43:特別な感情
事件から数日、ヒートが終わった花は徐々に日常を取り戻している。
今は部屋で一人、物思いにふけっているところだ。
あのあと、花は絢斗からは直接謝罪された。
彼もフェロモンに当てられただけで、花を襲うつもりなんてなかっただろう。
だから花も彼に、助けてくれた礼を言うにとどめた。
千秋は世話係をクビになり、身一つで屋敷を追い出されたらしく、ほかの世話係たちも次々に粗が見つかり解雇された。
正直、何が起こっているのか理解する前に、周りの環境がガラッと変わってしまい、花は困惑している。
そして、花の世話は静香や彼女と同年代の女性たちが引き受けることに決まった。
若い女性だと、どうしても凪に目が行ってしまうというのが理由らしい。
その点、静香は凪を息子のような目で見ている部分がある。
今まで以上に花の世話係に選ばれる女性の経歴は精査され、下心を抱く者は省かれていると花は静香に教えてもらった。
龍王家にとって、番に危害を加える行為は、そこまでの重大な事件なのだ。
凪が何らかの手を打ったのか、花が街のど真ん中で発情した情報は、一切ニュースにならなかった。
花は落ち着いた生活を送っており、凪との距離もさらに縮まった。
あのとき、必死に花の放つフェロモンに抗おうとし、何よりも花を気遣ってくれた凪。
(ヒートに抵抗する術などないし、番である凪は通常よりもその作用が酷かったはずなのに)
どこまでも誠実な彼に対し、花は心を許すように変化していた。
凪もまた、花を大切に扱い、優しく接してくれている。
そして……彼は花と両想いになることを望んでくれているのだと知った。
それを、どうしようもなく嬉しく感じてしまう。
誰かに必要とされる経験が、これほどまでの安心感を花に与えてくれるとは。
(いいえ。きっとこれは、相手が凪さんだからだわ)
花はもう、凪に気を許している。そういう自覚はあった。
(そう、私……凪さんが好き。好きなんだわ)
改めて気づくと恥ずかしくて、花は火照った顔を俯け両手で覆った。
なんて、身の程知らずな想いだろう。
(私が凪さんを好きだなんて、おこがましいわ。でも、この気持ちは変えられない)
初めて知る感情に花は酷く困惑した。
(いいえ、難しいことを考えては駄目。子供を作るなら、嫌いな人よりも好きな人との方がいい。凪さんだってそう言ってくれていたし)
花と凪は結婚式も挙げた夫婦であるし、自分の気持ちこそ伝えていないものの、両想いになった。
(でも、子供は、もうちょっと待って欲しいわ)
心の準備ができていない。体の関係はまだ早いと思ってしまう。
ぼうっとしていたら、外から凪の声が聞こえた。
「花、いるか?」
「凪さん!」
花は慌てて襖を開けて彼に応対する。ほんの少し、気分が浮き立った。
「お、お帰りなさい。お仕事お疲れ様です」
「ああ。花は体調に問題はないか? 困ったことは……?」
「今は体も安定していますし、静香さんたちのおかげで落ち着いて過ごせています」
「よかった。何かあれば、なんでも私に話すんだぞ」
「ありがとうございます」
凪はそっと花に歩み寄る。
彼が僅かに醸し出す甘い空気に、花の胸は高鳴った。
「あの、な、凪さん……?」
「花の姿を見ると癒やされる」
凪の大きな手に髪を掬われ、花は恥ずかしくなって目を泳がせる。
「そうでしょうか」
「ああ。やはり、お前は特別だな」
フッと笑った凪は、わかりやすすぎる花の好意を感じているだろうか。
彼のことは信頼しているが、やはり尋ねる勇気を持てない花は、そのままもじもじと曖昧な会話を続けるのだった。




