16:花の過去
「どうしてお前は言われっぱなしなんだ。家族に事実を言えばいいだろう」
ちょっとしたことで怯える花に呆れながら、凪は車内で問いかけた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、もうしません! 許してください……!」
責めたわけではなかったが、花はさらに怯え、凪から距離を取ろうとする。
だが、ここは運転中の車の中なので逃げるのは不可能だ。
「いちいち謝るな」
「ごめんなさい、叩かないで、閉じ込めないでください! 謝りますから! お願いします!」
「……っ!?」
急に大きな声を上げた花を前にしてやっと、凪は彼女の様子のおかしさに気がついた。
(目の焦点が合っていない)
恐慌状態に陥ったように謝り続ける花の瞳は凪ではなく、ここではないどこかを見つめている。その様子は異質だった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、すみません、嫌ぁぁぁぁっ!」
「落ち着け!」
凪は我を忘れる花を抱えて、正気に戻そうと揺さぶる。そうしながら、内心かなり動揺していた。
彼女の態度は、明らかに日常的に虐待されている者のそれだ。
仕事の慈善事業の一環で、凪は虐待されていた子供の保護施設を訪れたことがある。
今の花は、そこにいた子供と同じ状態に見えた。
揺さぶり続けていると、徐々に花の目の焦点が合ってくる。
「あ、あれ……私……」
「正気に戻ったか?」
「あっ、す、すみません! 私、あなたになんてことを!」
また謝ろうとする花を制止して、凪は深呼吸した。そうしないと同じことを繰り返してしまいそうだったからだ。
責めるような言い方は花に逆効果で、ひたすら萎縮させてしまうだけ。
(ここは、目的遂行に必要な手段をとるべきだ)
怖がらせれば、彼女は謝罪するばかりになり、意思疎通が成り立たない。
だが、普通の会話というのも難しい。こんなに他人に気を遣うのは初めてだった。
「春川家の家族との間にわだかまりがあるようだが」
「……っ! その、申し訳……」
「だから、謝るな。今日のことで、互いについて、もっと知る必要性を感じた。お前の実家での暮らしについて聞かせて欲しい」
花は驚いたように顔を上げ、まじまじと凪を見つめる。その顔にはあどけなさと、Ω特有のなんとも言えない色香が漂っていた。
「私の、実家での暮らし?」
「そうだ」
「……。今日、びっくりしましたよね? 特に面白くありませんが、それでよければ」
花は遠慮がちに凪に向かって自分の過去を話し始めた。
「……幼い頃から、私は愛想のない子供で、弟や妹のように両親に接することができなくて、家族内で孤立していたんです」
おそらく、花は親にとって、可愛がり甲斐のない子供だったのだろう。
αの家ではむしろ、そういう手のかからない自立した子供が重宝されるが、βの家庭は違うようだ。
「家事と弟や妹の世話は私の仕事だったのですが、不出来なので親から罰を与えられることも多くて。よく庭の物置に閉じ込められていました。それでも、中学の途中までは普通に暮らせていたのです」
途切れがちに、花の話は続く。
本人は自分が悪いと思っているみたいだが、彼女はいわゆる搾取子であり、親の暴言や暴力を一身に浴びる役目を課せられているだけだ。
そして、年の割に幼い言動が目立つ下の二人は、親から無責任な愛情を向けられた愛玩子なのだろう。
初めて見ただけでも、凪には春川家の歪さがわかった。
花一人を生贄にすることで、あの家はチームワークを築き上げ家庭を保っている。