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15・追憶




 これは、遠い記憶の中の事である。


 王家の色を持つ彼が、正装に身を包み王城を闊歩すれば、溢れる優雅さに誰しもが目を奪われた。隣に国の重鎮である宰相の娘を引き連れて歩けば、まるで国王夫妻のようであった。彼の資質は、外見だけではない。先日起こった災害派遣について、彼は養父であるウルフをも驚かせるような画期的な策を打ち出した。彼が次期宰相となり、国を牽引していく事は、多くの貴族にとってもはや既定路線となっていた。


 軍の大総督、シュタイナー侯爵を除いては。


「いくら交渉しようが陛下には会わせぬと、何度言えば分かるのだ! 簒奪者共め、二度とその醜悪な面を見せるな!!」


 国王陛下の私室の前で声を荒げるその人こそ、シュタイナー侯爵であった。そして彼と対立しているのは、国王陛下ユージーンの異母兄であるフィリックス。そしてその婚約者である、ジーナだった。


「私は、ただユージーンを心配しているんです! 見てください、これは、ユージーンが密かに私へ届けさせたメッセージです。ユージーンを、解放してください!」


 ジーナの手に握られていたのは、食事用の紙ナプキンに、スープを使って書かれたメッセージだった。


『頭がくるいそうだよ、助けて、ジーナ』


 体調不良を原因に、ユージーンはもう3ヶ月も人前に姿を現していない。閉じ込められた部屋から、監視の目をくぐり抜け、どうにか届けたメッセージがこれだ。ジーナとフィリックスは、幼なじみであるユージーンを心配するあまり、王城へと乗り込んだのだ。


「……これを読んで、何故陛下の御心を理解出来ぬのだ」


 シュタイナーは血色の悪い唇を震わせると、ジーナから紙ナプキンを奪い取り、破り捨てる。そして紙切れを踏みつけ、壁に拳を叩きつけた。


「善意のつもりで尊厳を踏み躙る貴様らを、これ以上陛下に近付ける訳にはいかん!! ここで、切り捨ててくれるっ!!」


 病人のような見た目だが、シュタイナーは大人の男だ。恫喝にジーナは縮こまってしまう。フィリックスはジーナを背に隠し庇うと、帯刀していたサーベルを抜き放った。


「ジーナに手を上げるなら、俺が相手だ! お前を倒して、ユージーンも救ってみせる!」


「愚か者め、剣を抜いたか。父親の七光りで政治を囓り、偉くなったつもりのようだな。貴様は所詮貴族令息でしかない。侯爵である私に剣を向けたという事は、無礼討ちにされても文句は言えないぞ!」


「貧相なお前ごときが、俺を無礼討ちに出来るならな。その前に、胴体と首を切り離してやる!」


 シュタイナーも剣の柄に手を掛け、今にも抜き去ろうとする。フィリックスは隙さえあれば、すぐ飛びかかるつもりだった。しかし、一触即発の空気は、勢いよく開かれた扉の音と、悲痛な叫びで掻き消されてしまった。


「やめてよっ、シュタイナーッ!!」


 私室から飛び出してきたのは、涙に頬を濡らしたユージーンだった。ユージーンはシュタイナーの右腕に飛びついて動きを抑えると、濡れた緑の瞳でフィリックスを睨む。


「僕は、誰も傷付けたくなくて、だから……だからっ! もういいから、みんなっ、僕の前からいなくなって!」


「ユージーン! 大丈夫だ、俺は絶対に負けないから」


「違う、違うよ! そうじゃない、違うんだ……」


 ユージーンが泣きじゃくりながら叫ぼうとすると、シュタイナーはその口を塞いでしまう。そしてユージーンを人質を取ったかのように取り押さえ、開かれた部屋の中に足を踏み入れた。


「シュタイナー!」


「動くな! 動けばどうなるか、分かっているだろうな」


 ユージーンを案じれば、フィリックスに成す術はない。シュタイナーはユージーンの口を塞いだまま片手で扉に手を掛け、呟いた。


「二度とその面を見せるな、悪魔共め」


 深い恨み言と共に扉は閉じられ、内側から鍵のかかる音が響く。これが『一度目』のジーナとフィリックスの、ユージーンとの最後の別れだった。


 部屋に再び閉じ込められたユージーンは、口を覆われていた手を離されるなり、シュタイナーに抱きつく。そして、また泣きじゃくりながら叫んだ。


「シュタイナーの馬鹿、大馬鹿っ! 君みたいな貧相なモヤシ男がフィリックスと戦ったら、数秒でみじん切りにされるに決まってるじゃないか! シュタイナーに死なれたらっ……僕は、どうやって生きていけばいいの!」


