第二十九話:葛原葛男と無駄な努力
「葛原、念のために確認しておくが、本当にじゃんけんでいいんだな? 監督者である私が言うのも難だが、普通はもっと自分に有利な競技を選ぶものだぞ?」
日取先生は理解できないといった表情で、再考を促してきたが……俺の意思は変わらない。
「いえ、これで大丈夫です」
「……そうか、わかった。ではこれより、第二種目じゃんけんを実施する!」
宣言と同時、校庭のあちらこちらで大きなざわめきが起こった。
「じゃ、じゃんけん~~ッ!?」
「おいおい、マジで言ってんのかアイツ!?」
「弾劾裁判でじゃんけん……前代未聞だね。もう諦めちゃったのかな?」
そんな中、網走が鋭い視線を向けてくる。
「なるほど……どうやらキミは、じゃんけんにかなりの自信があるようだな(歴戦の猛者を思わせる、この落ち着いた表情……間違いない。こいつは、相当じゃんけんをやり込んでいる……っ)」
「ほぉ、わかるか(何言ってんだこいつ? じゃんけんに自信も糞もないだろ)」
「ふっ、当然だ。近年実施されたハーバーセッツ大学の研究によれば……人間同士が対面でじゃんけんを行った場合、何千何億と試行回数を重ねても、勝率が50%に収束することはないそうだ。微妙な表情の変化・本人も気付かぬ思考の癖・無意識に好む手と避ける手……ありとあらゆる要素が複雑に絡み合う『究極の思考バトル』――それが、じゃんけん!」
「あぁ、その通りだ(こいつ、桜とは違ったベクトルのおもしれぇな……)」
俺と網走、両者の視線が激しくぶつかり合い――まるで示し合わせたかのように、お互いの号令が重なった。
「「最初はぐー、じゃんけん――」」
(……あぁ、腹減ったなぁ。早く終わらせて、さっさと家に帰りたい)
(統計によれば、じゃんけんの初手がグーorパーである確率は70%! パーこそが最も勝率の高い最強の手! しかし、相手はじゃんけんの猛者……そんなことは当然、知っているだろう。つまりボクが選択すべきは、データを捨てた忘我の一手! すなわち――これだ!)
「「――ぽん」」
俺のグーに対し、網走はチョキ。
わーい、勝った。
「ぐっ。裏の裏の裏を掻き、自爆覚悟のグーとは……ッ」
奴は驚愕に目を見開き、右手をわなわなと震わせた後――大きく息を吐き出した。
「ふぅー……どうやらボクは、葛原のことを甘く見ていたようだ。腐っても副会長、あの白雪さんに見初められるだけの才覚はあるらしい」
「はっ、当然だ(ぷっ、くくく……。駄目だこいつ、面白過ぎるだろ……っ)」
とにもかくにも、これで1勝1敗。
弾劾裁判は最終戦にもつれ込んだ。
「随分あっけなく終わってしまったが……まぁいい。これより、最終種目の競技決めを行う!」
先生の号令と同時、選挙管理委員会が大きな箱を持ち出した。
「この箱には40個のボールが入っており、その一つ一つに競技名が彫られている! 私の引いたそれが、最終種目となるわけだ! では、行くぞ!」
先生は箱に手を入れ、中のボールを入念に掻き回した。
「――こ・れ・だ!」
真紅のボールが掲げられ、全員の視線がそこに集中する。
「最終種目は、400メートル走!」
瞬間、網走が高らかに笑い出した。
「ふ、ふふっ、ふははははははは……! 残念だったなぁ、葛原? 400メートル走において、ボクは『東京最速の男』なんだ! キミにはもう、万に一つの勝ち目もないぞ!」
「そうかもな」
まぁ実際、これはかなりキツイ。
400メートル走は、陸上部とそうでない者とで、最も顕著に差のつく距離だ。
「あーあ。せめてもうちょい運の絡む競技なら、葛原にもワンチャンあっただろうけど……さすがにこりゃ無理だな」
「裁判しゅうりょー。やっぱ網走の勝ちだね」
「まぁ、わかりきっていたことだけどな」
野次馬たちは全員、網走の勝利を確信していた。
「葛原くん、何か策はないんですか……?」
「いや、400メートル走に策も糞もねぇだろ」
「そう、ですよね……っ」
白雪は沈痛な表情で視線を落とし、
「葛原くん、諦めたらそこで試合終了です! これに負けたら死ぬと思って、必死で足を動かしてください!」
桜は相変わらずの根性論を掲げるのだった。
その後、陸上トラックへ移動。
俺と網走は所定の位置に付き、日取先生がスターターピストルを空に向けた。
「二人とも、準備はいいな? 位置に付いて、よーい……スタート!」
空砲が鳴り響き、お互いほとんど同時に駆け出す。
(……さすがに速ぇな)
(葛原の奴、思ったよりも足があるな……っ)
俺もまぁまぁの速度で走っているのだが、それでもちょっとずつ離されていく。
最初のコーナーを曲がり、次の直線に入る頃にはもう、三馬身ほどの距離が空いた。
「は、速ぇー! さすがは陸上部のエース! 東京最速は伊達じゃねぇな!」
「まっ、こうなるわな」
「これで新副会長の誕生ね!」
野次馬勢は、網走のウィニングランを楽しんでいるようだ。
(……まっ、こんなところか)
ここまで十分に頑張った。
後は適当に流してゲームセットだ。
俺が気持ちを切ろうとする中、
「葛原くん、頑張れ……っ」
「負けるなぁー! 日頃の偉そうな態度はどうしたー! 死ぬ気で頑張れー……!」
白雪と桜だけは、まだ諦めていなかった。
いつも奇声を発している桜はともかく……。
寡黙で冷静な白雪が、柄にもなく大声を張って、必死に応援していた。
いやいや、よく視ろよ。
もうこの大差だ。
今更どう足掻いたって勝てっこない。
(そんなのは所詮、『無駄な努力』……)
そこまで考えたところで、自分の醜さに気付いた。
瞬間、脳裏をよぎるのは、あの記憶――。