王の仮面
俺とシャルロットが地上に降り立つと、その周りを囲む者達の表情は緊張がほぐれ、微笑ましそうな顔をしているのが視える。
それに、大きな笑い声を上げつつ、揶揄うような表情でガイオスがこちらに近づいてきた。
「こりゃまた、食いしん坊な嬢ちゃんが来たもんだ」
「…………お米は、最強」
「その気持ちはわかるぞっ!ありゃ美味い。腹も膨れるしな」
「……話がわかる」
「まぁ、俺は酒のが好きだがな。がっはっはっはっ」
「……それは、わからない」
楽しそうに杯を飲み干すガイオスに同意を示す男達の声に続き、非難するような視線を送ったシャルロットに賛同する女達の声が返される。
周囲で様子を窺っていた者達も豪快なガイオスの愉快そうな雰囲気につられたのか徐々に距離が近づいているようだった。
「そうだ!デカい米の塊でもいっちょ作ってみるか。こんなサイズじゃ俺には足りねぇ」
「……どんなの?」
「デカけりゃデカいほどいい。どんなに小さくても、嬢ちゃんの体位の大きさのやつだ。ほら、お前ら、やるから手伝え」
突然大きな声を出したガイオスが自分の部下たちを呼び、山のように積まれたおにぎりを順番に持ってこさせる。
周りはその子供のような発想に苦笑しているようだが、シャルロットは興味を惹かれたのか目を輝かせ始めているのがわかった。
「ここは、大丈夫そうかな」
恐らく、ガイオスの性格的に計算したものでは無いのだろう。
でも、その頼もしく、それでいて飾らない姿が周りの者達に安心感を与えているのがわかる。
「………………もう少しなんだろうか」
ここまで来るのに時間はかかった。
最初その力が、魔界を象徴するような暴力の証だったことを思い出すと懐かしい気持ちさえある。
しかし、国は変わり、人も変わった。
恐らく、世界を変えるのもそれほど遠い夢ではなくなったのだろう。
「どうやら、私が気を回す必要も無かったな。極めて良い兆候だ」
「……ああ、本当にそう思うよ」
そんなことを考えていると、いつもは少し離れた距離で様子を見守っているバロンがこちらのすぐそばに立っていることに気づいた。
きっと、シャルロットが輪に馴染めるように何かしら気を利かせようとしていたのだろう。
「貴方の夢は、もう触れられる距離にあるのかもしれんな」
「そうかな。そうだったら、いいんだが」
「何か心配があるのかね?」
「心配ごとなんて、数えたらきりが無いほどあるな。バロンも本当はそうなんだろ?」
優しい世界を作るために頑張ってきた。そして、それは確かに形を得てきている。
でもやはり、それは全てが上手くいくわけでは無くて、どうしたって能力の差や種族の差、元々の関係性などから来る諍いは生まれてしまう。
「ふむ。まぁ、そうだな。しかし、人を率いるのであれば理想は語らねばならぬ。例え、それを頭の中の自分が否定していようと」
「わかってる。こんな弱音、言う相手くらいは選んでるさ」
「だろうな。そもそも、貴方は内に抱えこんでしまうから心配しているんだ」
「そうなのかな?」
「ああ。完璧なものなどこの世に存在しない。だから、そこまで気負う必要はないはずだ」
理想的な両親を見て育ったからだろうか。
どうしても、もっとやれるのでは、何か足りないのでは、と常日頃から考えてしまうことはあった。
「頭ではわかってるんだけどな。人っていうのは強欲らしい」
「ふっ。それは、長年生きても変わらぬ人の業だから諦めたほうがいい」
「バロンも?意外だな」
常に冷静で、落ち着いている彼の感情の発露はほとんど見たことが無い。
それこそ、優しくありながらも、淡々と、合理的に事を進める姿は一つの目標に感じているくらいだ。
「種族特有の性質でな。あまり外には出ないだけで、私も大概な理想主義者だ」
「ははっ。そうか、じゃあ、先輩として何か言えることはあるか?」
「自分で出来ぬのならば、他の誰にも出来ない。たとえ失敗しても、それが最良であったと私は思うようにしているよ」
「そっか」
背負うものは重すぎるほどに重い。
きっと、バロンもたくさんの失敗をして、それを後悔し続けてきたのだろう。
「当然、自分の能力への自負はある。想いもある。だが、それでも届かぬのが現実。足りないもの方がこの世には圧倒的に多いのだ」
「……世の中見たくないようなことや、聞きたくないことばかりだもんな」
