48:誘拐
翌日、凪は仕事があるため、朝早くから家を出ていた。
花は季節の模様替えをする静香を手伝いつつ、屋敷でいつものように過ごしている。
すると、一人の使用人が慌ただしく走ってきた。
「なんです、そのような雑な動きは、龍王家の者として恥ずかしいですよ」
静香に注意された使用人は、謝罪しつつ用件を述べる。
「申し訳ございません。凪様からの連絡がありましたので……これを」
彼女が差し出したのは、凪が仕事で使うであろう書類だった。
「こちらを持ってきてほしいと」
花と静香は顔を見合わせる。
「あ、でしたら、私が持っていきましょうか。昼には凪さんに会いに行く予定だったので」
使用人から書類を受け取った花は、静香の許可を待つ。
「そうですね。それでは凪様にそのようにお伝えしておきましょう」
静香にお礼を言った花は、そのまま「行ってきます」と玄関を目指した。
(凪さんから、絵里香さんに注意するよう言われているけれど)
屋敷から自家用車で運転手に会社まで運んでもらい、凪の働くフロアまで行けばいい。
一人で外を歩くわけではなく、安全な道のりだと思われた。
車は滞りなく凪のいるオフィスビルの正面に到着して花を下ろす。
書類を持った花は車を降りて、凪のいる場所を目指した。
いつものように受付を済ませ、エレベーターへ乗り込もうとする。
すると、後ろから強引に腕を引かれた。
「……っ!?」
花は体勢を崩し、その場に尻餅をつく。書類が床にばらけた。
「い、痛……」
自分の腕を引いた人物を見ようと顔を上げた花は、目を見開き声を失う。
「あ……ど、うして……」
そこに立っていたのは、もう関わりのないと思っていた双子の妹と弟、茜と蒼だった。
「相変わらず、イライラする顔だわ」
「お前のせいで、うちはいま大変なことになっているんだぞ。どうしてくれるんだ!」
急にそんなことを言われても意味がわからず、花はただ困惑する。
「こ、ここは、関係者以外立ち入り禁止で……」
困りながらも、花が勇気を出して訴えていると、カツカツとフロアにヒールの音が鳴り響き、茜たちの後ろにもう一人の人物が現れた。
「……っ!?」
サングラスをかけているが、その堂々とした立ち振る舞いや隙のない姿には見覚えがある。
(絵里香さん? どうして茜たちと一緒にいるの?)
前に出会ったときと同じように、絵里香は見下したような視線で花を見下ろす。
だが、すれ違っただけの前回とは異なり、彼女にはこちらを害そうとする明確な悪意が見て取れた。
「あら、私は関係者よ? ここの重要な取引先の一つは父の会社で、私は凪様の婚約者ですもの」
前に凪が言っていた話が花の頭をよぎる。
彼女はまだ、凪が自分と結婚するものだと信じているらしい。
それは違うと訴えたい。
しかし、ここで花が反論しても意味はないどころか、絵里香の感情を逆なでするだけだろう。
「あなたこそ、こんな場所に立ち入れる身分じゃないでしょう? 野暮ったい庶民は、洗練されたオフィスに不釣り合いだわ」
「わ、私は、凪さんに……」
書類を届けに来たという、れっきとした理由があると言おうとしたが、それは絵里香によって遮られた。
「凪様でしょ? 口の利き方に気をつけることね。あの方は、お前ごときが気安く呼んでいい存在じゃないの」
そうして、絵里香は茜と蒼に命令する。
「この身の程知らずなΩを連れて行きなさい。ここは人目があるから、エレベーターで地下駐車場へ」
上から目線の物言いで命令され、茜と蒼が動き出す。
二人は下りてきたエレベーターの中に、抵抗する私を押し込んだ。後ろから絵里香も乗ってくる。
不機嫌そうな蒼が乱暴に地下二階のボタンを押した。
茜も蒼も、他人から命令されることを受け入れる性格ではない。
なぜ、絵里香の言うことを黙って聞いているのだろうか。花は不思議に思った。
(何か弱みを握られたり、もしくは脅されたりしているの?)
絵里香は凪の婚約者候補として名乗りを上げられるくらいの家の出だ。
うちの実家を脅すくらい簡単にできてしまうのだろう。
凪の警告が再び頭の中に浮かび上がってくる。気をつけるように言われていたのに。
エレベーターが地下二階へ着いたタイミングで、再び花は抵抗する。このままどこかへ連れて行かれるのは嫌だし、そのことで凪に迷惑をかけるのはもっと嫌だ。




