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プロローグ・とある婚約破棄の末路




 婚約破棄、などという穏やかでない騒動は、国に大きな災いをもたらす。婚約者への怒りを隠しきれないその宣言は、よりにもよって国の建国記念パーティーという場で、次代を担う自国の王太子から発せられたものだった。それは不幸にも、国王と王妃は流行り病で出席がかなわない年の事。王太子なら場を任せられるだろうと、信頼を受けて任された矢先の話であった。周囲の貴族達は動揺を隠しながら、王太子と、その隣を陣取る男爵令嬢を眺める。果たして、これはどちらに大義があるのかと。


「ユニ・シルフィード侯爵令嬢、貴女は王太子の婚約者という肩書きを振りかざし、シルフィード侯爵の派閥に属さない者への不平等な行いを繰り返した。国ではなく生家の繁栄を望むその姿勢は、未来の国母となる身として不適切である」


 これは、国内の貴族が皆不満を抱えていた事実だった。王太子の婚約者、ユニ・シルフィードとその家の者は、王家との婚約という力を敵対派閥に振りかざしていた。ならば、大義は王太子にあるか。しかし、続く男爵令嬢の言葉に、その大義は揺らいだ。


「ユニさん、あたしの家への嫌がらせ、きちんと謝ってくれたら許します。あたしとフィリップ様が仲良しだからって、家の力を使うのは反則だと思います。フィリップ様が好きなら、自分を磨いて振り向かせるべきじゃないですか!」


 高位貴族への態度の悪さ。公式の場にも関わらず、王太子を名前で呼ぶ無礼。王太子が掲げる不平等な行いが男爵家への嫌がらせだとすれば、そんなものは貴族社会では当たり前の事だ。国政に繋がる重要な高位貴族へ干渉するのは問題だが、敵対派閥の男爵家程度、取り潰したところで何の罪にも問えるはずがない。


 当然、男爵令嬢という隙を見つけたシルフィード侯爵が黙っているはずがない。彼は白い髭を撫でつけながら、一人きりで立ち尽くす娘・ユニの隣に並ぶ。まずは安心させるよう娘の肩に手を置けば、彼女は涙を浮かべ、父親の胸に飛び込んだ。涙を流す事は、本来令嬢らしからぬ行為。しかし、王太子の不当な扱いにとうとう心の折れた、か弱い令嬢だと思って見れば、同情を誘う行動だった。


「王太子、男爵家が犯した悪事を暴く事の、どこが不当な嫌がらせなのでしょうか? そこな娘の生家は、国が禁止している薬草・タール草を隣国に卸しておりました。それを隠蔽されれば、国が不都合を被るのではございませんか?」


「それは……男爵家が発見した事だが、その薬草は、まだこの国では知られていない薬効があるのだ。それを正式に発表すれば、禁制も解除される」


「ならばわざわざ法を侵さずとも、国に申請して禁制を解除されてから取引するのが筋でありましょう。そもそも、タール草に薬効があるのなら、それをなぜ他国に流したのでしょうね? 自国に利をもたらさぬのは、謀反の意ではありませんか? ああ、ご存知とは思いますが、国では男爵家から薬効の話を訴えられた覚えなどありません。これはもう、謀反と言っても……」


「どうせ、お前が訴えを握り潰したのだろう!? だから男爵家は仕方なく、他国にタール草を渡し、臨床実験を行ったのだ!」


「肺を患い死亡する者が、最近隣国で増えているのはご存知ですか? タール草が禁制となったのは、肺を病ませる作用があるためなのですが……さて、因果はございますでしょうかね」


 今の季節は冬。ここより北に位置する隣国で風邪が増える事、そして肺を患う者が増えるのは、特に不自然ではない。しかし繋げて話をされれば、人は勝手に関わりを疑う。周りの目が厳しくなった事を察した王太子と男爵令嬢は、互いの手を取り固く握った。


「そんな些事より、王太子にご説明いただきたい事がございます。仲睦まじく寄り添うそこな娘は、一体何者ですか? まさか我が娘との婚姻も果たさぬうちから、白昼堂々愛人を囲っておられるのでしょうか」


 シルフィード侯爵の追及は、さらに続く。王太子の隣を陣取る、男爵令嬢。彼女と婚約破棄が、無関係であるはずがない。シルフィード侯爵はわざとらしく溜め息を漏らすと、周囲を驚かせる一言を放った。


