第三話:葛原葛男という化物
「お兄ぃが厄介なのは、基本スペックでゴリ押しして来ないところ。あれだけなんでもできる癖に、油断や慢心がこれっぽっちもない。基本的に初手は嫌らしい曲がり手を打ち、相手の力量や出方をつぶさに観察、そこからゆっくりと敵の勝ち筋を潰していくんです」
「はい、わかります」
先日の裁判が、まさにそれだ。
葛原くんは基本スペックで圧倒しているにもかかわらず、わざわざ敵陣営に内通者を送り込み、慎重に相手の出方を窺っていた。
まぁ結局、網走くんは初手を見破ることができず、そのまま本番当日を迎えてしまい……見るも無残に敗北。
ただ、網走颯は、決して凡人じゃない。
白凰高校の中でも、それなりに優秀な部類の生徒だ。
全国模試でもトップクラスの知能・陸上部のエースを張る高い運動能力、『高校生』という括りにおいては、間違いなくトップレベルの逸材。
しかしそれでも、葛原くんの巧妙な罠に四肢を絡め取られ、まともに戦ってもらうことさえできなかった。
本物の天才には、まるで届かなかったのだ。
「そして最悪なのが……。たとえお兄ぃの曲がり手を見抜き、それを打ち破ったとしても、次に立ち塞がるのは――」
「――世界最高のスペックを持つ、葛原葛男という怪物」
「そういうことです」
初手は陰湿極まりない謀略。
相手がこれに掛かれば、そのままストレート勝ち。
万が一にも看破されれば、すぐさま次の手を打つ。
それを何度か繰り返し、敵の行動パターンや思考の癖を把握した後、圧倒的な『スペックの暴力』で蹂躙する。
(……嫌らしい手口だけど、確かによくできている……)
この隙を生じぬ二段構えを突破するのは、文字通り『至難の業』だろう。
「結さんなら、どうやって彼を切り崩しますか?」
「うーん、そうですねぇ……」
彼女は腕組みをして、唸り声をあげる。
「私だったら……ポジション取りに気を付けます」
「ポジション取り、ですか?」
「はい。お兄ぃは、極々自然に有利なポジションを取るのが、本当に上手なんですよ。どこか思い当たる節、ありませんか?」
「……言われてみれば……」
脳裏をよぎったのは4月の初旬、生徒会メンバーが初めて一堂に会したあの日。
桜さんは副会長の座を賭けて、葛原くんに勝負を挑み――コテンパンに負けた。
あれは彼女の自滅という側面はあるものの……。
葛原くんは自分の得意な将棋+神経衰弱で戦い、圧倒的な勝利を収めていた。
後は……コンピ研でAPEをやったときもそうだ。
葛原くんは最初、私と柚木さんの戦いを後ろでじっくりと観察。
そして十分にデータが集まったところで、彼は軽くこう言ったのだ。
【もう全部視た】
弾劾裁判のときだってそう。
当日までに『勝ち確定』の盤面を築き、本番は特に何をすることもなく、悠々と勝ちを掻っ攫っていく。
思い返せば、常にそうだ。
葛原くんはいつだって、『絶対的に有利なポジション』に立っていた。
相手に悟らせることなく、巧みな話術と自然な展開運びで、最高の場所を陣取っている。
「思い当たるところ、あったんですね?」
「……はい。こうして言われるまで、まったく気が付きませんでした」
「お兄ぃ、そういう姑息な技術に長けているんですよ……」
結さんはため息をつきながら、やれやれといった風に肩を竦めた。
「とにかく、お兄ぃに絶対優位のポジションを取らせないこと! これは絶対ですね!」
彼女はそう言って、話を先へ進める。
「そして次に『情報源』を断たなければいけません」
「情報源?」
「はい、夜霧軽くんという方をご存じですか?」
「確か……金髪ピアスの人ですよね?」
「実はあの人、優秀な『情報屋』なんです。頭とお尻とフットワークが恐ろしく軽くて、あっちこっちと飛び回り、いろいろな情報を仕入れてきます。お兄ぃは彼のネットワークを活用して、いつも相手の一手先・二手先を往く。これを防ぐためにも、夜霧くんをお宝本で懐柔し、致命的な情報を向こうサイドへ流さないようにしなくてはなりません」
「なるほど……」
