1:愛のない契約結婚
ここ最近では珍しく、濁りのない空は快晴だった。
力強い太鼓の音に導かれ、慣れない草履で砂利を踏む。
古式ゆかしい白無垢に身を包み、綿帽子をかぶった花嫁――春川花は戸惑うようにくるりと辺りを見回した。
(どうして、こんなことになってしまったの)
神社の境内を進む花嫁行列は多くの参拝者に注目されている。
過去に遠目から花嫁行列を目にした記憶はあったが、まさか自分が見られる側に回るなんて思ってもみなかった。喜びよりも戸惑いが勝る。
後ろを歩く自分の家族をそっと振り返ると、険しい憎悪の視線が返ってきた。
両親も妹弟も、この結婚を祝福していないのだ。
慌てて彼らから目を逸らし、花は前を向く。
川にかかる石橋を渡ると、前方に境内が見えてきた。
立派な建物に目を取られているうちに、石に躓きバランスを崩してしまう。
「きゃっ」
よろける花を、すぐ傍にあったたくましい腕が支えた。立派な黒紋付の袖には皺一つない。
「気をつけろ」
「……すみません」
隣を歩む新郎は堂々としていて、まるでこんな場面に慣れきっているように思えてしまう。結婚式は互いに初めてのはずなのに。
うっすらと瞳孔が縦に細まる彼の瞳は、妖混じりの特徴だ。
そんな新郎を見ていると、つくづく思う。
(やっぱり、私なんて彼に相応しくないわ)
先ほどから、目だって一度も合わない。彼が花に関心のない証拠だ。
(それはそうよね。だって……)
花は条件だけで求婚された、愛のない契約花嫁なのだから。
※
数ヶ月前、花は郊外の寂れたビルで清掃のアルバイトに精を出していた。
簡単に就けて休みやすく、給料が手渡しで、必要最低限の会話をするだけで済む仕事だ。
そういう場所だから、集まってくる従業員の質も悪い。
休憩時間、更衣室のベンチで花が休憩していると、同じ時間に働くパート従業員たちがやってきた。全員が年上の女性だ。
「あー、見つけたぁ。こんなとこで油を売ってたんだ」
「あんたって禄に仕事できないんだからさぁ。休憩返上で働いた方がいいんじゃない? 若いんだし、体力あるでしょ?」
一人に強く突き飛ばされ、バランスを崩した花は倒れて床に転がる。楽しそうな笑い声が上がった。
無理に体を庇ったせいか、腕がズキズキと痛む。
彼女たちは報われない職場で日々溜まった鬱憤を、花に辛く当たることで晴らしている。
気が弱い花の態度は、いつも周囲をいらつかせてしまうのだ。
「春川さん、なんでここで働いてんの? 大人しく親に養ってもらえばいいのに。履歴書見たけど、生活に困っている家には見えなかったよ。私たちに対する嫌味?」
他の従業員も、花を突き飛ばしたパートの肩を持った。
「その親にも見捨てられているんじゃないの? 着て来る服もヨレヨレだし、いつも小汚いもんね?」
「なんとか言ったら?」
「ちょっと、その子に近づきすぎないほうがいいって。汚いのがうつるよ」
どうにか身を起こした花は、「すみません、すみません」と、床に這いつくばったまま彼女たちに頭を下げ続けた。
身綺麗にできないのには理由があるが、彼女たちに逆らったところで損しかない。
辛くても、この仕事を辞めさせられる訳にはいかないのだ。
時給は最低賃金で、勘当同然で一人暮らしを始めた花の生活は苦しく、これからどうやって生きていけばいいのかさえわからなかった。
(ここをクビになったら、生活できない……)
家族は花に出戻られることを望んでいないため、家にも帰れない。
戻ったとして、部屋も食事も生活費も与えられるとは考えにくい。
不安で仕方がないが、それでもなんとかやっていくしかないのだ。
今年で十八歳の花は、成人している。
叶うならば、もっと割のいい仕事に就きたかった。でも、それはできない。
(私は、Ωだから)
――第二の性、それは二次成長期が来てからの花の目下の悩みだった。
この世には男女の他に、α・β・Ωという三つの性別がある。
αは能力の高さ故に社会的な強者が多く、容姿端麗・頭脳明晰・文武両道という特徴を持つ性。
プライドが高い、競争の性でもあるため、α同士の間にも常に明確な順位付けが存在する。
人口の大半を占めるβは、平均的な能力の普通の人々。
第二の性に翻弄される機会は少なく、昔からの生活を踏襲している。
ある意味、一番平和な性だ。
そして、人口一パーセント以下の、非常に珍しい性であるΩ。
Ωは子供を産むための性で、男女問わず妊娠できる。
しかし、それ故に弊害も多い。
月に一度強制的に訪れる発情期は彼らを苦しめ、定職にも就きづらくさせている。
男女以外の性別が出現し始めたのは、おおよそ三百年前。
第二の性が出始めた原因は、かつて人の世に足を踏み入れた妖と人間との混血が進んだ結果だと言われており、αは妖の血が濃いというデータが出ている。
αの中には妖術を扱える、「先祖返り」と呼ばれる者もいた。
人々はαをあがめる一方でΩを差別し見下した。
理由としてはΩへの忌避感があるからだろう。
Ωが発情期に出すフェロモンは、他の性別を巻き込む厄介な性質を持つ。
フェロモンに当てられたαやβは理性を飛ばされ、意思に反して発情状態に陥ってしまうのだ。
これらは、Ωが社会で働けない一因にもなっている。
周囲に迷惑をかけないようにと、花も他者との関わりが最低限で済む職を敢えて選んでいた。
まだ発情期が訪れた経験はないが、発情はΩである限り逃れることができない現象だからだ。
具体的な知識を持っていなくとも、Ωに発情期が来るという情報はなんとなく知っている。
Ωは数が少ない上に、Ωである事実を隠している場合が多い。
だから情報も出回らない。
それに、通常ではインターネットで手に入る知識も、花には得る手段がない……。
一人暮らしの部屋にはインターネットはおろか、スマホすらも置いていないからだ。
実家でもそれらに触れることは許されず、親しい知人もおらず、頼れる先もない。
(十八歳になったから、スマホの契約は一人でできるはずだけど)
Ωに付随する諸々が花の気を重くさせる。
花は運転免許も持っていない。唯一手に入れられた身分証である保険証には、性別の欄にΩの文字がしっかり記載されていた。
だから、身分の提示が必要な全ての店を花は使用できずにいる。
Ωと印字された性別欄を奇異の目で見られることに、花は絶えがたい劣等感を抱いていた。
(確証のない噂だけど、Ωだとわかった途端に、あからさまに店員の対応が悪くなったり、酷ければ店を追い出されるって話を聞いたわ。それに、面白半分に身分証や書類に書かれたΩの住所に押しかける人がいるという話も……。もしそんな事態に陥っても、私には守ってくれる人がいない)
ボロアパートを借りたとき以来、身分証明書は使っていないし、普段は自分の性別をβだと偽って生活している。
(実家でも、ずっと隠せと言われてきたもの。やっぱり第二の性別が露見するような真似は、できる限り避けるべきね)
第二の性別が発覚して以来、学校にも行けず、情報が遮断された世界で生きてきた。
だから、難しいことは何もわからない。
ただ、今の世の中はとりわけΩに厳しく、Ωでいる限りは楽な人生を歩めないという事実だけは、身をもって知っている。