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番外編3:その後の弟


「くそっ、くそっ、くそっ!」


 バイト先の休憩室の床に座って、蒼は悪態をついた。

 薄汚れて剥がれかけた、灰色のカーペットを睨み付け、「こんなはずじゃなかった」と嘆く。


「どいつもこいつも馬鹿ばっかりで嫌になる」


 どうして誰もが自分の考えを否定するのかと、蒼は苛立った。


「本当に馬鹿だ。花も茜も、この店の連中も」


 蒼は地元から少し離れた駅前に建つ、とある回転寿司チェーンで働いている。

 そこしか面接で受からなかったからだ。

 しかも、正社員ではなくバイトである。

 

 双子の姉である茜と別れたあと、蒼は片っ端から正社員の面接を受けた。

 だが、落ちてばかりで貯金が尽きそうだったので、バイトで食いつないでいる。

 バイトの面接ですら何度も落ち、屈辱的だった。

 今の職場は飲食店だが、やたらと混んで忙しい割に時給が安い。

 フルタイムで入っても、月収は雀の涙だ。

 働くのが馬鹿らしくなってくる。不満だった。


(俺は、こんな場所で終わる人間じゃない。父さんのように社長になる器なんだ)


 ここは本来、自分のいる場所ではない。

 蒼はバイトを続けながら、日々一流企業を目指して就職活動をしている。未だ成果は出ないが……。

 面接まで進んでも、どういうわけか不採用になってしまうのだ。

 休憩していると、眼鏡をかけた店長が来て蒼を呼んだ。


「ごめんだけど、そろそろ戻ってくれる? 従業員が足りないんだ」


 まだ昼の休憩時間は半分ほど残っているのにと、苛立ちが募る。


「……はぁ」


 これ見よがしなため息を吐き、嫌々立ち上がった。この店は、圧倒的に人手が足りない。


「土日ともなると大忙しなんだよ。店が儲かってありがたいけどねえ」


 店が儲かろうが潰れようが、蒼には関係ない。忙しくても時給が百円上がるだけなのだから。

 むしろ、客なんて来なければいい。


 イライラしながら持ち場に戻った蒼は、ホールの仕事を再開する。

 動き回っていると、家族連れの客の父親が苛立たしげに声をかけてきた。


「おい、まだか! どれだけ待たせる気だ」

「申し訳ございません。(うっせーな、この忙しいときに声かけてくんな。混んでいるのなんて見りゃわかるだろ。嫌なら別の店に行けよ)」

「あとどれくらいで空くんだ!?」

「少々お待ちください(客がいつ席を立つかなんて知るわけねーだろ、エスパーかよ。こんな一皿百円のクソみたいな激安回転寿司にしか来れねえくせに、偉そーにすんじゃねーよ)」


 客の名前を確認して適当な時間を告げ、今度はテーブルの片付けに回る。

 寿司の具と醤油が散乱する汚いテーブルを適当に拭く。多少べたついていようが関係ない。ここに座るのは自分ではないのだから。


「春川くん、トイレ掃除、頼める? すごいことになってる……」


 また店長だ。彼も忙しく、厨房と客席を行ったり来たりしている。

 頷いてトイレへ向かうと、彼の言っていたとおり酷い有様だった。

 長く伸びたトイレットペーパーが、びしょ濡れの床に散乱し、便座も中が流れていないどころか周りも汚れていて、ゴミ箱には明らかに店のものではないゴミが積まれて溢れかえっている。

 一体どういう使い方をすれば、こんなことになるのだろう。


(民度低すぎて引くわ。写真撮っとこ)


 スマホをポケットに戻し、うんざりしながら片付けを始める。

 適当にトイレットペーパーをちぎって、残りをセットし直す。

 多少濡れているが、自分は使わないので問題ない。従業員のトイレは裏にある。

 どこを拭いたかもわからない汚れた雑巾で、適当に便座と床と水回りを掃除して終了だ。どうせ誰も見ていない。


(あー……ホールに戻るの嫌だなー。ちょっと休んでいくか)


 先ほどの父親が別のバイトに怒鳴っている声が聞こえた。知ったこっちゃないけど。

 ポケットからスマホを取り出した蒼はSNSのアプリを立ち上げて、細切れに仕事の愚痴を書き込み投稿し、撮った写真も上げておく。

 ストレス発散で、いつもこうしているのだ。


(あの客むかつく、休憩時間少なすぎ、時給上げろ、トイレ掃除最悪、店自体がゴミ)


 どうせ自分のアカウントなんて誰も見ていないし、アカウント名も本名ではない。

 一通り投稿し終えた蒼は、再び店へ戻った。

 テーブルの上に散乱した緑茶パックやガリをそのまま容器に戻し、使ったか使っていないかよくわからない、椅子に置かれた湯呑みも面倒なのでそのまま戻す。

 どうせ馬鹿な客が使うだけなので問題ない。

 自分はそのうち誰もがうらやむ大企業に就職するから、こんな職場はそれまでの繋ぎだ。


(めんどくせー)


 残りの仕事を終えて、ようやく退勤時間になった。タイムカードを押して帰る。

 半分になった休憩時間分は、ただ働きだ。

 帰り道でまた、SNSに愚痴を書き込んで上げた。


 ※


 正社員の面接を落ち続けながら、バイト生活を送っていたある日、出勤したら店の中の空気がいつもと違っていた。


(何かあったのか? でもまあ、俺には関係ない)


 だが、我関せぬという態度をとり続けるわけにはいかなかった。

 すぐに店長から、休憩室へ呼び出しを食らったためだ。

 中にはスーツ姿の男たちもいる。知らない相手だ。


「彼か?」

「ええ……」


 蒼を前にして、男たちと店長が何やらヒソヒソと会話している。

 一体、自分に何の用なのか。


(社員への抜擢か?)


