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毘円賞選評に代えて  作者: 毘円泣
4/7

毘円賞選評に代えて:3

 神智学的知識欲を刺激するもう一つの優秀作品がある。祖合免『ツノゼミが語る宇宙創成』は、無名の自称物理学研究者、祖合免によって書かれた論文である。論文とはいっても、学術論文としての強度は皆無であり、引用や参考文献は極端に少なく、論理構造や実証に大きな難がある。国内外のいくつかの学術誌に送り付けたものの、一度も査読を通過できず、流れ着いたのがここという訳だ。最近では、学生が書いてきためちゃくちゃな論文にアドバイスを求められた教授が「いい読みものですね」とコメントするなんて話もあるが、この論文にはまさに、読みものとしての面白さがあった。騙されやすい人を上手に刺激するようなちょうどいい論理の飛躍、格闘家か詐欺師かしか持ち合わせないだろうと思える程の堂々とした自信を感じさせる論調、突飛で陰謀論めいた主張に基づくこじつけの論理で実験を繰り返し、予定調和的な成果を次々と上げていくその雄姿、エッセイ集として出版したらどうかと思う程の冗長かつ詳細な研究秘話などからは、私は一つの閉じた世界観を感じた。そのため今回は、論文の形をとった小説作品として鑑賞することにした。作品はストーリー仕立てになっているので、かいつまんで紹介していこうと思う。

 祖合の実家の郵便受けに、一つの熱烈な投稿があった。爆発のような轟音を纏って配達されたのは、文字通り〈熱烈〉な郵便物だった。飛び起きた祖合が慌てて確認してみると、摂氏300度は超えるであろうかという程に熱せられた一枚の円盤が、郵便受けに直撃している。シューシューと勢いよく蒸気を吐き出しながら郵便受けにめり込んでいる円盤型の贈り物を見て、彼は思わず天を仰いだ。神からのメッセージだ。それしか考えられない。30を過ぎても自室に引きこもってオカルト収集に勤しんでいた祖合は、この謎のメッセージを解き明かすための研究を始めた。

 〈郵便物〉が冷めたのち、友人のコネを使って大学の理系研究室の一席を不当に占拠した祖合の主張するところによると、この直径30cm、厚さ3cmの金属板が放つ奥ゆかしい玉虫色の輝きは、地球上で再現可能な圧力下では生み出すことのできない構造を持ち、明らかに地球外から飛来したものであるらしい。郵便受けにもたらされた甚大な被害、もしくは金属塊が大気圏突入を経て地表に激突する膨大なエネルギーを市販の郵便受けがどうやって受け止めたのかなど、数々の邪念が頭をよぎったが、彼はそういった不都合を意図的に無視しているようだ。研究の邪魔が入るのを恐れてか、日時や実家の所在地さえ記していない。円盤の表面を調べ始めた彼の目に、レーザーで焼き入れられたブランドのロゴのような、一つの図像が飛び込んできた。それは、ある昆虫の絵だった。……ヨツコブツノゼミ。ツノゼミ科カメムシ目に属し、コロンビアなどの南米に生息する、体長4mm程の小さな昆虫だ。体長に見合わない程大きく発達したツノの奇妙な形状が特徴的で、その用途や進化の過程に一部の研究者が関心を寄せている。ちなみにありえん下ネタみたいな学名を持っているので、好奇心旺盛な読者諸賢は是非ググってみてほしい。

 手始めに数十匹のヨツコブツノゼミを捕獲した彼は、神秘的な反応を期待して様々な実験を始めた。ツノゼミが歩いた跡を図像化し、物理学、数学界において神秘的で美しいと言われているいくつかの関数を当てはめて変形してみたが、3歳児の落書き、もしくはせいぜいオートマティスム・ドローイングと呼べなくもないような図形しか得られなかった。十字模様や逆十字、五芒星から六十芒星までのマークを見せつけてみたが、ツノゼミはその小さな首をかしげるだけであった。それから、2匹のツノゼミを可能な限り高速に加速して衝突させる実験、あらゆる酸やアルカリ溶液を吹きかける実験、世界中のあらゆる言語で神の名を呼びかける実験など、彼の模索は非常に多岐にわたったが、努力むなしく、得られたのはバラバラに破壊したツノゼミの死骸くらいであった。

