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毘円賞選評に代えて  作者: 毘円泣
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毘円賞選評に代えて:2

 優秀な数作品のうち、特別に不気味で謎に満ちたものがあった。知江有子『わたしに降る歌』は、現代アーティストの知江有子によって制作されたインスタレーションと、その制作中のメモからなる作品である。作品の完成後に忽然と姿を消した知江に代わって、制作過程を知るL氏という知江の友人らしき人物の手によって応募された。知江の居場所を突き止める手がかりを見つけられればと、私はL氏と共に作品を調べることにしたという経緯だ。インスタレーション『わたしに降る歌』は、小型スピーカーを5×5メートルの平面に敷き詰め、その上に水分量の変化、つまり雨粒の落下を感知するセンサーを被せることで、雨粒の落ちた場所から特定の音を発するというものだ。装置を制御するコンピュータソフト上で、センサーの場所ごとに日本語をマッピングする。正方形の中心に座る鑑賞者は、まばらに発せられる音、雨の声を聴くことができる。

 知江はこの作品を、今年5月13日に開催された〈楽園〉芸術文化祭に出展する予定であったが、文化祭の13日前、作品完成の2日後に消息を絶ったため、展示は急遽取りやめになったのだという。本当に急な出来事で今でも整理できないと、L氏は語る。

 「最初にテストをした時は、作品からは全く聞き取れない、まるでスクランブル交差点の真ん中にいるような喧噪しか聞こえませんでした。まるで初音ミクの消失みたいな早口で。聞き取れないと意味がないって、有子は何度も試行錯誤を繰り返していました。最終的には、展示の2週間前、4月27日の夜には調整が終わったようで、センサーが雨粒の落下を拾い上げる頻度を制限して、人が話すのと同じくらいの速さで発音するように設定できていました。完成後、有子はずっと自宅兼アトリエの中庭で作品の中に座って雨の声を聴いていたみたいなのですが、30日の明け方に家を出た後、居場所がわからなくなりました。携帯端末や財布は部屋に置きっぱなしだったのですが、壁に掛けてあった鹿のハンティングトロフィーだけが無くなっていました。メモ代わりに使っていた紙のノートを持ってきたので、これを読めば何かわかるかもしれません。」

 L氏は制作中の様子をずっと観察していたようだ。知江と同棲していたのだろうか。手伝いをしていたのか、作品を制御するソフトウェアの操作も行えるようだ。

 「警察にも届けたんですけど、アトリエは監視カメラのほとんどない農村地帯にあるし、衛星カメラもなかなか使用許可が下りなくて。」

 彼女の発言には少々疑問を抱いた。失踪人の捜索であれば、衛星グリッドカメラの使用許可くらい簡単に下りるだろう。数年前の導入以来、失踪や犯罪者の逃走といった事件は大幅に減少した。未知の地下帝国にでも逃げ込まない限り、周回軌道上に並べられた高精度望遠鏡群の映像を解析に回せば、人間一人の居場所くらいすぐに特定できる。

 とりあえず、L氏の手伝いで自宅の前にスピーカーとセンサーを展開し、知江が完成版として残したプリセットを読み込んでもらうことにした。〈楽園〉に備え付けられた磁気投射型雨雲発生器〈区雨〉に信号を送り、雨の声を聴くことにした。

 聴こえてきたのは、単調でガタガタの旋律を持つ、断裂や音のかぶりにまみれた拙い発声の連続であったが、語りとしての機能をギリギリ保有している、詩のような響きであった。何を言っているか全くわからないし、四方八方から連続で音が届くので、初めは意識がいろんな方向に持っていかれて大変だった。少しの間聴き続けていると、何となくコツを掴んできた。これは人の声として聴くのではなく、BGM的に無意識に浴びている方が良い。私に降りかかる言葉の雨はどこか心地がよく、そのランダムなリズムにはリラックス効果のような安らぎがあるようにすら感じられた。

