「僕だよ、ジーナ」


 どこにでもいる茶色の髪は地味だが、柔らかで中性的な顔立ちは、育ちの良さをよく現している。ジーナの前に跪き、手のひらにキスを贈る様はまさしく王子様。だが、彼は王子ではない。


「ユージーン! ごめんなさい、こちらに来るなんて聞いてなかったわ」


「聞いてるはずないよ、言ってないからね。今日、中庭に出たら黄色い蝶々が舞っていたんだ。それを見たら、ジーナに会いたくなったんだよ」


 ユージーン・ジル・アカシア・マクガフィン。彼は乳飲み子のうちにマクガフィン王国の国王に即位した、史上最年少の国王陛下である。だが、ジーナから見ればユージーンは、ふわふわして頼りがいのない幼なじみである。よく分からない理由で城を抜け出してきた彼に頭を抱え、ひとまず城へ使いを送るよう指示をした。おそらく、ユージーンの不在で城は混乱しているだろうから。


「支度なんてしなくて大丈夫だよ。ジーナはどんな格好をしていても可愛いし、なにより時間がもったいない。このまま、ここでおしゃべりしよう」


「そうね。目の届くところにいてくれた方が、私も安心するわ」


 ジーナはテーブルの刺繍道具を片付け、先に席へ着く。ユージーンは不敬だなんだと気にする性質ではないし、他人行儀にすると頬を膨らませて抗議する。公の場ではなければ、ジーナはくだけて接するようにしていた。


 ユージーンの父親、先代王であるフィリップは『シルフィードの乱』で死んだ。先々代の国王夫妻も、当時流行った病から回復する事なく死んでいる。王位を継げる者は軒並みシルフィード反乱軍に殺されたため、ユージーンは己の意思すら存在しない頃から、国王として冠を戴いたのだ。


「それで、シュタイナー侯爵ってば酷いんだよ。真の国王となりたいなら、私情を全て捨て去るべきだって」


 シュタイナー侯爵とは、『シルフィードの乱』にて功績を上げた貴族である。表に立って国民の信頼を得るのがウルフだとすれば、シュタイナー侯爵は闇に紛れ政敵を討つ黒幕。ジーナもシュタイナー侯爵とは何度も顔を合わせているが、感情のない冷徹な瞳に背筋が凍った記憶しか残っていない。


「私情を捨てろって言うけど、シュタイナー侯爵もなかなかおこりんぼさんなのにね。僕なんか何回睨み殺されたか分かんないよ」


 その恐ろしいシュタイナー侯爵を『おこりんぼさん』などと表現するユージーンは、ある意味大物だろう。ジーナは、冷や汗をかきながら笑うしか出来なかった。


「はー、僕も来年になって成人したら、勝手に選ばれたテキトウな人と結婚させられちゃうのかな。僕は小さい頃からずーっと、何回も、お嫁さんはジーナがいいって言ってるのに」


「それは……いくらなんでも無理よ。お父様は元平民の新興貴族だから、乱以前から王家に仕える貴族が反対するわ。それに、私とユージーンが結婚してしまえば、お父様の影響力が強くなりすぎてしまう。強すぎる派閥が生まれるのは、良くない事よ」


「僕はウルフが大好きだよ。だから派閥とか関係なく、皆が僕を信じて着いてきてくれたらいいじゃん。ね、ジーナは僕が嫌い? 僕は、母様と父様みたいに、愛し合って結婚したいんだ」


「……だとしたら、無理よ。私はユージーンを友人以上だと思った事はないもの。愛し合って結婚したいなら、ユージーンを心から愛してくれる女性を見つけないと」


 現在、乱が起きた全ての原因は、ユージーンの母親である王太后ユリカであると言われている。彼女がシルフィード侯爵令嬢を陥れたために、シルフィード侯爵は謀反を起こしたとされていたのだ。だが、国王であるユージーンに、自分の母親が全ての原因とは誰も告げられない。故にユージーンは今も、先代王とユリカの純愛に憧れるような言動を取るのだ。


