第三十話:葛原葛男と才能
小学校から中学校へ上がり、それぞれの個性がはっきりと現れ出す頃――葛原葛男は、本格的に目覚めた。
親父の直感像記憶とお袋の超人的な肉体。
恵まれたベースの上に、俺だけの特異な才能が乗った……否、乗ってしまった。
その結果――無意識のうちに周囲の人たちを傷付けた。
「……葛原とバスケやってるとさ。なんだろう、なんかさぁ……惨めになってくるよなァ……ッ」
「私……もうピアノ辞めるんだ。どうやったって、葛原くんには勝てないから……っ」
「無駄な努力……。お前を見ていると、これまでやってきた全てが、そう思えてくるよ……ッ」
俺はなんでも出来た。
なんでも出来てしまった。
一目見れば、全てわかる。
一目見れば、全て真似られる。
一目見れば、全て終わってしまう。
やがて俺は孤独になり――腐った。
元々悪かった目付きが、さらに昏く淀み、世界の全てが無味乾燥したものに映った。
無駄な努力……確かにその通りだ。
この理不尽極まりない世の中は、『才能』という生まれもった『結果』で全てが決まってしまう。
俺の思想は、消極的かつ合理的な結果至上主義に固まった。
そんな冷めた自分が――どうしようもなく嫌いだった。
しかしある日、『本物』に出会った。
親父に無理矢理連れて行かれた、とある少女のヴァイオリン演奏会。
(……っ)
言葉を失った。
技術的にはまだまだ未熟。
間違いなく、俺の方が遥かに上手く弾ける。
しかしその演奏には、『本物』の音色があった。
『偽物』にはない、人の心を揺さぶる力があった。
きっと彼女は小学生の頃から、ずっと努力し続けてきたのだろう。
合理では決して届かない場所。
俺が馬鹿にした『無駄な努力』を続けた先にある境地。
(俺も……そこへ……っ)
変わりたいと思った。
変わらなければと思った。
その瞬間から、灰色の世界に色がついた。
「――ほっほっ、お嬢様の演奏はいかがでしたかな?」
「……田中さん」
道は決まった。
「い゛!? お兄ぃ、白凰に進学するの!?」
「えぇー……。パパ、入学金の用意とかしてないぞ?」
「首席なら全部無料だ」
日の当たらない陰の道。
「葛原葛男……? あー、確かそんなやつもいたっけか?」
「ほら、あの目立たない男子よ。成績も悪いし運動もてんで駄目……。どうやって白凰に入ったのかしら?」
目立たないよう、無暗に周囲を傷付けないよう、劣等生の仮面をかぶった。
そして――。
「……甘えたい」
未だ不安定な本物が、世界に羽ばたくその日まで、草葉の陰から支えると決めた。
無駄な努力が結実するその瞬間を腐ったこの眼で見届ける。
そうすることで初めて、俺の歪んだ思考は――消極的かつ合理的な結果至上主義は、正しく崩れ去るのだ。
(ただまぁ……人間の本質ってのは、中々変わらねぇな)
今この瞬間、咄嗟に浮かび上がった言葉は――『無駄な努力』。
努力を軽んずる姿勢、歪み腐った思考回路。
変わろうと思ったあの時から、一ミリだって変わっちゃいない。
(……でも実際、今更本気で走ったところで、網走を追い抜くのはかなりキツイ……)
それに何より、こんな大観衆の中で目立つのは、俺の道に反する。
だけど……。
それでも――。
「葛原くん……頑張れ……っ」
この応援分ぐらいは、やってみてもいいかもしれない。
――無駄な努力ってやつを。
(ふぅー……明日は筋肉痛確定だな)
俺は深く重く強く――地面を蹴り付けた。