第二十六話:葛原葛男の休日
土曜日の早朝。
俺が朝支度+バイトの準備をしていたそのとき、ピンポーンと家のチャイムが鳴った。
「こんな朝っぱらに……誰だ?」
「あたしが出るから、お兄ぃはバイトの準備してていいよ」
「サンキュ、助かるわ」
自室に戻って寝間着を脱いでいると、玄関の方から会話が聞こえてくる。
「あ、あの……葛原くんのお宅でしょうか?」
「はい、そうですが……あっ、もしかして桜さんですか!?」
「私のこと、知っているんですか?」
「えぇ、もちろんですとも! 兄がいつもお世話になっております。――お兄ぃー、桜さんが来てくれたよー!」
「あぁ、今行く」
ササッと服を着て、玄関へ移動。
するとそこには、桜ひなこが立っていた。
「あっ、葛原くん、おはようございます」
「おぅ。つーかお前、うちの住所知ってたっけ……?」
「いえ。叔父さんが探偵をやっているので、ちゃちゃっと調べてもらいました」
「お姫様・トレジャーハンター・巫女と来て、今度は探偵か……」
相変わらず、無茶苦茶な家系だ。
「俺はもうすぐバイトに出るんだが……なんか用事か?」
「おっとそうでしたか。では、手短に済ませますね」
彼女はそう言って、肩掛け鞄の中から白い封筒を取り出した。
「さぁ、受け取ってください。私からのプレゼント・フォー・ユーです!」
「……なんだこれ?」
「うちの家の近くに蒼正宮という、とても大きな神社がありましてね。そこの神主さんに『一番利くお守りをください!』って言ったら、それが出てきました」
「なるほど」
「なんだかよくわかりませんが、おそらくは『最強のお守り』に違いありません! きっと凄い御利益があることでしょう! これがあれば、週明けの弾劾裁判は余裕のよっちゃんですね!」
桜は親指を立てて、明るくニッと微笑んだ。
「そうか、わざわざありがとな」
「えへへ、どういたしましてです。それではまた明日、学校でお会いしましょう! バイト、頑張ってくださいね!」
彼女はそう言って、トテテテと走り去っていく。
(……蒼正宮ねぇ……)
白い封筒を開けるとそこには、大層立派な護符が入っていた。
正面には蒼正宮御守という印字+立派な朱印が押されてあり、クルリと裏返すとそこには――大きく『安産祈願』と記されてある。
(……うん、やっぱりそうなるよな)
蒼正宮は安産祈願の神社として有名だ。
そこで一番いいのを頼めば、必然的にこれが来るだろう。
まぁでも、こういうのは気持ちが大事だな。
必勝祈願のお守り(安産祈願)として、ありがたく頂戴しておくとしよう。
「桜さん、とってもいい人だね。これはもしや……新たなお義姉ちゃん候補?」
「馬鹿、そんなわけねぇだろ」
その後、俺はバイトへ行き、日がな一日働き続けたのだった。
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翌日。
時刻は22時、朝・昼・晩と労働に勤しんだ俺は、一人トボトボと帰り道を歩いていた。
「ふぅ、疲れた……」
泰福通りを抜け、ボロボロの我が家が見えてきたそのとき、
「……ん?」
前方から黒塗りの高級車がこちらへ真っ直ぐ進み、何故かスーッと路肩に停まった。
(……え、何これ、やだこれ……)
反社会勢力的なあれやら、誘拐的なサムシングを想像したが……。
運転席から降りてきたのは、品のいい初老の男性。
彼は後部座席の扉を丁寧に開き、そこから純白の美少女が――白雪冬花が現れた。
「――葛原くん、こんばんは」
「お、おぅ……こんな遅くにどうした?」
「どうしても渡したいものがあったのですが、連絡先を知らなかったので、直接持参させていただきました」
「あー……そう言えばそうだったな」
