5:番と抑制剤
正面に立つ、美しくも威圧的なαの男性を見た花は、恐怖で声が引きつる。
「目が覚めたんだな」
「……ひっ……あっ……」
花はその場でただ震えていた。
またあんな真似をされたらと思うと、逃げ出したい衝動に駆られる。
そもそも今まで周囲はβばかりだったので、αを間近で見るのは彼が初めてだ。
男性はβにはない捕食者のオーラを纏っていた。
そのせいか、足が竦んで動くことさえままならない。
「私は龍王凪と言う」
「……は、春川、花、です」
唐突に名乗った彼を前にして、花は俯きながら蚊の鳴くような声で自己紹介を返す。
「お前は私の番だ」
「……へ? つが……?」
花には男性――凪が何を言っているのかわからなかった。そんなことよりも、早くこの場を離れたい。
「あの、私、家に帰ります。休ませてくださって、ありがとうございました」
渾身の勇気を振り絞り、花はぼそぼそした声で主張する。しかし、凪の返答は花の予想しないものだった。
「許可できない。言っただろう、お前は私の番だと」
「つがい? なんのことなのかよくわかりませんが……その、明日は仕事があるんです」
花には「番」が何を指すのか理解できない。
第二の性が発覚してから、両親に学校へ通うのを禁じられた。
最近まで家の外に出ることもほぼなかったので、知らないことが多いのだ。
「番は番だ。お前はΩだろう」
隠していた第二の性を言い当てられて花は動揺した。
「な、なんで……Ωだと知って……?」
「あれだけフェロモンをばらまいて周りを混乱させておいて、今更何を言っている」
「フェロモン?」
首を傾げた花を見て、凪はあきれたように指摘する。
「お前、駅前で発情していただろう。今は発情抑制剤を飲ませてあるが、あの場にいた男全員と女数名がフェロモンで理性を失い暴走した。なぜ、薬を飲まなかったんだ」
「薬……? 確かに私は体調が悪かったですが、薬を飲むほどでは……たぶん、風邪か何かだと思います。お気遣いなく」
あれだけ苦しかった全身を駆け巡るような熱も、謎の動悸や息切れも今は止んでいる。
きっと、少し眠ったからだろう。このところ働きづめだったので、疲れていたに違いない。
しかし、花の言葉を聞いた凪は、なんとも言えない顔になった。
「本気で言っているのか?」
「……何がでしょうか」
相手の気に障ることがあったのかと、花はますます小さくなる。
凪は指で眉間を押さえつつ考えるそぶりを見せたあと、奇妙な生き物を見る目で花を眺めた。