 そうだ、彼らはきっと本部の人間で、蒼を一バイトにとどめておくのは勿体ないと、社員昇格の話を持ってきたのだ。


(うーんでもな。俺は回転寿司チェーンよりも、もっと固そうな別の仕事がしたいんだよなあ……)


 考えていると、男たちのうち、一番役職が上に見える一人が、スマホを差し出しながら蒼に話しかけてきた。


「これは、君かね?」


 蒼はわけがわからなかった。

 促されるまま、男のスマホ画面を見て……驚きで身をこわばらせる。


(……!?)


 そこには、自分のSNSのページが丸々映し出されていたのだ。

 つらつらと並ぶバイト先の悪口、店の内部事情、最近は調子に乗って、誰もいないときに撮影した写真までアップしていた。


「偶然SNSを見たお客様から連絡があってね。写真から、この店舗だと特定された」

「はあ」


 気のない返事で誤魔化す。

 大丈夫だ、まだ自分が犯人だという証拠はない。


「投稿が上げられている期間、投稿時刻と出勤日、担当業務などから考えて……君ではないかという話になっている」

「僕ではないですね」


 蒼はしらばっくれた。


「だが……」

「そもそも、これが僕だという証拠はあるんですか? 名誉毀損ですよ!」


 反論していたそのとき、店長がバッと顔を上げた。


「しょ、証拠ならある! こ、これだ!」


 掲げられた店長のスマホには、以前掃除したトイレの写真がクッキリと映し出されている。こちらも蒼のアカウントの画面だ。


「インパクトが強かったから、この日のことは覚えている! 君に掃除をお願いしたこともね」

「なんのことですか? 勝手に僕を犯人に仕立て上げないでください。掃除なんて頼まれていません」


 被害者ぶっていると、蒼以外の全員が顔を見合わせ頷き合った。


「実はね、春川くん。店の監視カメラにちゃんと映っていたんだ、あの日のあの時間、掃除道具を持ってトイレに入っていく君の姿がね」

「この写真はリアルタイムで投稿されたものだ。投稿時間から見て、あの時間にトイレにいた、君にしかできないことなんだよ」


 そういえば、監視カメラがあった気がする。

 まさか自分のアカウントが見つかるなんて思っていなかったので、特に気に留めていなかった。


「念のため調べたら、他にも君の不審な行動がカメラに残っていた。落ちたお茶パックや湯呑みをそのまま戻したり、床を拭いた雑巾でテーブルを拭いたり、落ちた具材を拾って放り込んだ汁物を客席まで運んだり……ゆゆしき事態だ。で、君は罪を認めるのか?」


 蒼はそっぽを向いた。

 証拠が挙がっているくせに、いちいち自分に尋ねる意味はあるのだろうか。

 スーツを着たオッサンが、小学校の学級会に見るような、ごめんなさいごっこでも始める気なのだろうか。


「まあいい、証拠はあるのだから。これらは立派な業務妨害だ! 法的措置をとって君に損害賠償を請求させてもらうよ。我が社への名誉毀損についても考えさせてもらう。当たり前だが、君はもう仕事に来なくていい」


 一方的に宣言されて蒼はかっとなった。


「はあ!? 何が賠償だよ、ふざけんな! 従業員を安くこき使って、大儲けしている大企業のくせにケチくせえんだよ! そっちだって時給を踏み倒してるだろうが! 人手が足りないとか言って、どんだけただ働きさせる気だよ! そんなことばっかしてるから、いつも人手不足なんだよ!」


 だが、蒼の主張は相手にされなかった。


「はあ、今になって自白ですか……もういいです。後日弁護士なども含めて、改めて話をしましょう」


 追い出されるようにして店を出た。

 電車を待つ間、問題となったSNSを確認してみる。


 いつも「RT」も「いいね」もゼロだった投稿に、ものすごい数の反応がある。


(引用やコメントまで……)


 書かれているのは、赤の他人からの圧倒的な罵詈雑言だった。


(どうして、ぜんぜん知らない奴に、こんなこと言われなきゃならないんだ)


 アプリを閉じ、今度はネットニュースを開く。

 すると、蒼のSNSの話題がネットニュースに載っていた。まとめ記事まである。

 タイトルは「激安回転寿司・Heyシャリ田林駅前店でバイトテロ! SNS流出炎上!」。


(なんだこれは)


 念のため、掲示板を見ておく。すると、自分の顔写真や本名が晒されていた。

 知り合いの誰かが、蒼を売ったのだ。


(やべえ、こんなのばら撒かれちゃ、再就職できねーじゃん!)


 あの男たちは、損害賠償やら名誉毀損などと喚いていたが、本気なのだろうか。

 蒼は今になって急に怖くなった。


(どうしよう。普通に街を歩くこともできないじゃん。俺はバイトなんかで終わる人間じゃないのに)


 父や母には頼れない。茜とは連絡がつかない。


(こうなったら花に……いや、龍王家が取り次いでくれるわけがない。やばい、やばい、やばい)


 目の前が暗くなった蒼は、駅のホームのコンクリートにガクリと膝をついた。



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