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毘円賞選評に代えて  作者: 毘円泣
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毘円賞選評に代えて:4

 TRIEN『眼鏡の言葉・言葉の眼鏡』は、言語学者の穂谷と枕野、そしてデザイナー兼プログラマーのNy4nによって構成される若手アーティスト集団TRIENによって応募された作品である。TRIENは鑑賞を通した認知の拡張をテーマに、最新技術をふんだんに盛り込んだ作品制作を続けている。今回提出されたのは、VRヘッドセット型の端末、その操作に使う周辺機器、そして操作説明書のような小冊子であった。VR技術を用いた芸術作品は2020年代から急速にその数を増やし、物理法則を無視した超現実空間、中世ヨーロッパ風の町や農村にオークやドラゴンなどの異種族が登場するファンタジー世界への転生(今ではなんとも古典的でありきたりだと言わざるを得ない)、果てには地球上に突如発生したブラックホールに飲み込まれる過程を疑似体験させるような衝撃的な作品まで生み出されてきた。本賞にもその流れをくむ作品が大量に送られてきたが、この作品からは、VRの形をとる理由、必然性のようなものを強く感じた。他の鑑賞者の存在感を排除し、作品と鑑賞者が一対一の形で集中できる空間を簡単に作り出せるVR技術は、人間の認知機能の変化を取り扱うTRIENにとって強い武器となるだろう。

 付属の小冊子は、宣言めいた力強い詩から始まっていた。

 「視界の外側に広がる暗闇を、名付けによって知る。再命名とはまさに個人的な革命であり、世界が纏う薄膜を覆す、唯一の手段である。」

 残るページにはヘッドセットと周辺機器の詳細な操作方法が書かれていた。手足に装着した機器が体の動きを読み取り、仮想空間上を探索できるというものだ。ヘッドセットにはイヤホンが付属している。環境音の逆位相となる音波を発生させて騒音を消すいわゆるアクティブノイズキャンセリングを行い、鑑賞者の聴覚を遮断しているようだ。冒頭のステートメントを読んでから鑑賞を始めるまでに操作説明を読まねばならないのは多少億劫であったが、実際に仮想空間に入場すると、あまりに衝撃的な光景に釘付けになった。

 ……草原。緑色の地面に、水色の空。こと仮想空間においてはありふれた光景であるが、問題は、その草原が文字どおり〈草原〉すぎることであった。説明するのがなんとも難しいのだが、注意深く聞いてもらいたい。その草原は我々が普段目にするような造形であると同時に、〈草原〉という文字の形をしており、日本語の漢字が表す草原の概念そのものであったのだ。足元に生い茂る草のからだは、緑色をした〈草〉という文字であり、葉や茎はそのまま〈葉〉や〈茎〉という文字で構成されていた。文字どおりの青空に浮かぶわたあめのようにふかふかとした雲は、注意深く見れば〈雲〉という漢字で作られており、ときおり〈わたあめ〉や〈ふかふか〉といった文字を見せた。

 ここでは、目に見える造形と言葉の概念との違いはないし、言葉でできていないものは存在しなかった。

 砂浜は、すくい上げると砂となり、手からこぼれ落ちたものは砂浜へ合流した。海は波となり、泡となった数秒後には、穏やかな海上の空間へと消えた。風という文字が私を撫でたら、沸き上がってきた心地よさは、あたらしい風と流れていった。