 途方に暮れながら実験を繰り返すある日、ついに解明の光を見出す一つの発見があった。実験を行う際は、ツノゼミ以外の生物や細菌の影響を排除するためにツノゼミに紫外線を照射して殺菌を行っていたのだが、この殺菌線を当てた後の数秒間、ツノゼミの眼球の中心部分から波長2mm前後のマイクロ波が不自然な程直線的に放出されていることに気付いたのだ。照射した波長253.7nmの紫外線は、複眼の中にある特別な空間を繰り返し反射し、エネルギーの低い状態、つまり長い波長となって放出されているというのだ。これが何を意味しているのか、彼は大学のトイレでウォシュレットのボタンを押してから温水が尻に到達するまでのあのわずかな瞬間にひらめきを得たと、語る。宇宙マイクロ波背景放射。宇宙誕生から約38万年後、宇宙が晴れ上がった時の、つまり宇宙を構成する物質たちが目に見えるようになった最初の姿の、名残である。約138億年かけて地球に到達するこの放射、原初の星くずの体温を映し出した図、宇宙構造のたねは、1964年に二人の研究者によって発見されて以来、その温度のムラ、つまり初期宇宙における物質の分布を読み解き、宇宙誕生から現在に到るまでの大いなる謎を解き明かそうと努力が続けられている。祖合は数えきれない程の回数、さまざまな種類のツノゼミに殺菌線を浴びせ、32の異なった波長のデータを得て、20億以上の菌をその手で殺菌した。

 もはや予想がつくと思うが、このツノゼミが発するマイクロ波の謎も、彼はあっさりと解決する。実験で得られた32種のマイクロ波の波長は、現在観測されている背景放射に含まれるマイクロ波のうち、最も波長の短いものから最も波長の長いものまでの範囲と完全に一致しているというのだ!ここまで読んだ時、私はさすがに許せないと思った。こんな偶然があってたまるか。でたらめを書くなとクレームを入れてやる。怒りのあまり発信機に手を伸ばしかけたが、とりあえず読み進めてみることにした。

 さて、これまで数々の謎を解明してきた祖合が次にぶつかった課題は、32段階の波長の分布と、それに対応するツノゼミたちが一体どのような関係にあるのかということだった。最大体長やDNA構造、体毛の本数、どんな数字とも相関関係を見出せないこの謎の波長群は、彼の頭を大いに悩ませた。138億年を見守ってきた創造主が、ただの悪戯としてこの奇妙なツノの昆虫たちを特別扱いしているなんてことはないだろう。推論というよりもただの焦りに近い疑念の中、彼はさらなる高みへと、その半透明の翅を羽ばたかせた。背景放射の温度分布に従ってツノゼミを横一列に並べると、ツノの形が互いに結びついて文字を形成しているというのだ!そして、結びついた数匹のブロックを一文字、隣と結びつかないセミを記号とみなした時、宇宙マイクロ波背景放射は一つの文章となるのだ!知恵に到る32匹の驚くべきツノゼミたちは、たちまち神の使者、予言の虫となったのだ!かつて一神教の神が天地を創造した神話がセム語族のヘブライ語で書かれているように、この宇宙創成のルール、世界の真理はセミ語で書かれているとでもいうのだろうか。依然、ばかげた話であることに変わりはないのだが、あの奇妙なツノを文字に変換してしまうという荒業は、創作としては完璧であった。この全く未知である新言語は一体どのような意味体系を持つのか、人類に理解可能なのか。そういった疑問を吹き飛ばしてしまうように突然に、かつ周到な手つきで彼が槍玉に上げたのは、なんと日本語であった。