「昔からそう言ってるけどさ、じゃあジーナはどうすれば僕を愛してくれる? 僕はいつでも大丈夫だよ?」


「そんな事言われても……」


「ジーナは、宝石もドレスもそんなに喜ばないでしょ? 愛の言葉を囁いても、こうしてお忍びデートしても駄目。言葉も行動もプレゼントも欠かしてないのに、なにが駄目なのかなぁ」


 ユージーンはテーブルに突っ伏して、文句をこぼす。何が駄目かと言われれば、そもそも立場が駄目なのだ。ユージーンに諭した通り、ジーナがユージーンと結婚すれば、国が崩れる。それを分かっていて、感情を優先出来るほどジーナは無神経ではない。だがユージーンは、いっこうにそれを理解しようとはしなかった。


「そうだ、話は変わるけどね、ユージーン。私とフィリックスの成人祝いのパーティーの招待状は届いたかしら? ユージーンは、フィリックスと長い間会っていないでしょう? 久々に、三人でお話したいと思っているの」


「うん、もちろん参加するって返事を出したよ。多分、すぐ届くんじゃないかな。僕が参加するって知ったら、フィリックスもビックリするだろうなー」


「お父様ったら、その日だけは、縄にかけてもフィリックスを逃さないって張り切ってるから。楽しみにしててね」


「うん、フィリックスもそうだけど、ウルフと公務以外で話すのも楽しみだよ! はあ、僕もここの家の子に生まれたかったなぁ」


 突っ伏しているため表情は見えないが、ユージーンの気は上手く逸れたようだ。ジーナがほっと一息つくのと、給仕の者がティーセットを持ってくるのは同時の事だった。


 物音に顔を上げたユージーンは、キラキラと目を輝かせている。それは王家の色とは遠く離れた、母親と同じエメラルド色の瞳だった。


 ジーナは、急な来客にも完璧な対応をする給仕へ礼を忘れない。気をそらしたその時、呟いたユージーンの言葉は耳に入らなかった。


「……ホント、どうして僕の方が王様なんだろうね」








 ユージーンの来訪に翻弄される日はあったが、基本的に時は穏やかに過ぎていった。そして、迎える成人祝いのパーティーの日。元平民であるウルフの親戚も招待されているため、このパーティーに貴族は少ない。ジーナとフィリックス、二人の親戚、そして友人として付き合いのある者だけの、小さな集まりであった。その中で、ユージーンは当然ながら一番身分の高い人間である。だが格式を合わせてくれた事と、彼自身の柔らかな雰囲気もあり、招待客が緊張する様子はなかった。


「ジーナ、今日は一段と綺麗だね! 美の女神様だって裸足で逃げ出しちゃうくらい綺麗! いいな、僕目玉溶けちゃいそう。あ、ウルフもカッコいいし、フィリックスも決まってるよ!」


「ユージーン、今日はありがとう。お世辞でも嬉しいわ」


「お世辞な訳ないじゃん! こんなに綺麗なのに、ねぇフィリックス」


「……俺に話を振るな」


 本日の主役という事で、ジーナはメイド達にピカピカに磨かれ、これほどかと言わんばかりに着飾らされた。大人っぽさを意識したのか、肌をあまり見せないが、スタイルはほんのり主張するマーメイドドレス。髪も綺麗に纏められ、メイクもいつもより少し赤味が強くなっている。ユージーンほどストレートに褒める者は少ないが、ジーナは自分でも似合っていると思っていた。


 が、フィリックスは「いいんじゃないか」と少し目を合わせたくらいで、見惚れる様子もない。いくら綺麗にしても、一番褒められたい人に褒められなければ、お洒落などなんの意味もなかった。


「むー……後で泣いても知らないからね、フィリックス。ねぇ、ジーナ。ちょっといい?」


 ジーナの顔が曇ったのを察知して、ユージーンは頬を膨らます。天真爛漫で、企みなど感じさせない子どものような仕草だったせいで、ジーナは全く気を張る事なく答えた。


「どうしたの、ユージーン?」


 おそらく、ジーナと同じく、誰も気を張ってなどいなかった。ユージーンをよく知るフィリックスやウルフも、いつものユージーンだと思い油断していた。ユージーンはジーナの前に跪き、ジーナの右手をそっと取る。そして頬をほんのり色づかせて、真っ直ぐに目を合わせた。