 私の認識が変われば、〈もの〉そのものも変化してしまう。これは、我々が住む現実世界においても、少なからず同じであろう。自分が見るものの認識が自分に依っているからこそ、苦手だと思っていた人に突然親しみを覚えたり、タコを悪魔の魚だと思って食べるのを忌避したりするのだ。それに、言葉を通した認識は、後から獲得した概念によって常に更新が容易である。太陽系の惑星だと思っていた冥王星がある時から突然準惑星になったり、アサヒとキリンしかないと思っていたビールをピルスナーやIPA、ペールエールといった種類に分類できると知るといったことはよくあるが、その言葉を扱う一個人の中では、冥王星はもはや惑星という属性を完全に失い、準惑星として生まれ変わってしまっているし、アサヒビールはもはやただのアサヒではいられない。TRIENは、言葉の持つ魔法のような作用を思い出させてくれる。私が私の言語感覚に只ならぬ興味を寄せて執筆活動を続けているのも、言葉が持つこういった作用に心を惹かれたからだ。美しい言葉、新しい概念は、私の見る世界を書き換えてしまう。私の言葉によって誰かの世界をより美しいものに変えられるのなら、それ以上に素晴らしいことはないだろう。

 さて、この作品には一つの仕掛けがあった。最後に訪れた空間には、一枚の大きな鏡が配置されていた。〈鏡〉という文字である鏡を覗くと、〈人間〉という文字であるような、ぼんやりとした何かが映った。鏡に映るのは、私が認識する〈私〉だろうか、それともTRIENが設定した何か別のものだろうか。確かめようとして近づくと、私の目には何とも悍ましい光景が映った。鏡に映った私(?)の顔は、〈顔〉という文字ではなかった。私の目は、〈目〉という文字ではなかったのだ。そこにあったのは、言葉以前のもの。というか。どろどろとしていて、禍々しく、日常の言葉では形容しがたい、様々な、痛ましかったり鮮烈であったりする色が混じってできた、暗色の流動体であった。

 恐ろしく、豊かに、チューブから出した絵具が混ざるように、ゆっくりと動きながら鈍く光るこのドロドロは、一体何を意味しているのだろうか。人間を一言で簡単に定義することはできないだとか、TRIENはそんなメッセージを伝えようとしているのだろうか。しばらく眺めていると、私は、この塊に不思議な親近感を覚え始めた。流れていく汚れた灰色の奥に、〈毘円〉だとか、そんな文字が見えたような気がしないでもない。私は、この眼前の鏡が映し出すものを、私自身であるのだと理解した。

 その瞬間、不快な粘性を持って蠢いていた〈それ〉は、外的な力によって連鎖反応を起こすように、目まぐるしく変容し始めた。だんだんと人の顔のような輪郭がくっきりと表れ、中心のあたりからドクドクと湧き出してきた乳白色が塊全体を支配し、オフホワイトのキャンバスのような体を持った〈私〉という文字へと変化した。形を強固にしようと膨らむ白に押し出された様々な色、〈私〉という概念に当てはまらなかった部分は、仮想世界の底、意識の、地球の底へと、音もなくこぼれ落ちていった。

 落下していく様々な色を見て、私は、〈悲しい〉という文字を感じた。〈悲しい〉という文字から、何かが少しはみ出そうとしていた。

 「光あれ」創造主は言った。その言葉は空間を満たす可視光であると同時に、世界を切り分ける光の剣でもあった。天と地、動物と植物、そして最初の人間であるアダムは、混沌から切り出されて生まれた。私たち人間は、その光の剣を模した小さなナイフを持っている。世界の見え方とは、このナイフの軌跡に他ならない。右と左、上半身と下半身、敵と味方。私たちは常に混沌を切り裂いてきた。切り分けられたものたちは、泣いていたりしないのだろうか。男と女を切り分けることすら、残酷であるかもしれない。〈悲しい〉という感情を表す概念を切り出した時に生まれる〈余った部分〉は、悲しくなどないのだろうか。世界の底には、そういった概念の切れ端がゴミとして、誰にも目を向けられずに降り積もっている。私は、捨てられしてしまったものたちに、今までよりも大きな意味で、共感してしまった。完全に元通りにはならなくても、拾い上げて隣に並べたり、個人的に結びつけることくらいはできるだろう。切り捨てられたものに目を向け続けること。世界を、愛するという言葉の持つ全ての意味で、愛したい。

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