35:豹変
花は使用人の女性――千秋と一緒に、順番に高級店を回ることになった。
しかし、店に入るだけで気後れしている花は、買い物をするどころではない。
周りに促され、中に足を踏み入れては、一人おろおろと戸惑うばかりだ。
対照的に千秋は慣れた様子で、護衛の男性を巻き込み買い物を楽しんでいる。
「ラッキー。花様の付き添いだから、これは経費で落としていいんですって。皆にもお土産を買って帰らないと。ああ、行き先をここに決めてよかった」
千秋は次々に服や小物を買い込んでいる。相当な数だ。
少しだけ、花はモヤモヤした気持ちになった。
(『事前に行き先を相談してほしかった』なんて、考えるのは罰当たりよね。うん、外出させてもらえるだけで十分)
千秋と護衛たちは、その場だけで盛り上がっている。
一緒に出かけたら、使用人との距離が縮まるかと思ったが、そんな淡い希望はあっさり打ち砕かれた。
「ちょっと買いすぎたかな。『花様のぶん』って言えば大丈夫よね。あの人、全く買ってないし? Ωの嫁のためなら、龍王家はお金を惜しまないでしょ?」
千秋の話を聞いていた花は、徐々に不安を覚え始めた。
自分のせいで龍王家のお金が無駄に払われている。
でも、臆病な花は、仲間内で盛り上がっている彼女たちに強く言い返せない。
結局、何も言えないまま、いくつかの店舗をあとにした。
千秋も護衛たちも、もはや花の様子は気にならないようで、特に声を掛けられることもない。
「私、次は、あそこの店に行きたいわ。皆、移動しましょう!」
ついに千秋が場を仕切り始めた。花は遅れて彼らの後をついていく。
もう誰も、花のことなど振り返らなかった。
ないがしろにされ悲しい気持ちになりながら、一人でのろのろと進む花だが、そのとき微かに体に違和感を覚える。
(ちょっと、怠いような……? 予定より早めだけれど、ヒートの前兆かもしれない)
薬をもらおうと、花は先を歩く千秋に声をかけた。
「す、すみません。お薬を、抑制剤をください」
花の持ち物は今日、千秋が管理している。
彼女のバッグの中に、薬も入っているのだ。
店の手前で振り返った千秋は、目先の楽しみを邪魔されたことに、あからさまに不機嫌な顔を見せる。
凪や静香の前とは違い、花の前では取り繕う必要もないと判断しているようだ。
それでも、花には薬が必要だった。
頼んでいるうちに体が熱を持ち始め、ますます容体が悪くなっている気がする。
なのに、千秋はなかなか薬を出してくれようとはしない。
「あの、早く薬を……」
「……い……ね」
「へっ?」
小さく呟く千秋の言葉を聞き返す。
すると、千秋は今までに見たことのないくらい怖い顔で花を睨んできた。
「うるさいわねって言ったのよ! 庶民出のΩ風情が、この私に命令するなんて! 身の程をわきまえなさいよ!」
「どういう、ことですか?」
世話係の仕事に就いてから今まで、千秋は花に対してずっと、そんな風に思っていたのだろうか。
(最初から私を憎んでいたの? 世話係になったのは贅沢な買い物をしたいから? それとも凪さんが目当て……?)
驚きとショックで目を丸くする花だが、ついに気分の悪さでその場を動けなくなってしまう。
自分の呼吸の音だけが、やけに大きく聞こえた。
顔を上げると、涙でにじむ視界の中に、護衛たちがフェロモンの影響で苦しんでいる光景が映る。
「あはは! あんたなんか、凪様に全然ふさわしくない! そこらのつまらない男にマワされて凪様に捨てられればいいのよ!」
ドンッと突き飛ばされ、花は固い石畳の地面に転んで体を打ち付けた。
「ううっ……!」
「安心して? 言い訳は適当に考えてあげるから。花様が急にどこかへ駆けだしてしまったとかね? 正気を取り戻した護衛も、きっと保身から口裏を合わせてくれるはず」
荷物持ちをしていた護衛の手から、ブランド店の紙袋を回収した千秋は笑いながら、足取りも軽く、その場を去って行く。
花のフェロモンは、恋愛対象が女性である相手にしか通用しないのだ。