葛原くんと夜霧くんは、中学時代からの腐れ縁だと聞いていたけれど、まさかそこまで強い繋がりだとは……。
夜霧軽、思っていたよりもずっと重要な人物なのかもしれない。
「初手に指してくる謀略を見抜き、有利なポジションを取らせないように立ち回って、夜霧軽という重要な情報源を断つ。これだけの手順を踏んで、ようやく勝負の舞台に立てるということですか……」
「そうやって『邪道』の勝ち筋を封じたとしても、基礎スペックのゴリ押しという『王道』を通されてしまうので……。結局のところは、お兄ぃと一対一で戦えるだけの実力がいりますね」
「はぁ……まるで物語の中の大魔王みたいですね」
「あはは、あんなに眼の腐った大魔王は嫌ですけどねー」
とにもかくにも、『葛原葛男の倒し方』を伝授してもらった。
この情報は、いつかきっと役に立つだろう。
「――ありがとうございます。結さんのおかげで、葛原くんのことをよく知ることができました」
「いえいえ。こんなのでよければ、いつでも聞きに来てください」
彼女はそう言って、優しく微笑んだ。
「――さて。それじゃ今度は、白雪さんの番ですね」
「……私の番、ですか……?」
「はい! 世界の原則は『等価交換』! これだけ大量の情報を提供したんですから、当然それ相応の見返りはいただきます!」
葛原くんと同じで、こういうところは抜け目ない。
「『見返り』と言いますと、いったい何がほしいんでしょうか?」
「それはもちろん――白雪さんの情報です!」
「えっ」
それはちょっと、いや、かなり予想外の返答だった。
「私、白雪さんのことをもっとたくさん知りたいんです。……駄目、でしょうか?」
「もう……そういうことでしたら、なんでも聞いてください」
結さんには、これまでいろいろとお世話になっている。
見返りなんて大仰な言い方をせずとも、わざわざこんな回りくどいことをしなくても、よっぽどのことを聞かれない限り、なんでも素直に答えるつもりだ。
「ありがとうございます! それでは早速――白雪さんは、お兄ぃのどういうところが好きなんですか?」
「はぃ!?」
思わず、上擦った声を出してしまう。
まさか開幕早々に『よっぽどのこと』が飛んでくるなんて、夢にも思っていなかった。
「す、好きって……っ。私と葛原くんは、まだそういう関係じゃありません」
「『まだ』……? それはつまり、将来的には……?」
「い、今のはちょっとした言い間違いです! 別に深い意味はありません!」
「まったく……お二人とも、素直じゃないところなんか、そっくりさんですねぇ」
結さんはそう言って、ニマニマと意地の悪い笑みを浮かべた。
「ちなみにさっきの質問、『どういうところが好きか?』なんですけれど……これは『異性』としてではなく、あくまで『一人の人間』として、です。さっきあれだけお兄ぃのことを知りたがっていたんですから、少なからずの魅力は感じていますよね?」
「それは、そうですが……」
「別に変な意味もありませんし、ご参考までに教えてもらえないでしょうか……?」
彼女は瞳を潤ませながら、そう頼み込んできた。
さっきお世話になったばかりだし、無下に断ることも難しい。
「はぁ……わかりました。葛原くんの人間的に好ましいところでいいのなら、いくつかお答えすることはできます」
「ほんとですか!? ありがとうございます!」
さっきまでの悲しそうな顔はどこへやら、結さんはきらきらと子どものように目を輝かせた。
「まずは……そうですね。困っている人を見つけたら、さりげなく助け舟を出すところとか。誰かを助けても、それをひけらかさないところとか。それからやっぱり、優しいところ、でしょうか」
「ふむふむ、実に興味深いですねぇ。特に最後の『優しいところ』という部分。何やらうっとりとした表情をしていましたが……。もしや、実体験がおありなのでは? お兄ぃから、優しくされたことがあるのでは!?」
「それは、その……っ」
当時の記憶が蘇っていき、なんだか耳が熱くなってきた。
「もちろん、深くは聞きません。イエスか、ノーかだけでも教えてください!」
「…………イエス、です」