 1時間程鑑賞を続けたのち、メモを読むことにした。制作中の各日程ごとに思いついたことやソフトの調整案を書きなぐったものであった。スケジュールなど、彼女の居場所を掴む手掛かりとなる情報はほとんど見受けられなかったのだが、後半のページに進むにつれて、日本語ではない、アルファベットで書かれた部分が増えていることに気付いた。見たところスペイン語のようだ。知江は帰国子女か何かで、日本語が母国語でないとすれば自然なことかもしれないと考えていたのだが、携帯端末の翻訳機にかけた時、異変に気付いた。その文章は、スペイン語ではなかった。その文字列には字上符合が付き、xやy、qが存在しない。これは……エスペラントだ。

 エスペラント語は、1880年代にザメンホフという眼科医が考案した人工言語で、1900年代初頭には世界100万人以上の使用者が存在したと言われている。国際補助言語として考案されたエスペラント語は、後人による基本構造の改造や派生が盛んに行われたためか、結局は英語の国際化を食い止めることができず、そのまま廃れていった。しかしその後、エスペラント語は大きな変革と共に、最もポピュラーな第二言語へと返り咲くことになる。その快進撃の一助を担ったのは、日本の出版社であった。2036年、当時の東京府千代田区神田に本社を構える神省堂が、各言語話者向けの改造エスペラント語の教科書と『新改明エスペラント2.0辞典』を出版すると、そのあまりの完成度と表現の可能性に世界中が震撼した。外来語とギャル語に侵食され、半分以上がカタカナになって尊厳を踏みにじられていた日本語に絶望した神省堂は、当時の日本最高峰の言語学者たちに加え、脳を計算機に移植した最初の日本人作家である筒筒井康隆隆、ノーベル文学賞への執着に狂い、ノーベル賞を爆破するオチのSFしか書けない状態に陥っていた作家、狂上春樹など、ぼくのかんがえたさいきょうのチームみたいな編成を組み、人類史上最高の人工言語、エスペラント2.0を作り上げたのだ。『新改明』は気の利いた諧謔や不完全な他言語への皮肉をたっぷりと含んでいることで大人気となり、2039年には「世界で最も売れた辞書」としてギネス世界記録に認定された。「数年のうちに大改憲が起こり、憲法と教育が全部エスペラント2.0に置き換わってしまうだろう」なんてとんでもない予言が飛び出したときは、まさか本当に現実になるとは考えもしなかった。私のような日本語を話すのはもはや老人と一部の物好きだけとなってしまったのだが、廃れゆくフィルムカメラの粒子感と独特の階調を好む写真家がいるように、日本語の絶妙な柔らかさと意味体系の複雑さを好む作家はまだ存在している。〈楽園〉の公用語も一応エスペラント2.0であるが、私の隣人はみな日本語を話すことに執着している変わり者ばかりだ。日本の他にエスペラント2.0が深く根付くことになったのは、アフリカに住む民族であった。不規則変化が少なく新語を盛り込みやすいルールが肌に合ったらしく、現在はアフリカ大陸民の80%、約10億人が使用している。特筆すべきは彼らの豊かな表現力だ。アフリカ系作家によって書かれた現代詩は書き手の身体的感覚と自然、その間に割り込んでくるデジタルの波をこれまでにない言葉の結びで表現し、〈第四世界の詩〉と呼ばれるようになった。

 本題に戻ろう。エスペラント2.0のような言語で書かれた知江のメモは、一昨年に出版された三訂版の『新改明』にも掲載されていないような新語が豊富に使用されていた。それに、ページを分割した上部に書かれている数行は、不自然な改行があり、ダブルクォーテーションマークが頻繁に使用されている。手持ちの機器で翻訳できた部分には、作品の制御に使用するタブレット型PCで閲覧したページの引用や、制御用ソフトの設定記録が記されていた。どうやら知江は、センサーが受け取った信号を日本語に変換してスピーカーに伝えるために、このソフトを自分の手でで作り上げたようだ。ページ上部の不格好な数行は、ソフトのプログラムを書いたものかもしれない。機械制御になった身で言うのは憚られるが、私はプログラミングには明るくない。エスペラント2.0を用いたプログラミング言語がもう普及しているのだろう、その時はそう思っていた。