「ジーナ。僕と結婚してください」


「……え?」


「今日こそは本気だよ。だってもう、ジーナは大人なんだ。貴族でいる以上、結婚しない訳にはいかない。ボヤボヤしてたら、他の人に取られちゃうでしょう?」


「で、でも、私その、そんな突然……」


「分かってる、ジーナは僕の事、友達だと思ってるんだよね。もちろん、王命で無理矢理頷かせるつもりはないよ。けどジーナがホントに誰かと結婚するまでは、どうなるか分からないから。だから、僕が成人するまでの残り一年で、考えてほしいんだ。ウルフ、ウルフもそれでいいよね?」


 突然のプロポーズに言葉を失っていたウルフは、声を掛けられてもしばらく答えられずにいる。近くにいた親戚に脇腹を小突かれて、ようやく正気を取り戻した。


「あ、なんだ、その、だな……ユージーン? 今日は、公務じゃない。だから、一人の父親として話すぞ」


「うん、僕もそうしてほしい」


「まず、現時点では……ジーナはやれないな。ジーナには、心から愛する人と添い遂げてほしいと思ってる。だから、愛し合っていない以上賛成は出来ない」


 その一言に、ジーナは胸を撫で下ろす。王命ではないと言っても、これが王様のプロポーズである事に違いはない。本来はジーナの意思など関係なく、決められたとしても文句は言えないのだ。


「けれど……そこまで真剣にジーナを愛してくれるその気持ちは、俺も尊重したいと思う。ユージーン、待てるのは一年だけだ。ジーナを振り向かせたいなら、後は自力で頑張ってくれ」


 その言葉に声を荒げたのは、フィリックスだった。フィリックスはウルフの胸ぐらを掴むと、周囲の目など気にせず怒鳴る。


「乱心されたか、父上! この状況を許せば、ジーナが狙われるぞ! 父上はただでさえ強すぎるんだ、ジーナを暗殺してでも、権力の拡大を止めようとする輩が現れる!」


「フィリックス」


 対するウルフの声は、静かだが底深くから響くような暗さがあった。そして釣り上げられた眼差しに、フィリックスは肩を震わせる。ウルフの本質は、雑兵から登り詰めた軍人だ。たまたま政治にも才があったため、今日こそ宰相という地位を得ているが、子どもの首根を締める事など本来は容易い事である。


「そんな事も分からないほど、ユージーンは馬鹿ではない。全て、覚悟の上だ。なあ、フィリックス。それだけの覚悟を持った男に応えてやらなければ、それこそ失礼というものだろう」


「しかし……!」


「権力がどうとか身分がどうとか、そんな事にこだわった結果が先の乱じゃなかったか? もちろん、一番はジーナの気持ちだ。いくらユージーンが覚悟を決めても、ジーナが同じだけの覚悟を決めなければ意味がない。想い合わない結婚は、不幸しか呼ばないからな」


 そしてウルフは、戸惑うジーナに向き合う。


「ジーナ、お前はユージーンの事、いつも家を盾にしていなかったか? お前自身がユージーンをどう思うか、余計なものを全部取っ払って真剣に考えるべきだ。それが誠意というものだろう」


「……はい」


「一番卑怯なのは、本心を伝えず逃げる事だ。ゆっくりでいいから、今までユージーンがジーナにどう接してきたかを思い出しながら、考えてやれ」


 貴族のしがらみがどうと考えなければ、ウルフの話はもっともだった。ジーナも、ただなんとなく嫌だとは言えなかった。


「……父さんは、正しい。けれど、正しくたって……違うんだ」


 それを眺めるフィリックスは拳を強く握り、歯を食いしばる。


「綺麗事でどうにかなるなら……俺は、貴方を失わずに済んだんだ」


 まるで泣いているような、そんな悲痛な表情にいち早く気付いたのは、ジーナだった。


「フィリックス……?」


 ジーナが声を掛けようと足を踏み出した、その時。


「ロロ・ブリジーダ」


 ジーナが、会場が、この国が。世界が、光に包まれた。


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