「あなたはこの国の全てを自由に出来る権利がおありです。食べたいと思えば食べ、寝たいと思うなら寝て、欲しいと思うなら手を伸ばせばよろしい。臣下はただ、陛下に尽くす義務のため生きているのです」


「僕が国王陛下だなんて思ってるの、シュタイナーだけだよ。皆言ってる、僕は悪女ユリカの不貞の子で、本当は王家の血を引いてないって。国王陛下に相応しいのは、王家の色を持ってて才能もあるフィリックスの方だって!! ああ、もう! フィリックスが憎くて……憎みたくないのに、腹の奥から黒いものがせり上がって! 頭が、狂いそうなんだよ……っ!」


「不忠者の下世話な噂に惑わされてはなりません! どんな経緯があろうと、何色の人間であろうと、今、冠を戴いているのは貴方お一人。国王陛下とは神より賜りし運命の責務。下賤の者が首をすげ替えて良いものではないのです」


「でも……」


「貴方は生まれながらの王であり、死ぬその時まで王なのです。それを分からぬ馬鹿ばかりが集まるこの国だから、ここまで縮小したのでしょう」


 シュタイナーは子どもをあやすように、ユージーンの背中を規則正しく叩く。しばらくすると、ユージーンも大分落ち着いてきたのか、自分から身を離した。


「……でも、シュタイナーは僕の前からいなくならないで。僕をずっと信じてくれるのは、シュタイナーだけなんだよ」


「あそこで私が斬り殺されれば、フレイル伯爵家もろとも潰せたのですが……仕方ありません、国王陛下の命とあれば、死なぬよう策を練ります」


「それと……二人を止めてくれて、ありがとう。ごめんなさい、シュタイナーの言う通りだったね。ジーナは無自覚なまま、僕を傷付けてくる。美しくて、優しい顔をして……残酷な女の子だ」


「全く、いつの間にあんなメッセージを仕込んだのやら。貴方が彼らを傷付けたくないと言ったから、引きこもらせてやったというのに」


 部屋の外から、もう争う声は聞こえない。国王付きの影が、二人を追い返しているはずだ。この部屋には、初めから鍵など付いていない。外付けの鍵がないからこそ、ユージーンが内側から開けられたのだ。内側の鍵を掛けるのは、それこそユージーンの意思である。


「ジーナは、僕自身を認めてくれると思ったんだ。ユージーンが王様なんだから、胸を張ってほしいって……」


「あの女は結局簒奪者の一味。フィリックスありきで生きる事しか頭にない、少し身綺麗な装飾品でしかありません」


「そんな事っ……」


 ユージーンは反射的に声を荒げるが、言葉は続かない。城に広がる、ユージーンを傷付ける噂。ジーナが知らないはずもない。だがジーナは、この場にフィリックスを連れてやってきた。ユージーンが何を考え、何に傷付くか、全く想像出来ていなかった何よりの証拠である。


「…………怒鳴らなかった僕は、偉いよね? 友達を傷付けないで済ませた僕は……頑張ったよね?」


「むしろ、頑張らずとも良いと思うのですが。あのような輩、無礼討ちで充分です」


「また、そういう事を……でも、本当に……本当に僕の事を分かってくれるのは、シュタイナーだけだよ」


 閉じこもった部屋は、端から見れば小さな鳥籠だろう。しかしユージーンにとって、その小さな籠は、心を癒やすために必要な空間だった。『一度目』が終わる、少し前の出来事。ユージーンはこの日の事を、何度やり直しても決して忘れはしなかった。








「シュタイナー、これから僕への献上品に、黄色い薔薇をあしらったものを贈るの禁止にしてくれる?」


 ジーナがプロポーズ撤回を受け、退席した後。ユージーンはハンカチの刺繍をぼんやり眺めながら、軽く命じる。


「未練ですか?」


「うわ、そういう事普通聞く? ホント無神経だよね、君」


「大した理由もない事で法を変えるのは、無駄な手間ですので」


「どっちかって言うと嫌悪かな。見たくないんだよ、薔薇の花」


 それを薔薇の花を見つめながら言うのだから、シュタイナーは眉をひそめるしかなかった。


「ジーナの事、好きだったよ。不貞の子だって噂も気にしないで、友達として付き合ってくれる女の子っていなかったし、あと単純に可愛かったから。僕だけに、その純粋さを向けてくれたらいいのにって思ってた」


「お言葉ですが、あれは人の噂に鈍感なだけだと思いますが」


「だね。ウルフとおんなじ。ジーナの人生はさ、何回やり直したってフィリックスありきなんだよ。避けられようが何しようが、ジーナの全部はフィリックスのためにあって、いくら尽くしても僕には絶対に向かないんだ。このハンカチを渡された瞬間、スーッて気持ちが冷めちゃった。むしろ今は、ムカムカ?」


