13:結婚の挨拶
ここでの花の扱いは、今までの暮らしからは考えられないものだ。
(慣れることはないでしょうね)
丁寧に接される度に戸惑うばかりで、自分がこの場にいるのは不相応だと心が苦しくなる。
そして、花の心労に追い打ちをかけるのが凪の存在だ。
仕事が終わったあと部屋にやってきた彼は、またしても花の返事も聞かずに全てを決めてしまう。
「お前の家族に会いに行くぞ」
開口一番、そう言い放った彼を前に、花は震えながら息を呑んだ。
「こ、困ります……勝手に……」
「結婚するからには、お前の親に挨拶をしなければならないだろう」
「それなら、あ、あなたのご両親にも?」
「必要ない。『運命の番』の出現に二人とも諸手を上げて喜んでいる。全て私に任せるそうだ」
「そう、ですか」
凪の両親に会わなくていいのは助かるが、花は自身の家族にも会いたくなかった。
勘当同然で家を出たのに、今度顔を見せれば、どんな目に遭わされるかわかったものではない。
しかし、凪に真実を告げることもできなかった。
(あまりに自分が情けな過ぎて、誰にもあの家での醜態を知られたくない)
だが、花が何を言っても、凪は自分のやりたいことを強行する。
こうなってはもう、諦める他なかった。
※
次の休みの日、静香によって綺麗な服を着せられ、化粧を施された花は、きっちりしたスーツを身に纏った凪に連れられて実家へ向かった。
予め彼の部下が両親に連絡していると聞いていたが、それでも不安は拭えないどころか増すばかりだ。今すぐ逃げ出してしまいたいと花は縮こまった。
だが、無情にも花たちの乗る高級車は順調に道を進み、とうとう花の実家へ辿り着いてしまった。もう戻ることはできない。
凪の屋敷から数駅先の住宅街に建つ、周りと比べてやや大きな家。
僅かばかりの庭には最低限手入れされた樹木や駐車場があり、奥には古びた物置がぽつんと置かれている。
最近見た夢を思い出し、花は足が竦んだ。
「どうした? ぐずぐずするな」
苛立ちを隠しもしない凪がチャイムを鳴らして花を促す。花は重い足取りで一歩、また一歩と玄関を目指した。
そして、凪が玄関の前に立つと、ガチャリと音を立て、白いペンキが剥げかけの玄関の扉が開く。現れたのは花の母だった。
彼女は驚きに目を見開き、両手を口元に当てながら凪に挨拶する。
「まあ、ようこそおいでくださいました。事前にお電話をいただいたときから、何かの冗談だと疑っておりましたが、まさか……本物の龍王グループの御曹司が来られるなんて」
対する凪は、極めて事務的に母に挨拶を返した。
「はじめまして、龍王凪と申します。この度は花さんとの結婚のご挨拶に伺いました」
花の前では一度も名前を呼んだことがないのに、すらすら吐き出される彼の言葉は流暢だ。
だからこそ、余計に二人の結婚が愛のない契約なのだと思い知らされる。
両手をぎゅっと握った花は、いつものように俯いた。
(必要に駆られた契約でなければ、龍王グループの御曹司が私を妻に望むはずがない。彼自身もそう言っていたけど……あんまりだわ)
この結婚だって、どうせ子供が生まれるまでのこと。
目的が達成されれば、彼は事務的かつ強引に花を追い出すに違いないのだ。
そうしてきっと、別の企業グループの優秀なαと再婚するだろう。
花には、凪の行動に抗う力なんてない。ただこれまでのように、黙って流されるだけ。
(ずっとそうして生きてきたもの……)
今まで暮らしてきた経験から、花は全てを諦めきっていた。