「まさか我が娘を孕ませておいて、真実の愛を見つけたなどとおっしゃるおつもりで?」


「なんだって……!?」


「判明したのは数日前です。婚前交渉は褒められたものではございませんが、まあ相手は婚約者なのですから許しましょう。しかし、ふしだらな欲求を娘へ向けて純潔を奪い、子まで孕ませておきながら愛人とは。たった数ヶ月の間に移り気なお方だ」


「くっ……! シルフィード侯爵、貴様……」


 王太子はぶるぶると震え、周りの視線に耐える。が、王家の色をした銀の髪を掻きむしると、シルフィード侯爵を強く睨みつけた。


「そこまで言うなら、もうこちらも全てを話すしかあるまい。確かに私と彼女に関係はあった。しかしそれは、彼女が私に盛った媚薬のせいだ!」


 王族に薬を盛ったとなれば、どんな背後があろうが重罪だ。だがシルフィード侯爵は、眉一つ動かさず王太子に対峙する。


「関係したのは、その時一度きりだ。可能性が全くないとは言えないが、たった一度で子を成す可能性がどれほどか、皆も知っているだろう。彼女の腹にいるという子は、真に私の子であるのだろうか? にわかには信じがたいな。これがもし偽りであったのなら……もはや償う命が一つで済む問題ではなくなるぞ」


「……我が母国は、法に守られた統治国家でございます。たとえ王族であろうとも、証拠のない罪を裁く事は出来ません。では問いましょう。どのような名称の媚薬を、どのように盛られたのでしょうか? まさか調べもせず、体が疼いたから媚薬だと申している訳ではございませんよね?」


「それはっ……」


「盛られたのは、食べ物ですか? それとも飲み物でしょうか? 経口薬ではなく、皮膚から摂取する薬でしょうか」


「……おそらくは、その夜飲まされたレモン水かと」


「ならば、グラスは証拠品として確保しておりますか?」


 王太子は答えない。答えられないのだ。王太子にとっては、自らの身に起きた現象が何よりの証拠。どんな薬であったか、何から摂取したのか。そんな事を調査せずとも、王太子にとっては事実なのだから。だが、王太子に纏わりつく視線はそれを認めない。『関係を誤魔化すために、苦し紛れの嘘を吐いたのではないか』と訴えている。王太子の事実を信じる者は、どこにもなかった。


「いかに王太子であろうとも、我が娘に対し侮辱が過ぎるのではありませんか? 純潔であった娘を甘言に乗せて犯し、たった数ヶ月で愛人に走り、挙げ句不貞が知られれば罪人に仕立て上げる。父親として、このような非道を許す訳にはまいりません」


 その言葉に激昂したのは、王太子の愛人としか認識されていない男爵令嬢だった。彼女は事もあろうに王太子へ抱き着くと、身分の遥かに高いシルフィード侯爵に怒鳴りつけた。


「罪を着せてるのは、そっちの方でしょう!? フィリップは、あんたの娘よりあたしが好きなのよ! あんたの娘が浮気女で、クスリに頼ったんだから! 王様が知ったら、あんた達なんか全員死刑なのよ!」


「申し訳ないが、大人の話に子どもが口を挟まないでもらえるか? 我が娘は、自らの事でありながら、弁えて黙っているだろう。見習いたまえ」


「む、ムカつく……何なのよアンタ、モブのくせに!」


 男爵令嬢は、たびたび聞き慣れない、おそらく庶民のスラングであろう単語を交えながら、シルフィード侯爵を罵倒する。だがそれに耳を向ける事はなく、王太子へ訊ねた。


「しかし、確かにこの場で収めるには済まない問題であるのは一理あります。王太子、ここは王の回復を待ち、沙汰を待つのが互いにとって最善なのでは?」


 このまま沙汰を待てば、心象が悪いのは王太子だ。国の中枢を担う大貴族である、理路整然とした主張のシルフィード侯爵。不貞を働いた事実だけが証明された王太子。どちらに貴族が靡くかは明らかであった。王太子の中に、今ここで自らの正義を証明する方法はない。後は、親子の情に訴えるしかなかった。


「……そうだな、どちらの訴えが正しいか。父上なら必ず分かってくださるだろう」


 誰が正しく、誰が悪いのか。あるいは、全員が悪であったのか。乱立する物語にあるような、婚約破棄の結末。これが後に伝わる、マクガフィン王国が半分の領土を失う事となった『シルフィードの乱』の始まりだった。