「処しますか?」


「処さないよ、ウルフが怒るもん。ああ……でも、僕も少しはウルフ離れしてもいいかな。結局、よその家はよその家。僕が羨んでも、その家の子どもになれる訳じゃないし。僕だけを愛してくれる人は、自力で探さないと駄目だね」


「それは良いご決断だと思います」


「だから、黄色い薔薇はもう禁止! ま、告白しなきゃ分からなかった事だし、時間の無駄ではなかったかな。って事で、シュタイナー。間違いなく、君には僕の元に戻ってきてもらうから」


 ユージーンはハンカチをひょいと投げ捨て、背中の筋を伸ばす。シュタイナーが落ちたハンカチを拾っても、ユージーンは気に止めなかった。


「……だから、自分が死んで完成するような計画、もう立てちゃ駄目だよ? いくら不利になっても、僕はシュタイナーを切り離したりしないからね」


 3ヶ月と少し前。ユージーンがシュタイナーと共に計画したのは、フィリックス成人を機に活発になっていた、旧反乱軍の鎮圧だった。国内に存在する反シュタイナー連合という闇組織がちょうど反乱軍と手を組もうとしていたので、それをおおいに利用する事にしたのだ。


 まずはユリカ追放でシュタイナーとユージーンの不仲を演出し、シュタイナー謹慎により敵を油断させた。さらに王都へ不審者を集めやすくなるよう、喪中を理由に娯楽を制限し人出を減らし、喪服での移動を義務にした。衛兵はユリカ捜索の後で休暇を取らせたり、わざと牛歩で帰らせたりと王都へ留まらないよう操作した。『愚かな母親のために過酷な捜索に駆り出された兵士が王を見限り、逃げ出しているのかもしれない』という噂を添えて。


 手薄な上に、潜みやすい王都。少しは疑うかと思えば、敵はぞろぞろと罠に嵌まった。事を起こした敵対勢力をシュタイナーの手勢が倒す事で功を上げ、ユージーンの手元に戻す。ここまでが、ユージーンの知る計画だった。


 だが、シュタイナーはさらに策を重ねた。未然に防げるジーナ誘拐をわざと成功させ、敵の手に落としてから救出したのだ。シュタイナーの計画では、ユージーンがこれで激怒しシュタイナーを処刑するはずだった。シュタイナー処刑により、反シュタイナー連合の勢いは失われ、誘拐されたという不名誉な傷を抱えたジーナは、王家に嫁げる体ではなくなる。完璧な計画のはずであった。


 だが、シュタイナーは生きている。怒られはしたが、それ以上に泣かれてしまった。果ては、『絶対に君を手放さない』という宣言まで食らう始末。あれだけ執着していたジーナへのプロポーズも、あっという間に撤回してしまった。


「貴方は、とことんお考えの読めないお方だ」


「読めなきゃ駄目?」


「いえ、臣下と同じ発想の王では発展を期待出来ません。存分に珍妙でいらしてください」


「そう? じゃあ、さっそく一つお願いがあるんだけど」


 ユージーンは賄賂のつもりか、一口大のパイをフォークに刺してシュタイナーの口の前に差し出す。甘いものが嫌いなシュタイナーだが、王の期待に答えるのが家臣の役目。一瞬のためらいの後、フォークを握るユージーンの手を押さえ、思い切りよくパイを噛み砕いた。


「ジーナも遠慮したのに、よりによって君があーんしちゃう? 気持ち悪っ」


「いつ、そのフォークで喉奥を突いて殺そうとしても受け入れる、という試練のおつもりだったのでは? いつもの悪ふざけだとすれば、食べ損でした。甘くて不味いです」


「そう思ったなら、僕の手を押さえないでよ! 抵抗する気満々じゃないか! 大体ねぇ、こんな美味しいお菓子に対してまずいとは失礼だよ。作ってくれたパティシエに謝って」


「胃に受け付けないものを食べたせいか、気分が悪くなりました。早退し、休ませていただきます」


 シュタイナーは、王は絶対と言っておきながら、些細な悪戯に対する対応は誰よりも冷たい。結局お願い事は聞いてもらえず、逃げられてしまった。


「あーあ、行っちゃった」


 ユージーンはだらしなくソファに寝転がると、フォークをテーブルに戻してパイを摘んだ。


「ま、いっか。これから、馬車馬のようにキリキリ働いてもーらお」


 この、1年後。マクガフィン王国は反乱軍に奪われた領土を全て取り戻した事をきっかけに、ユージーンは『アカシアの王』としての道を歩み始める。その功績を伝えるには、大総督シュタイナーの存在が必須であるのだが……それはまた、別の話である。


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