 翌日も鑑賞を続けた。作品を制御していたタブレット型PCはそのままにしてあったので、〈空雨〉を起動してしばらくの間、雨の歌を聴きながら読書をしていた。2時間程経った頃、スピーカーの発音が途切れた。制御ソフトがリセットを要求しているようだった。幸いなことにPCは私の声を認識して動作してくれたので、ソフトを開き直して作品を再稼働させることにした。センサーにマッピングする言葉のプリセットは、2種類用意されているようだ。どちらかがベータ版で、もう片方が完成版なのだろうか。それとも、知江は別言語版や早口版、もしくは文字の種類を制限して雨のリズムを音楽として楽しむためのバージョンでも用意しているのだろうか。とりあえず右側の、エスペラント語が書かれたプリセットを読み込んで中央の席に戻ると、聴こえてきた音、雨の語る詩は、それまでとは全くの別物になっていた。

 落下する雨粒によって50音からランダムに選ばれるはずのその音の列は、理解可能な意味を持っていたのだ!!私は急いでPCを確認し、50音のマップを開いてみたが、特定のルール(「ぺ」とか「ぷ」よりも「が」や「さ」など、日常で使われやすい音が鳴りやすいように多く配置されている)は存在するものの、そのうちのどれが鳴るのかは、完全に雨粒の落下に委ねられているようだ。不気味で仕方がなかった。雨粒の落ちる位置が必然的に決まっているとでもいうのだろうか。それとも、知江はこのソフトに何か特別な仕掛けをしたのだろうか。

 装置を通して雨が語ったこと、それは簡単な世間話、それも、昼下がりの田舎のバス停で地元のおばさま方が話しているような、そんな口調だった。「六角のあのリスさん、冷たつまずいちゃったみたいで、比べてくらいちに転勤になるらしいよ」「しましまに真空だった三位は今日玉ねぎを忘れたみたいでいつ」「起きる時、お笑いの掃除機じきじきに語彙捨てして」こんな具合であった。主語や述語、意味のつながりは我々が日常的に目にするものとは異なっているが、見かけや雰囲気は完全に、世間話のそれであった。知江が周到に仕込んだ悪戯である可能性を疑ってLに問いただそうかと思うよりも前に、私には妙な納得感があった。雨が、天が語りかけてくるとしたら、いや、そのひとり言を一方的に聞くことができるとしたら、その内容は別に啓示的なものでも、人間に呆れた神々の漏らす愚痴でも、世界の真理を暴いてしまうような大発見でもなく、特に重要な意味を持たない、ただの世間話みたいなものでもいいのではないか。今日の天気を雨に決めたって、それは何億年も繰り返してきたことだろうし。なにより、天だって退屈だろう。雨だって、もう充分互いに語りつくしただろう。生と死以外に何の刺激もない田舎で人類が生み出す最後の暇つぶしがうわさ話や世間話であるのならば、天や雨粒だって同じようにしていたって何の不思議もないじゃないか。六角のリスや真空の三位といったどこにも存在しない隣人たちのうわさ話を聴くのは、特別で刺激的な体験だった。幻想的で魅力的な小説に存在する、それが完全な空想であることを読者に強く意識させて現実から引きはがしてしまうための特別な一文が、私は好きだ。しばらくの間、現実からログアウトしていた。生まれては消えていく小さな幻想を、全身で浴びていた。

 翌日、知江のPCを調べてみることにした。家の外にL氏が来ていたのでロックを解除してもらおうと頼んだのだが、PCにはロックがかかっていなかった。普段からかけないタイプなのだろうか。制御ソフトを開発者モードで立ち上げることができたので、昨日のプリセットの挙動を確認することにした。センサーが拾い上げた信号の制御とマッピングされた50音とのリンクは、エスペラント2.0を使用して書かれたプログラムによって決定されているようだ。表示できた実行コードらしき文字は今読んでも理解できないので、他の手がかりを探すことにしよう。L氏はいつの間にかどこかへ行ってしまったが、PCごと私の手に委ねたのだから、勝手に中を覗いてもいいだろう。Windows13を搭載した最新型らしき端末の中には、制御ソフトとその開発に使用したアプリ、無限にドーナツを増殖させるゲームアプリなどの他に、日記帳のアプリが入っていた。その日に触れた芸術作品と、生活の中の小さな幸せ、そして自身の制作について記されており、1年程前から欠かさずに更新しているようだった。以下に、制作に関わる部分を抜粋して引用する。


