序文
毘円泣『毘円賞選評に代えて』は、小説家、エッセイストである毘円泣が、若手作家に伸び伸びと制作に専念してほしいという願いから設立した文学賞〈毘円賞〉の選評をするという体で架空の作品群を紹介し、感想やら批評やらを長々と書き連ねる、という形式の実験的小説である。全体的に2000年以前の翻訳SFのような口調で講釈を垂れる毘円は、言葉遊びや連想ゲームが好きなようで、たまにふざけた口語を露出していて少々腹立たしい。登場するのは異常な作品ばかりであるが、IT技術や認知科学に関わったものが多いので、全体としてはまとまった雰囲気であると言えるだろう。架空の作品の批評といえば、ボルヘス、レムと続く架空書評の流れ、そして二人を参照した飛浩隆の探索を強く意識せざるを得ないが、毘円の文章からはそれらの大作家が持つような文化的教養や科学的知見の深さといったものはさほど感じられない。彼が23歳とまだ若く、文学や芸術に興味を持ってから日が浅い上に、初めての本格的な執筆であることが理由であるだろう。未来なのか現代なのかよくわからない時代設定や、実在する人物名のもじりからは、どうしようもない勢いと若さが滲み出ている。描写の丁寧さや古典の参照といったいかにもブンガクテキな豊かさの代わりに、彼が特段興味を持つテーマである〈ことば〉については、若い世代のリアルな感覚というか、彼が日常の言葉のやり取りや、手に届く作品の鑑賞を通じて体感している感動や共感、他者に対する不気味さや疑問のようなものを感じ取ることができる。
彼が持つ狂気や異常、非日常への憧れは、2020年代の日本に生きる若者にとっては強く共感できただろう。効率化、画一化に向かう経済活動の中でマイノリティが顕現し、ブラック企業の過酷な労働から帰ってネトゲで現実逃避するような社会には、非日常が必要だ。SCP、クトゥルフ、異世界転生、超能力バトル漫画は、いずれも現実から脱出するための装置であった。当時〈日常系〉と呼ばれた作品だって、超常現象ばかり起きているじゃないか。主人公がスライムだったり友達がサイボーグだったりして、どこが日常なのだろうか。
さて、言葉に対して並々ならぬこだわりを持つ毘円が描き出す空想上の作品は、どれも彼の言語感覚を形成する要因となった出来事や漫画作品などのアナロジーであるかのように思える。
『わたしに降る歌』では、自然と言語を結びつけるインスタレーションに注意を向けた上で自身の言語学趣味やSF設定の遊びを楽しませようとしているが、最終局面では、悪魔が人間に知恵を授けるという神話的構造と、二重人格を持つアーティストを巡るミステリーの接続を模索している。
『ツノゼミが語る宇宙創成』では、エスペラント語で嘘〈Mensogo〉の名を持つ祖合免の手によって、ツノゼミという小さな昆虫を通した真理の解明、ミクロとマクロの統一が、錬金術的な手順で行われている。
続く『眼鏡の言葉・言葉の眼鏡』は、読んでいて頭が痛くなりそうだった。作中の仮想空間は、言葉の概念を視認できるように改造された〈現実空間〉に他ならない。人間は、言葉のフィルターを通して世界を認識しているのだから。
『ブック・レジデンス』では、毘円が残した記録が時系列的に進行していく。正直、アイディアだけの出オチかと思ったが、文字の世界を想像するのは楽しかった。読者は2次元の文字の中で2.5次元の異世界を旅行し、最終的には現実世界よりも高次元を意識することになる。例に漏れず、オンブロ・ソーチストの名も、エスペラント語の影/魔法使い〈Ombro/Sorĉisto〉に由来している。
そして最後、『以下、ポエム』において、彼は大罪を犯した。AIが書いた短歌の歌評と称し、自分の短歌を自分で語るエッセイを開陳している。なんと恥ずかしい男であろうか。ブログとかでやればいいのに。まあ、面白い内容の歌評がいくつかあるし、詩って入りづらいから、これくらい大胆なことをしたって大目に見てやろう。
彼は文章を通して他人の言語感覚を震撼させることに、異常に執着している。この論評を通じてたっぷりと彼の言葉を浴びたら、もう元の自分ではいられないだろう。彼の言葉を借りるならば、「あなたの言葉が変わり、世界が変わる」のだ。これは、一種の暴力である。言葉の金属バットで殴られたあなたの言語野は、元の形には戻らない。無暗矢鱈、腕いっぱいにバットを振り回す彼の様子は、ソウルライクゲームに登場する壊れた機械人形のようで滑稽にも思えるが、そこまで言うなら一度殴られてみようと思う程の真剣さも感じ取ることができる。
結局のところ、彼は自身が得た感動を他人にもう一度引き起こし、似た感性の人間を量産したいのだ。そして最終的には似た考えの人間を集めて国を作り、誰一人働かず、全然他人に干渉せず、作品鑑賞や創作をしながらゆるやかに破滅していくことを望んでいる。それは生産性が皆無のニューハーモニー村であり、反出生主義ニートたちのユートピアであり、プロテスタンティズムを発端として無限に加速しゆく新自由主義へのアンチテーゼ、しんどすぎる現代社会に知恵と探求の光をもたらす夜明け星である。