「そうだ。だから、あまり気負うな。貴方に出来ぬのならば、他の誰にもできなかった。王の中の王、貴方は最早頂点の男なのだから」
その言葉に、気づかされる。
きっと俺は、世界を全て手に入れたのだろう。もし、そうでなくてもバロンがそう言い切れるだけの状態になっているは確かだ。
「とりあえず、今日は英気を養え。明日また話そう」
「……そうだな」
本当は、こんな辛気臭い考えを祝いの場でするべきではないとは思う。
だが、掲げていた魔界の統一という目標が果たされてしまったと思うと、どうしても次のことを考えてしまう。
バロンと別れ、アルルカの姿を探すも、どうやら彼女は他の女性たちと話しているようで、全くこちらに近づいていて来る気配は無かった。
いつもなら、こちらの様子を適度に窺いつつ、俺の体が空いた時を見計らって話しかけにくるのだが、もしかしたら避けられているのかもしれない。
「ずいぶん情けない顔してるわね」
「いろいろ、うまくいかないもんだと思ってな。慰めてくれるか?」
「嫌よ。それがお仕事なら別だけど」
「そっか。なら、諦めることにしよう」
きっと、なんだかんだ言いつつもアルルカの様子を気にかけてくれていたのだろう。
少し離れた城の外壁に腰かけていたらしいレオーネがこちらに気づいて近寄ってきた。
「…………まぁ、あの子の気持ちもちょっとは分かるけどね」
「シャルロットと自分を比べてしまうってことか?」
「遠からずも近からずってとこかしら。女心は複雑なのよ」
「女心ってやつは難しいな」
「ふふっ。答えを教えてあげましょうか?お代は帰還祝いとしてまけといてあげる」
「頼むよ先生。俺にはちょっと難しすぎるみたいだ」
恐らくアルルカの変化の原因はシャルロットだろう。
明らかに意識を向けていたのはわかっていた。だが、その根本的な原因はまだうまく掴めているとは言い難い。
「………………アルルカは確かに、あのお姫様と自分を比べている。だけど、そこには色々な感情が含まれているはずよ」
「それは、どういうことだ?」
「一言で言えば、劣等感かしら。そして、それとともにこの先の歩み方を考えあぐねている」
劣等感。それは、出会った時からアルルカの胸に影を落とし続けている感情だ。
容姿と、力と、境遇、そのどれもに恵まれなかった彼女は自分を肯定できるだけの過去を持たない。
最近では、だいぶ改善されてきていたように感じてはいるが、それでも生半可に決別できるようなものではないとはわかっている。
「あの子みたいな子にはね、あのお姫様が全部持っていることは見るだけでなんとなくわかっちゃうのよ。力だけじゃなく、他のものに恵まれていたことも、全部ね」
「…………確かに、そうだな」
そう言われて、思い出す。
遠い昔、自分がまだ義理の両親に出会う前。周りと自分の表情が違うことなんて一目で分かった。
愛されない自分、愛される他人。その違いは、言葉では言えないものの、明らかだったのだ。
「ふふっ。貴方もわかるみたいね。まぁ、似たような経験もしてたみたいだし当然か」
「正直、今言われるまで頭から抜けてたけどな」
「それは、仕方ないわ。人は幸せに慣れるもの。それに、あのお姫様のことも気にかけなくてはいけなかったのだろうし」
シャルロットには、シャルロットなりの不幸がある。
どちらの方が不幸かなんてものに正解は無いし、比べる価値もない。
だからこそ、アルルカだけを、シャルロットだけを気遣うわけにはいかない。
「あの子は、貴方の旅についていくことができない。魔術が使えず、種族的な特性すら一切持たない。その辺の子供にすら負けることはあの子自身が一番わかっている」
白い容姿は、未だ見知らぬ者から悪意を集める。
密かにではあるが、有効的な自衛の手段をほとんど持たないアルルカには常に護衛をつけているし、本人も薄々とそれに気づいているような節がある。
「特に今回のように未知の土地へ貴方を送り出すことは、それを助けられないあの子にとってよほど気がかりだったんでしょう」
毎回、ついて行きたそうにしているのはわかっていた。
でも、俺はアルルカを少しでも危険から遠ざけていたかったし、アルルカにして見ても、俺の負担になることがわかっているからそれを言うことは無かった。
