4:目覚めと再会
目を開くと、染み一つない真っ白な天井が見えた。
「ここは、どこ……?」
明らかに自分の住んでいるぼろアパートと異なる景色を前に花は困惑した。
身を起こすと、大きくて背の低い和風の寝台に寝かされていたことに気づく。
慌てて周りを確認すると見知らぬ部屋の中だった。まるで駅の広告で見た、高級旅館の部屋みたいだ。
床には真新しい正方形の畳が敷き詰められており、流麗な細工が施された格子窓の向こうには、手入れされた広い庭園が見える。
「そうだわ、私……」
直前の記憶を思い出して怖くなった花は体を抱え、ぶるりと身を震わせた。
体調の悪化、自分に群がる異性の群れ、水の妖術、そして……。
突然うなじに噛みついてきた、美しくも恐ろしい黒髪の男性。
(あの人は、なんだったんだろう?)
ひとまず、彼が近くにいないことに安堵する。
噛まれたあとを指で触れると、まだひりひりとした痛みがあった。
(とにかく、部屋を出ましょう)
自分が今、どこにいるかはわからないが、明日も仕事があるのでアパートに帰らなければならない。無断欠勤したとなれば、ますます職場での風当たりが強くなってしまう。
そっと寝台から下りて、裸足のまま入り口にある襖へ向かった。
襖を開けようと手を伸ばした瞬間、反対側から柔らかな女性の声が響く。
「失礼いたします」
「……っ!」
驚いた花は後退し、そそくさと扉から遠ざかった。
「あら、もう起きていらしたのね。お加減はいかがかしら?」
現れたのは母ほどの年齢に見える、着物を着た上品な佇まいの女性だった。
「まったく凪様は加減というものを知らないのだから。運命の番を見つけた喜びは私にはわかりませんけど、相手を気絶させるほど強くうなじを噛むなんて……それも、こんなか弱そうな方に」
女性は何やらぶつぶつと呟いているが、花は彼女の言うことを理解できなかった。
「あの、あなたが助けてくれたのですか? あ、ありがとうございます……」
恐る恐るお礼を言うと、女性は「違いますよ」と首を横に振る。
「あなたを連れてきたのは凪様です。この龍王家のご当主様ですよ」
脳裏にあの男性の姿が思い浮かび、花はきゅっと目を閉じた。
「……もう大丈夫ですので、おいとまします」
本来なら「凪様」という人に直接お礼を言うべきだろうが、もしその人が花を噛んだ張本人だとしたら、会うのが恐ろしくてたまらない。
「今日はここで休んでいかれた方がいいです。お怪我もしておられますし」
「ごめんなさい、明日も仕事があるんです……」
「一日くらい休めないのですか?」
「それは……」
花の生活はギリギリだ。働けるときに働いておきたいというのが本音だった。
「あなたが怪我をしたのはこちらの責任です。お休みをした分のお給料は補填いたします」
「えっ……? そんなことをしていただくわけには……」
「心配しなくとも、龍王グループはケチな会社ではありませんから」
「龍王、グループ?」
無知な花でも、その名前は聞いた記憶があった。
(大きくて有名な企業グループ……だったような)
龍のマークの入った会社がたくさんあるので覚えている。
花を助けてくれた相手は、そんなグループの中で「様」を付けられる身分らしい。
まるで考えを読んだかのように、女性は花に優しく頷いて見せた。
「そうです、凪様は龍王グループの御曹司なのです。そして、あなたの……」
続けて彼女が何かを言おうとしたそのとき、突然襖の外から声がかかった。
「番は?」
若い男性の声だ。女性は襖へ近寄りながら、彼の問いかけに答える。
「起きていらっしゃいます。ただ、お怪我の方はまだ……」
「あとは俺が話す。お前は下がっていい」
「それでは、失礼します」
答えると、女性は扉を開けてさっさと部屋を出て行ってしまった。入れ替わりに男性の方が中に入ってくる。
その人物を見て花の体は動きを止めた。
「……っ、ああ……」
彼はまぎれもなく、あの路地で花のうなじを噛んだ相手だった。