“3月2日 芸術文化祭 雨の詩 降る雨粒をセンサーで感知して日本語を鳴らそう”


“3月11日 スピーカーとセンサー届いた 制御をどうしようか”


“3月18日 やばい あと一か月ちょいしかない 家にこもって制作専念を決意”


“3月19日 マッピングをずっと考えて、気付いたら昼になってた 

                    一人で作るのはつらい( ; ; )”


(3月20日〜26日 記入なし)


“3月27日 Lが遊びに来た。何年ぶりだろうか。Lは夜明けの光と共に来る。好きだ”


“4月2日 Lが外国の?言葉を教えてくれた。前から知ってた気もするけど、新鮮で楽しかった。作品に使えるかもしれない!”


“4月3日 マッピングとセンサーのリンク、ソフトを開発することにした 久しぶりにMetaCでコード書くか”


“4月7日 Lのツノを触ったらくすぐったそうにしていて超かわいかった。”


“4月12日 町長の家の敷地でBBQをするらしい わたしも招かれたけど、断った Lはわたしから他人のにおいがするのを嫌がるし、外に出たがらない。”


“4月19日 試作ができた 家の中庭でテストしたら初音ミクの消失みたいな早口が流れてウケた”


“4月27日 完成!『わたしに降る歌』にしよう 歌詞はめちゃくちゃだけど、雨の歌だ Lに報告しよう。喜んでくれると思う。”


“4月28日 Lが新しいコーディングの方法を教えてくれた。作ったプリセットで雨の詩を聞くと、なんと意味のある言葉になった!Lはすごい。”


“4月29日 今日はずっと雨の詩を聴いていた。やっと、わたしは空と同じになれた気がする。翼をはやして、神様のところまで飛んで行って、世間話をしよう。帰ったけどLが来ない。おかしい。もう夜明けなのに遊びに来ない。明後日は五月祭。Lに会いたい。”


Lとは、何者だろうか?


4月30日の明け方、知江は姿を消した。そしてLと名乗る人物が、私のもとに作品を提出し、知江の行方を追っている。日記からは、日に日に狂気を増してゆく知江の内面を垣間見ることができる。はたしてLは、実在する人間なのだろうか。

 後日、私は友人であり、ITに滅法強いと自負する、現役でエンジニアをしているSF作家を家に呼んだ。知江有子の名前を伝えると、エスペラント語の〈Ĉielarko〉から取ったのではないかと彼は予想した。〈チエルアルコ〉は、虹を意味するらしい。制御ソフトのコードを見てもらったところ、はじめに鑑賞したプリセットの方は8年前に開発されたプログラミング言語〈MetaC〉で書かれた単純なものであるらしいが、もう一つの不気味なプリセットのコードを見ると、彼は頭を抱えた。エスペラント2.0を利用したプログラミング言語は彼の知る限りでは存在せず、書かれた単語の活用形や意味の結びつきによって複雑系のような挙動を見せるこの先進的すぎるプログラムは、彼には理解不能な産物であるという。知江は、〈MetaC〉でコードを書くのが久しぶりだと記していた。現役のエンジニアにも理解できない最先端のプログラミング言語を、彼女はたった一日で、Lから教えてもらったというのだろうか。

 ここからは私の推測の域を出ないのだが、もしかしたら、知江は30日、失踪していなかったのではないか。警察は、Lと捜索対象の知江が全く同じ顔をしていたから、捜索を断ったのではないか。Lとは、〈Ĉie〉と〈arko〉の間にそびえ立つメイポールであり、知江有子に宿り、錯乱と叡智をもたらす魔王、ルシファーである。

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