「おぉ! やっぱりそうなんですね! 何があったんですか? 」
「い、イエスかノーかだけという話でしたよね!?」
「まぁまぁ、ここまで来たら一緒じゃないですか。それにほら、そういう気持ちは一人で抱えていても、いずれドバッと溢れ出しちゃいます。ここで話して、スッと気持ちよくなりましょう。大丈夫、お兄ぃには、絶対に言いませんから……ね?」
「……もぅ……っ」
最初は答えやすい質問から入り、時間を掛けて深いところまで掘り下げていく。
この巧妙な話術は、葛原くんそっくりだ。
いや……彼と同じだからこそ、ついつい心を開いてしまうのかもしれない。
それからしばらくの間、私と葛原くんの関係性についての話が進んで行く。
「――なるほどなるほど、それでいつの間にか、自然と眼で追ってしまうようになったと?」
「……はい、そうですね」
まるで本人に自分の気持ちを打ち明けているような気がして、なんだかとても気恥ずかしい。
「あーもうっ、やっぱり白雪さんが一番! お義姉ちゃん候補、ぶっちぎりの第一位です!」
結さんはそう言って、私の胸に飛び込んできた。
「ちょっ、結さん……近いですよ……っ」
「女の子どうしなんだから、別にいいじゃないですかぁ~」
そんな風にじゃれ合っていると、部屋の外から『ガチャリ』という音が聞こえてきた。
「ふぅー、帰ったぞ」
どうやら葛原くんが、バイトから帰ってきたらしい。
「あー、もうこんな時間ですか……。白雪さん、女子会の続きはまた今度やりましょう!」
「はぁ……次はもうちょっと、お手柔らかにお願いします……」
「えへへ、善処しまーす」
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時刻は18時、ようやくバイトが終わった。
「あ゛ー……疲れた」
今日も一日、よく働いたものだ。
夜のひんやりした空気を感じながら、いつもの帰り道を進み――住み慣れた我が家へ到着。
「ふぅー、帰ったぞ」
玄関の扉を開けてパッと目に付いたのは、見るからに高そうな女性ものの黒い靴。
(……結の友達でも来てんのか?)
俺がそんなことを考えていると、廊下の奥の方からトテテテと足音が聞こえてきた。
「お兄ぃ、おかえりー」
「おぅ、ただいま」
直後、結の後ろから姿を見せたのは――白雪冬花。
どうやら俺が留守の間、遊びに来ていたらしい。
「葛原くん、おかえりなさい」
「お、おぅ……ただいま……っ」
どこか気恥ずかしさを覚えながら返事をすると、彼女は不思議そうにコテンと小首を傾げる。
「……? どうかしましたか?」
「いや……。自宅に帰ったら白雪がいて、『ただいま』『おかえり』ってのは……なんかちょっと不思議な感じがしてな」
敢えて言葉は濁したが、まるで新婚夫婦のようだと思ってしまったのだ。
「そ、それは……確かにそうかもしれませんね……っ」
こちらの言わんとしていることが伝わったのだろう。
彼女は頬をほんのりと赤くして、静かに視線を伏せた。
なんとも言えない空気が流れる中――結だけは楽しそうに、ニヤニヤと口角を緩めている。
おい、黙るな。
なんだその腹立たしい笑顔は。
今こそお前の役目だろう。
いつもみたくギャーギャー騒いで、この微妙な雰囲気をぶっ壊してくれ。
しかし、悲しいかな。
俺の願いは通じず、結はピクリとも動かない。
(ったく、しょうがねぇな……)
この硬直した盤面を動かすため、少し大きめの咳払いをして、強引に流れを変える。
「あ゛ー……そうだ。白雪、メシはもう食ったか?」
「い、いえ、まだです」
「そうか、ちょうどよかった。今晩は『ちゃんこ鍋』にするつもりなんだが、せっかくだし一緒にどうだ?」
「えっでも……」
彼女が思い悩むと同時、
「白雪さん、お兄ぃもこう言っていますし、今日はみんなで鍋パにしましょうよ!」
結はそう言って、白雪の腕にギュッと抱き着いた。
「……わかりました。ご迷惑でないのなら、お言葉に甘えさせていただきます」
その後、俺と白雪は一緒にちゃんこを作り、みんなで楽しく鍋をつつくのだった。