18:当主の人生
花の過去を聞いた凪は、今すぐ春川家に引き返し、妖術で家ごと押し流してしまいたい衝動に駆られた。
驚いたことに、自分は番を傷つけられた行為に対し、怒っているらしい。
彼女の悲しそうな顔を見るのは我慢ならなかった。
自分の心境の変化について行けない。
そして、自分に礼を言う花の、弱々しい笑顔を守りたいとすら感じてしまった。
(信頼を寄せられるのも悪くないかもしれない……なんて、私は何を考えているのだ)
思えば、他人の家で妖術を使ったのも異例の出来事だった。
あのときの自分は、番が他人に傷つけられるのを許せないという衝動に抗えなかったのだ。
(これは、番に対するαの本能だろうか)
だとすれば、とても厄介だ。
日に日に、凪は花を放っておけなくなっている。
(きっと気の迷いだ)
勝手に湧き上がってくる気持ちを振り払うように、凪は眉間に力を入れてぐっと目を閉じた。
※
番の両親に挨拶に行き、花を屋敷へ送り届けたその足で、凪は仕事に向かった。
あちこちを駆けずり回りながら、処理できていない業務を片付けていく。
苦ではないし、凪はこうして仕事をしていることが、αである自分の価値だと思っている。
龍王家の跡取りであり、先祖返りでもある凪は、多少の無理をしてでも、誰よりも立派であるべきなのだ。
(体力的にきつくても、弱音は許されない)
弱い者は一族の長に相応しくないからだ。幼少の頃から、凪はそう教えられてきた。
凪は過去に比べて衰退しつつある龍王家に生まれた念願のαだ。
しかも強い妖力を操れる先祖返りだったから、周囲の期待も生半可ではなかった。
すぐに龍王家の跡取りとして一族に歓迎され、最高の教育環境を与えられた。
彼らの思いに、凪は素直に応じた。
そうするのが当然だと感じていたし、αの本能として自分を磨き競争に打ち勝つのは嫌いではなかった。
次の龍王家を支える者として、自分は誰よりも完璧であらねばならない。
凪はずっとそのように考えてきたのだ。
気がかりだった跡取りの件も、運命の番を手に入れたことで解決した。一族は花を歓迎している。
代々、龍王家当主の妻はΩが多い。
だから、古くから龍王家にいる者ほどΩを大切にする。
春川家を見る限り、一般人の感覚は違うようだが。
凪自身も、花を妻とするからには、最低限の礼儀を持って接するつもりでいる。
もっとも、肝心の花は未だ凪を恐れていた。
(無理からぬことだろうな)
あのような環境で育った女を、強引に番として連れてきてしまった。
恐怖心を抱かれない方がおかしい。
仕事に忙殺され、屋敷に帰り着いた頃には日付が変わっていた。
長い廊下を進んでいた凪の足は、無意識に花の部屋へ向かう。
書類上は夫婦となっているものの、未だ凪と花は別の部屋で眠っていた。
凪は帰りが遅くなることが多いし、花は凪を警戒している。
契約結婚だと言い出したのは自分だが、とても夫婦などと呼べたものではなかった。
そっと花の部屋を覗くと、彼女は既に就寝していた。
直前まで何か作業でもしていたのか、デスクライトが点けっぱなしになっている。
明かりに照らされた寝顔は、年齢の割にあどけない。
(……何をしているんだ、私は)
凪は小さくため息を吐いた。
跡継ぎを残す目的だけで結婚した女の様子を見に来るなんて、普段の自分の行動からは考えられない。
(きっと、疲れているせいだ)
静かにライトを消した凪は、そのまままっすぐ自分の部屋へ向かった。