番外編2:その後の妹
茜と蒼は呆然とした表情で、がらんどうになった両親の店を見ていた。
あまり美味しくはない、激安ラーメンチェーン店。
もちろん、材料にいいものは使っていない。嫌々仕事しているのが丸わかりな、いつもやる気のないバイトは、激安の時給でこき使っている。
店の近くには競合店も建っておらず、昼食を食べに来る、近所の会社の従業員が多いから、彼らの需要で多少潤っているだけの店。そんな場所ばかりを狙って、店舗を拡大してきた店。
それでもチェーン店を営めるだけの力が、父にはあった。
我が家は一般家庭と比べて、それなりに裕福だったと思う。
茜も蒼も幸せに育った。
それが崩れてしまったのは、全部花のせいだ。
不可抗力とはいえ、龍王家の花嫁である花に直接手を出したせいで、春川家は崩壊した。
姉の誘拐事件の証拠と共に、Ωの人身売買に協力した罪で、両親は警察に逮捕された。
何を言い訳しても、龍王家の前では無力だ。
未成年の茜と蒼は龍王家の温情もあって難は免れたが、家も店もなにもかもなくなり、学校も辞める羽目に陥って社会に放り出された。
今になって思う。はたして、これは温情だったのか……と。
住む場所もなく、今は近所のボロいビジネスホテルに泊まる生活だ。
だが、残された資金の量を考えるとホテル暮らしもすぐに限界が来る。
「あはは、蒼……どうしよう」
茜は絶望に染まった空っぽの笑顔で双子の弟に話しかけた。
ぬくぬくとした生活を送ってきた茜と蒼は、無情な現実を前に途方に暮れることしかできない。
「とりあえず、金をどうにか稼がないとな。茜、働けよ」
日頃から頭がいいと自称している蒼は、上から目線で命令してきた。
「あんたはどうするの?」
もちろん蒼も働くだろうと思いつつ尋ねると、信じられない答えが返ってきた。
「奨学金で学生を続ける」
「はあっ!? 本気で言っているわけ?」
「当たり前だ。俺は大学を出て給料の多い会社に就職するんだよ。俺の学歴が高卒なんておかしいだろ……なんのために今まで頑張ってきたか」
「生活費はどうするの?」
「だから、お前が稼ぐんだよ。いいか、これは将来への投資だ。頭の悪いお前が働いて、俺は大学卒業後にそれらを還元する」
身勝手な言い分に苛立ちを抑える。頭が悪いのは蒼だ。
一番甘やかされて育った長男の彼は、いつだって現実を見ない。
たしかに蒼はそれなりの大学に通っていた。
蒼本人は自分の実力だと言って憚らないが、塾に家庭教師にと金に糸目をつけなかった両親の頑張りによる部分が大きい。
跡取りだからと、両親は弟の教育にかなりのお金を出していた。
あれだけ環境を整えられれば、大抵の人間は蒼くらいの大学に行けるだろう。
だが、大学を出たところで、蒼は待遇のいい会社に入れるのだろうか。そこで一従業員として働き続けるのに耐えられるだろうか。
初任給で奨学金を返しながら、彼の言う「還元」ができるのだろうか。
(無理ね。どうせ口だけだわ)
双子の弟の性格なら誰よりもわかっている。金を稼いだら稼いだで、自分のためだけに使うだろう。
少しだけ世間を知っている茜は、慢心した蒼の夢物語を信じなかった。
(悪いけど、蒼。私、二人分の生活費を稼ぐつもりはないわ。自分が損する決まり事なんて引き受けるわけないじゃない)
これからを思うと、絶望しかないが。
だからこそ、他人のためにくれてやる金も時間も惜しい。
(一人暮らしなら、あのどんくさい花でもできていた……私でも、なんとかなるはず)
我が身が可愛い茜は足手まといの弟を捨てて、身一つで生きると決意する。
龍王家に復讐したい気持ちは今でもあるが現実的ではなく、今は実現不可能だ。
「蒼、私、あんたの面倒を見る気はないわ。だから、自分の生活費は自分で稼いでちょうだい。私は一人で生きていくから、将来の『還元』とやらは気にしないで」
「なんでだよ、茜! 効率を考えろよ! 二人暮らしのほうが……」
弟の言うコスパだのタイパだのの、言い訳はくそ食らえだ。
どうせ蒼は自分に都合のいい金蔓が欲しいだけ。
それを、さもこちらのためを思っているという言葉に包んで正論化する。
「大丈夫だって、キャバクラって稼げるらしいからさ」
ご親切に「賢い」頭脳を総動員して、蒼は茜の就職先の候補まで上げてくれた。
実の姉に水商売をさせても、彼は心が痛まないらしい。
唇から乾いた笑いが漏れた。「自称」頭がいい人間は面倒だ。
蒼の中身はプライドだけが肥大した、図体のでかい我が儘な幼児である。
だが、茜は彼の母親ではない。
いい年こいた双子の弟の面倒を無条件で見るなんて冗談ではなかった。
「私は一人で生きていく。足を引っ張るだけの、横柄なお荷物なんていらない」
「なっ、それって俺のことか!」
自分の置かれた現状を理解できないくせに、侮蔑の言葉には敏感に反応する。
「そうよ。あんた『頭がいい』んだから、私なんていなくてもやっていけるでしょ?」
「でもっ……」
「どうしても保護者が必要なら、花にでも泣きついてみれば? 私と違ってお優しいから、手を差し伸べてくれるかもよ?」
屁理屈を並べて食い下がってくる蒼を振り切り、茜は最寄りの駅の改札を入る。
まだ資金があるうちに、住む場所を確保しなければ。
(贅沢はできないわね)
多少不便でも古くても、家賃の安い場所を探さなければならない。
(こんな惨めな目に遭う日がくるなんて)
唇を噛みしめながら、茜は古びたローカル電車に乗り込んだ。




