10:迎えと退職届
「じゃあ、なんの薬? あ、もしかして生理? 痛み止めなら、誰かの落とし物が机にあったよねえ? だいぶ古そうで埃被ってたけどぉ」
「なら、薬買いに行かなくてもいいじゃん。それ飲めば?」
勝手に勘違いした上に、他人の……それも落ちていた薬を飲ませようとする。
彼女たちの思考が心の底から理解できない。
「い、痛み止めでもないんです」
「はあ? それなら、なんだよ。はっきり言えば? 無愛想だし、ぼそぼそ話すし、見ていて腹が立ってくるんだけど。本当に春川さんは人の神経を逆なでするのが上手だよね」
またいつものように責められ、暴力を振るわれると思った花は、思わず身を竦める。
(早く薬局へ行かなきゃいけないのに。……あっ)
だんだん体に熱が溜まってくることに気づき、花は愕然として自らの体を抱える。
これはきっと、ヒートの前兆だ。この間と同じ現象なので、自分でも理解できた。
呼吸も荒くなり、心臓が早鐘を打ち、意識が混濁していく。
(どうしよう、間に合わない! もう……始まっちゃう)
ぎゅっと目をつむったそのとき、建物の中から誰かが走り寄ってくる足音が聞こえた。
続いて、昨夜聞いたばかりの声が響く。
「見つけた!」
驚いて瞼を開いた花は、目の前の状況が信じられず、ぽかんと口を開けた。
古びたビルの、汚い従業員スペースに明らかに似つかわしくない、品のある出で立ちの凪が立っていたからだ。
「え、誰? めっちゃ格好いいんですけど」
「あの人、どこかで見た気がしない? ああっ、テレビだ」
「思い出した、龍王グループの御曹司だよ! 前にワイドショーで特集してた!」
凪を目にしたパート従業員たちは、揃って黄色い声を上げてはしゃいだ。
だが、当の凪は彼女たちには見向きもせず、まっすぐ花の方へ歩いてくる。
「おい、お前。また薬を飲んでいないのか。微かに匂うぞ」
「……い、今から、買いに行こうと……思って……」
言い訳すると、凪はこれ見よがしにため息を吐き、ぐっと花の腕を掴んだ。
「帰るぞ。退職届は出しておいた」
「えっ? どういう……」
混乱する花に向かって、同僚たちは興味津々で身を乗り出し、次々に質問してくる。
「ちょっと、春川さん! 御曹司と知り合いなの!? 紹介してよ!!」
「本物? 本物よね? どこで知り合ったのよ!」
「ねえ、龍王様。そんな暗い子より、私たちと話さない? 写真撮っていい?」
勝手にスマホを取り出す周囲を無視し、凪は花の腕を掴んだまま裏口を出る。
他の人は眼中にない様子だ。
「春川さん、どこ行く気? 午後の仕事は? サボるの?」
「薬局へ行くなら、龍王様は置いて一人で行ってきてよ!」
口々に文句を言う同僚たちには、冷たい声音の凪が答えた。
「こいつは今日付で仕事を辞める。もう二度とここへ来ることはない」
訳がわからないまま、花は凪に車まで引きずられて行った。