彼の忘れもの。
それが私にとっての転機だった――――んだと思う。
いつも見つめることしか出来なかった彼に、その日初めて自分から声を掛けることが出来たから。
放課後、廊下で友達とおしゃべりをしたあと、そろそろ帰ろうかなんて言いながら机に荷物を取りに行くと、私のイスの上にスマホが置いてあった。
「え? これ、誰の?」
「そのストラップ、吉田のじゃないっけ?」
「吉田くん……の、スマホ」
教室に残っていた他のクラスメイトに聞くと、彼は既に部活に行ったと言われた。
「え、どーしよう」
「持ってってやったら?」
「う……ん」
にやにやとした顔の友達に肘で突付かれながら、カバンを持って教室を出た。
◇◆◇◆◇
剣道部で、クラスメイトで、隣の席の、いつも感情を抑えたような真顔の吉田くん。
二年生の時、全国高等学校剣道大会個人の部で決勝戦に進んだ吉田くんを、クラス全員で応援しに行った。
張り詰めた空気、高らかに響く竹刀の音、打ち込む時の掛け声。
何もかもが始めて見る光景だった。
手に汗握る試合は、惜しくも吉田くんの負けだった。
試合終了後、燐とした姿で場外に立ち、礼。
仲間や顧問がいる場所に戻っても、吉田くんはなかなか面を外さない。
みんなに何か声をかけられ、背中を叩かれ、頷くけれども、やはり面は着けたままだった。
暫くして、ゆっくりと面を外した彼は、グッと悔しさを堪えたような顔をしていた。
吉田くんは少し俯いて一瞬だけ目頭を押さえると、直ぐにいつもの真顔になって前を向いた。
たぶん、その時、その顔を見て、彼を好きになったんだと思う。
◇◆◇◆◇
「し、つれい、します」
「あ? 見学?」
恐る恐る剣道場の入り口から中を覗くと、壁際で休憩をしていたらしい部員さんに声を掛けられた。
「いえ、あの、吉田くんの忘れ物を──」
「あー。よしだぁ!」
「おー」
渡して下さい、とお願いする前に、吉田くんを呼ばれてしまった。
――――最後まで話を聞いてぇ!
ペタペタと小走りで近付いて来た吉田くんに、ドギマギしながらも、そっとスマホを差し出した瞬間、目を疑った。
いつも真顔の吉田くんが、少し照れたような笑顔で「ありがとう」と言ったのだ。
スマホを渡すときに吉田くんと手が触れ合って、心の中でギャーギャーと悶え叫んでいたら、彼の耳が真っ赤になっていることに気が付いた。
感情をあまり表に出さないと思っていた彼の予想外な可愛さを知ってしまい、更に心の中で叫びまくった。
――――心臓が壊れるぅ。
「山本さん、もう帰る?」
「ひえっ…………うん」
「三十分、待ってて。コンビニで何かおごるから」
「え――――」
待って、気にしないで! そう言葉にする前に、彼は走って消えていった。
――――だから、最後まで話を聞いてぇ!
剣道部の人達はみんなせっかちなんだろうか……。
◇◆◇◆◇
「ねぇ健吾、あの時のスマホって、わざとだったの?」
「ん? …………さぁ? どうだろうねぇ?」
二十歳を過ぎて、同棲して二年、そろそろ結婚しようかなんて話している時に、ふとあの時の事を思い出した。
彼はいつもの真顔で誤魔化したつもりかもしれないけれど、彼が照れたり焦ったりすると耳が真っ赤になるのは、この短くはない付き合いで知っている。
その耳を見る限り、きっと、そういうことなんだろうと思う。
「んふふっ。ばか」
「……煩い」
彼のトラップにまんまと引っ掛かってしまったけど、あの事が無ければ、私達の今は無いのかもしれない。
あの日から、ずうっと幸せだし、感謝しとこう、かな?
─ おわり ─
読んでいただき、ありがとうございます(*´﹀`*)
現在、書き溜めていた短編をちょいちょい放出中です。
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ではでは、またいつか、何かの作品で。