 ひらがなの50音に濁点と半濁点、スラッシュや括弧など、現代日本語にある文字のみを用いて、彼はセミ語の構成要素を完全に解明してしまった。完全に完全。人工河川のようにまっすぐ力強い流れで導き出された衝撃的な主張は、インターネットを通して日本語ブームを巻き起こし、MenSogo名義の書籍『Membracode』(邦題:ツノゼミ文字―邪馬台から見上げる宇宙創成―)は、アメリカで30万部を超える売り上げを記録した。邪馬台国では今の日本語と全然違う言葉が話されていたはずなのだが。祖合の手によってすっかり一神教的世界観に対する革命のシンボルとなった卑弥呼の服装をまね、頭に奇妙なツノのかぶり物をして天空に祈りをささげるという異様な儀式が若者を中心にブームとなり、日本国大使館前にギャグみたいな光景を生み出す始末であったことは、オカルト好きでなくても知っているだろう。

 著書の出版から約1年後、祖合のブログに待望の更新があった。前著で引っ張りに引っ張った挙句に取り上げなかった衝撃的な謎、長い時間を費やしてついに解読した創成の言葉、宇宙マイクロ波背景放射にセミ文字で書かれた文章を日本語に翻訳した内容は、誰にとっても受け入れがたいものだった。それは、理不尽なクライアントの要求と無理解な上司からの圧力に板挟みにされるITエンジニアの悲痛な嘆きであり、下劣なネットスラングにまみれた〈つぶやき〉であり、宇宙プログラミング秘話であり、2033年に世界幸福倫理推進委員会(COWHE)の華麗なる糾弾によってサービスを終了したあの最悪なSNS〈Twitter〉にかつて溢れかえっていたような、ニンニクとエナジードリンク、蒸れた靴下と脇汗の臭いが漂ってくる、醜悪な罵詈雑言であった。(ちなみに私は、Twitter2の方が好きだ。)

 当然、大混乱が巻き起こった。身投げをする者がいれば、画面の向こうのエンジニアに救いを乞う者、果てには頭が狂ったのか、牛を完全な球体になるまでハンマーで叩き続ける者まで現れた。

 祖合はその明晰に見える頭脳から繰り出す淀みない自信に満ちたペテンでアメリカに数十万人規模のムーブメントを起こした挙句、信者たちを馬鹿にしてせせら笑うためだけに、このような文書を発表したのだろうか。いや、せっかく無知で従順な金づるを手に入れたというのに、いとも簡単に種を明かして手放してしまうだろうか。そうでないのならば、支離滅裂な論理と恐ろしい程迷いのない手順で導かれた衝撃的な真理は、全て真実なのだろうか。宇宙は高度文明が開発したコンピュータによるシミュレーションであるという言説はよく見かけるが、ついにその証拠が(こんな最悪なかたちで!)発見されたとでもいうのだろうか。こんなでたらめな論文を発表した祖合の目的は、一体何なのであろうか。彼は陰謀論者の知的好奇心をハックする優秀なフィクサー、もしくは神智学会のアラン・ソーカル、もしくは妄想と幻覚に取りつかれた悲しきモンスターなのだろう。

 祖合の家の郵便受けに円盤が着弾したこと、ツノゼミの目から‘‘ちょうどいい’’波長のマイクロ波が放出されていること、セミ語と日本語の対応関係など、論文の中身は論理的に疑問の残る点ばかりであったが、どうも私には、彼が嘘をついているようには思えなかった。こんなに科学技術が発展しているのに宇宙マイクロ波背景放射とツノゼミの奇妙なツノの研究に全く進展がないのは、どう考えても不自然だ。彼は誠実な目をしていたし、〈高次元量子演算機〉に脳移植をして以来差別を受けることの多い私にも、やさしく真実を語りかけてくれた。それに今朝、家の前の郵便受けに、一枚の円盤が届けられていた。

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