  












 マクガフィン王国の貴族、ウルフ・フレイル伯爵の目下の悩みは、仕事が忙し過ぎて、家族との時間を作れない事であった。『シルフィードの乱』から5年。一度は崩壊しかかった国政を支え、ここぞとばかりに食指を伸ばそうとする他国を牽制し、国内に残る数少ない貴族がいがみ合わないよう親交を深める。元々ウルフは、乱の際に駆り出された、ただの一兵卒だった。巡り巡って宰相などに任命されてしまったが、ウルフの肩に乗る重圧は、あまりにも大きすぎた。


 それを支えるはずだった妻は、先々代の王とその王妃が罹り、命を失ったものと同じ流行り病で死んだ。だからこそ、残された幼い一人娘、そして娘と同い年の養子は愛情深く育てたいと願っている。しかし、二人の子どもが起きているうちに帰れる事は、一月に片手で数えるほどしかなかった。


 その、たまに訪れる家族との時間が、ウルフの何よりの生きがいであった。ウルフは、誰かの犯した過ちを裁くつもりなどない。誰が正しく、誰が間違っていたのかなど知る由もない。ただ、妻と過ごした美しい大地に平穏をもたらすため。たとえ誰がこの国を見捨てても、ウルフはただ家族を愛していた。


「お父さま、みてください! 黄色いばらが、さいていますわ!」


 屋敷の中庭に植えた薔薇が、そろそろ見頃を迎える頃。ウルフは二人の子と、穏やかにガゼボで紅茶を飲んでいた。元々平民であったウルフには紅茶の味など分からないが、薔薇を眺めて微笑む娘の顔を見れば心が安らいだ。


「黄色い薔薇は、母さんが特に好きな花だったんだよ。ちょうど今のジーナと同じような顔をして、よく中庭を散歩したものだ」


「お母さまも、ばらがお好きだったのね! ふふ、うれしいなぁ」


「コットン地方の薔薇園には、黄色の薔薇だけを集めた大庭園があってな。父さんは、そこで母さんにプロポーズしたんだぞ」


「まあ、すてき! いいなぁ……わたしも、プロポーズしてほしいなぁ……」


 母親に似たエメラルド色の瞳をきらきらと輝かせて、ウルフの娘、ジーナは両手を頬に当てる。そしてジーナはもう一人の家族……ウルフが養子として引き取った男の子、フィリックスに視線を移した。


「ねぇフィリックス、わたしが大人になったら、同じばら園でプロポーズしてくれる? ね、いいでしょ?」


 小さくとも貴族らしく背筋を伸ばして座っていたフィリックスは、真っ先にウルフの顔色を窺う。たとえ冗談や軽い気持ちで話した事であろうとも、娘が嫁ぐ話など、どこの父親も嫌がるものだ。フィリックスは、どこからかそんな知識を得ていた。だが、顔を合わせたウルフは、まるで本当の息子に向けるような、あたたかな笑みを浮かべて頷く。心のままに話していいのだと、フィリックスは赤い瞳を輝かせた。


「うん、プロポーズする! ぜったいぜったい、そのばら園でプロポーズするから!」


「ほんとう!? うれしい、ありがとう、フィリックス!」


 ジーナは大きな音を立てて立ち上がると、フィリックスに抱き着く。ジーナは、きりりとした顔立ちと、優しい話し方をするフィリックスが大好きだった。光に当たると銀色に光る髪を撫でるのが、大好きだった。そしてフィリックスの気持ちも、誰が見ても明らかだ。


 ウルフは、紅茶を飲むふりをして、微笑ましい子らから目を逸らした。心に浮かぶのは、軽い気持ちでプロポーズの話をしてしまった罪悪感だった。


「……そうだな、お前達が大人になる頃には、行けるといいな」


 コットン地方は、もうマクガフィン王国の領土ではない。そして、養子として引き取ったフィリックス。銀色の髪と赤い瞳……マクガフィン王族の色を引き継いだフィリックスは、決して国外へ出られない。だが、因縁が未来も続くとは限らない。約束の黄色い薔薇園で、プロポーズを。二人の願いを叶えるためには、ウルフが国を安定させなければならない。明日からも頑張ろうと誓いながら、ウルフはひとときの休息を楽しむのだった。


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