14:家族との対面
いつも以上にめかし込んだ母は、うっとりした目で凪を見つめたあと、嫌悪感を隠さない瞳で花を見た。
その顔には「二度と戻ってくるなと言ったはずだ」という、怒りの感情が表れている。
「昔から、花は愚図で気の利かない子でして。あなたとの結婚についても先日初めて知ったんです。申し訳ないですわ。今の今までこちらに何の連絡もせずに。凪さんの手を煩わせて恥ずかしくないのかしらね」
すっかり縮こまった花は、母の冷たい視線から逃げるように凪の後ろに続いた。
真の試練はこれからだ。
家に上がると、かつて暮らしていた頃の懐かしい香りがし、胸が苦しくなる。
小さな飲食チェーンを営んでいる両親のおかげで、我が家は三人の子供がいても、それなりに余裕を持って暮らすことができた。
もっとも、花のために使われるお金は食費くらいのものだったが。
一応は社長夫人である母に案内されて足を進めると、応接間に父と、双子の弟である蒼や妹の茜が揃って、だらしなくソファーに座っていた。
社長一家ではあれど、花の家族にはマナーや教養がない。両親も妹弟もそっち方面には興味がないのだ。
幼い頃からの教育で洗練された凪の佇まいとの差異が明らかになる。
そこにいる全員が全員呆けた顔でまじまじと凪を見ていた。
続いて、憎々しげに恨みがましい視線を花へ移す。
「あんなことがあったのに、よくもぬけぬけと我が家に顔を出せたわね。恥知らず!」
「静かにしろ。お客様の前だぞ」
茜と父が小声で話す内容が、そのまま花の耳に聞こえてきた。
注意された茜は、不満げな顔を父ではなく花に向ける。
昔からそうだ。妹にとっての「嫌なこと」は、何故か全て「花のせい」になってしまう。
先ほどの会話は隣にいる凪にも届いているだろうが、彼は表情を崩さず母のときと同じように三人に挨拶した。
「ねえ、本当に龍王凪様よね! 画面越しよりも遙かに格好いいんですけど!」
龍王グループの御曹司である凪は、テレビや雑誌の特集で取り上げられる機会もあり、その容姿も相まってファンが多いと静香が言っていた。
茜が身を乗り出し、蒼も苦笑しながら彼女に同意する。
「そうだね、茜。テレビで見るより迫力があるね」
「でしょでしょ? 蒼もそう思う? さすがαだよね!」
「うん。でも不思議なのは……」
二人の目が揃ってスッと鋭くなる。
「どうして、そんな人が……アレと結婚するんだろう?」
アレとは花を指す言葉だ。
小さな頃は二人とも花を蔑みながらも「お姉ちゃん」と呼んでいた。
だが、第二の性別が明らかになったあたりから、まるで汚らわしいものでも見るような目で、花を「アレ」と呼び始め、それは今も続いている。Ωと診断されてから、花は彼らにとっての家族ではなくなったのだ。
「ねえねえ、凪様程の人が、姉のどこをそんなに気に入ったんですかぁ? 陰気だし、一緒にいてつまらなくありません~?」
鼻にかかった甘い声で、茜が凪に問いかける。
「そうそう、学歴だって中卒ですよ? どう考えても、あなたには姉より相応しい相手がいるんじゃないですか?」
蒼も茜の言葉に同意する。
確かに花は中卒だ。でも、それは、花の進学を二人が……特に蒼が反対したからだ。
両親に少しでも振り向いてもらいたくて、子供時代の花は学校での勉強に力を入れた。
結果、学年で一番優秀な生徒になれた。
しかし、両親は花を褒めるどころか、成績にコンプレックスを持つ弟や妹の気持ちをわかってやれなどと言う。
跡取りの蒼は姉と比べられるのを嫌い、義務教育の頃から花に冷たい態度を取るようになった。
花と比べて勉強嫌いで成績が良くない蒼の気持ちは、努力よりも他人を蹴落とす方へ向いてしまったのだ。
彼の肩には次期社長への期待と重圧がかかっていたため、花の存在はプレッシャーでしかなかったのだろう。
なにかと花の高校進学を反対していた蒼だが、両親の世間への見栄もあり、高校までは花が公立の学校に通える目処が立っていた。
ところが、花の性別がΩだとわかった途端、家族全員が掌を返したように彼の意見に同意した。
孕むしか能のないΩに勉学は不要とのことだった。
昔を思い出し、さらに俯く花に目もくれず、弟は話を続ける。
「それに、ご存じですか? 姉の第二の性別は……」
続く、蒼の意味深な言葉を聞き、茜はくすくすと満足げに笑った。
「そうそう、Ωなのよねえ」
父は建前上、二人を止めようと注意するが、それは振りだけであとは野放し。
幼い頃からずっとそうだ。彼はとにかく弟と妹に甘い。
「本当にはしたないわよね、アレと血が繋がっているなんてゾッとするわ。それに見てよ、あの身の丈に合わない高そうな服」
「家を追い出されたかと思えば、あんな格好をして帰ってきて。ぜんぜん似合ってない。なんでアレごときが……」
「きっと、体でも売っていたんじゃない? Ωだから、そういうの得意そうだし?」
「茜ちゃん、やめなさい。凪さんの前なのよ?」
さすがに見かねたのか、きゃはきゃはと笑う茜を母が注意する。
だが、彼女の行動原理も父と同じだ。
「だって、それならなおさら、凪様にも教えてあげなきゃ」
反論する茜は、ほの暗い笑みを浮かべて凪に向かって身を乗り出した。
「凪様。さっきも言ったけど、その女の性別、Ωですよぉ~?」
「……?」
放たれた言葉の意味が理解できず、凪は返答を避けたようだ。黙って茜の言葉の続きを待っている。
「姉のことだから、第二の性別をβだと偽っていると思いますけど。この女の正体は淫乱なΩなんです~! さっき蒼も言ったように、ちょっと顔がいいだけの中卒なの。凪様にはまったく相応しくない!」
ここへきて、凪はようやく茜の意図を理解したらしく、何かを考えるそぶりを見せた。
花は隣で何も言えないまま、成り行きを見守っている。
(お客様の前だから、いつもより罵倒の言葉が緩いけれど。私一人だったら、この程度では済まされないでしょうね)
今だけは、凪がいてくれて助かったと思えた。
「遊び相手だったら、ちょうどいいですけどぉ。Ωなんかを妻にしたら後悔しますよ? あっ、遊び相手でも不味いかも。体を売ってるから、性病持ってるかも知れないしぃ~?」
けらけらと花をあざ笑う茜を前に、凪は表情一つ変えずに告げる。
「私は、花さんがΩだと理解した上で求婚した。それに、彼女の服は私がプレゼントしたものだが」
「……へっ?」
「結婚するに当たり、立場上、相手の身辺捜査はしてある。花さんの職業はビルの清掃員で、援助交際どころか異性との交際経験もないことは確認済みだ。あなた方こそ、どうして成人したばかりの身内の職業すら知らない?」
瞬間、茜を含めた家族全員の顔が凍り付いた。