白雪とは電話番号はおろか、メールアドレスやFINEのIDも交換していなかったっけか。
「それで、渡したいものってなんだ?」
「えぇ、こちらをどうぞ」
彼女はそう言って、後部座席から分厚い書類の束を取り出した。
「……なんだ、これ?」
「弾劾裁判の発起人、網走颯の個人情報です。白雪家の調査機関を使って、秘密裏に集めたものになります」
「へぇ……そりゃ凄ぇな」
とりあえず表紙をパラリとめくり、手元の資料に目を落とす。
網走颯、16歳。
身長173cm・体重75kg・血液型はO型。
家族構成は、父・母・妹。
小・中・高と陸上部に所属し、輝かしい記録を残す(別表1に詳述)。
全国駿鉄模試においても優秀な結果を残し、基本的には100位以内をキープしている(席次の推移については、別表2に記載)。
(たった一日でここまで洗い上げる調査力、さすがは白雪財閥だな……)
趣味はランニング。
平日の早朝、四つのコースから無作為に一つを選択し、一時間ほど汗を流している。
休日は渋谷の会員制スポーツクラブにて筋力トレーニングを行い、その後は駿鉄で22時まで授業を受ける。
※塾の帰り道は一人であることが多く、人通りの少ない路地を歩くため、身柄を押さえるには最適である。
(……ん?)
なんか今、凄く恐ろしい注意書きがあったような?
それからパラパラとページをめくっていくと……。
父親は網走藤五郎。
白雪財閥のグループ会社、白雪重工上野支部に勤務。
母親は網走冴子、旧姓は八木。
白雪財閥の子会社、氷山銀行赤羽支店に勤務。
両者共に左遷・僻地への出向が可能である。
(いやいやいや、さすがに怖ぇよ……っ)
明らかに正規の手段で得たとは思えない個人情報の数々・『身柄を押さえる』という拉致監禁を示唆する文言・いとも容易く行われる左遷や出向というパワーハラスメント。
『黒雪財閥』の異名は伊達じゃねぇな……。
「弾劾裁判を含めたあらゆる戦において、『情報』というのは戦局を左右するほどの大きな力を持ちます。バイト終わりでお疲れかと思いますが、明日までには目を通しておいてください。葛原くんの直感像記憶なら、そんなに時間は掛かりませんよね?」
「まぁな」
プリント100枚の丸暗記ぐらい、3分もあれば余裕で終わるだろう。
(しかし、この書類……)
単語の選択や文章構成の癖が、どことなく白雪っぽい。
そして何より、彼女の目元――コンシーラーか何かで隠しているが、よくよく見れば薄っすらとクマがあった。
「……なぁこれ、白雪が編集したのか?」
「よくわかりましたね。今回は時間の余裕がなかったので、調査機関にはひたすら情報を集めてもらい、私がそれらをまとめました」
「なるほど、そういうことか」
いくら彼女が優秀とはいえ、これだけの情報を見やすくまとめ、それを文章として出力するには、膨大な時間が掛かる。
きっと金曜土曜と徹夜し、日曜の日中も、ずっと作業してくれていたのだろう。
「白雪、ありがとな」
「わ、私がやりたくてやっただけなので、お気になさらないでください……っ」
彼女はそう言って、ぷいとそっぽを向いた。
最近、一つわかったことがある。
白雪冬花は褒められることに弱い、もっと正確に言うならば、褒められ慣れていない。
白雪家の教育は、超スパルタの詰め込み型。
きっと褒められた経験が数えるほどしか……いや、もしかしたら、これまで一度もないのかもしれない。
「あの、葛原くん……」
「ん、なんだ?」
「明日の弾劾裁判、必ず勝ってくださいね。……私、あなた以外の副会長なんて、絶対に嫌ですから」
彼女はそう言うや否や、こちらの返答も聞かず、黒塗りの高級車に乗り込み――そのまま屋敷へ帰っていった。
「……『必ず勝ってください』、か……。悪いな白雪、そいつは無理な相談だ」