「だから、比べてしまった。自分と似た小柄な少女が、自分に無いものを全て持っていると思ってしまったから」
「…………アルルカにはアルルカの良さがあるってのは、気休めにしかならないか」
「かもしれないわね。今のタイミングでそれを言えば、貴方の慰めの言葉が逆にあの子を傷つける可能性すらあるでしょう」
優しい言葉は、時には苦痛になることもある。
本人が否定してしまっていることを、肯定してあげることは大事だ。
だが、それはある意味諸刃の剣で、時と場合を選ばなければ逆の結果を生むこともあり得る。
「………………俺は、どうすればいいんだろうな」
どちらの気持ちもわかる。だからこそ、どちらかに偏って寄り添うことなどできない。
しかし、同時にどちらにも寄り添わないなんてこともありえない。
もしそれが、拒絶に映れば、二人の心に深い傷を残すのはわかりきっているから。
「不安なのかしら?」
「そうかもしれない。俺と関係が悪くなるならまだ気は楽なんだがな」
俺のことなら、自分で責任を取ればいい。
それに、諍いが生まれているなら仲裁もする。
でも、今回はそうではない。アルルカの気持ちは内に向いているだけで、シャルロットに至っては特に思うところすら無いだろう。
「人の気持ちはままならないものね」
「そうだな。でも、それを否定するつもりはない。まっ、なんとかするさ」
「…………そうやって、貴方は全部抱え込むの?何かを諦めるべきだわ」
「バロンにもついさっき似たようなことを言われたよ」
「なら、わかっているでしょう?」
「わかってる。でも、やっぱり俺には何かを諦めるなんて無理だ。取りこぼすのは仕方が無い。だけど、それでも俺は、手を伸ばしたい」
バロンとレオーネが俺のことを案じてそう言ってくれているのはわかる。
それこそ、気負い過ぎて、潰れてしまうくらいなら、全てできなくなるくらいなら、何かを諦める方が何倍もいいってことは重々わかっている。
だけど、やらずに諦めるなんてことは、どうしても俺にはできない。
厄介者だと分かりつつも、周りにどれだけ否定されても、俺を抱えてくれた義理の両親のように、世の中の輪から外れた存在を助けられるような存在になりたいから。
「…………そんなことをしていれば、たとえ貴方だとしてもいつか夢に押しつぶされてしまうわ」
「大丈夫だよ。始めた責任はちゃんと取る。どれだけ辛くても、俺は足を止めないと誓う。そこは、安心してくれ」
皆の人生を背負った。夢を見せ、信じさせた。
ならば、例え四肢がもがれたとしても俺は這いずって前へ進むだろう。
「本当に、貴方は…………………困った人ね」
「自分でもそう思うよ」
「まぁ、そうね……そういうところは、嫌いじゃないわ。意外に、弱気なところも」
「ははっ。弱気に見えるか?」
「ええ。絶対にやれると言いながらも、常に失敗を考えている。貴方の本質は臆病なのよ」
「臆病か、しばらく言われたことは無かったな」
人は過去に縛られる。それは、俺も当然そうで、限りないほど薄まったはずの暗い思い出が時々、弱音や弱気になって出ることがあった。
そして、その度に俺ならできると義理の両親に励まされて、また歩くことができた。
自分を肯定し、否定し、また肯定し、俺の人生はその連続だ。
「それが悪いとは言わないわ。だからこそ、私は貴方にこの世界を変えられる可能性を見たのだから」
「…………そっか。それは、嬉しいな」
あまり心の内を明かさないレオーネ。でも、今彼女は真っ直ぐな言葉を俺に向けてくれている。意志の籠った強い視線で、取り繕わない表情で。
「貴方の本質が、臆病で、お人よしで、どこか抜けているのは知ってる。完璧な王を演じようとして、それで心を擦り減らしていることも」
辛い表情は出来るだけ見せないようにしてきた。
誰かの命を奪った時も、俺の命令で誰かが死んだ時も、常に皆が不安にならないように出来る限り取り繕ってきた。
「だから…………まぁ、気が向いたし手を貸してあげるわ。私の王様にね」
照れたように視線を背けながらそう話す姿は、素直じゃないレオーネらしいと思わず笑みが漏れる。
「なに笑ってるのよ」
「ごめん。でも、嬉しかったから」
「…………はぁ。貴方って人は、本当に」
呆れたようなジト目を見せる彼女のその表情は、今までの取り繕ったような顔ではなく、本音を見せてくれているような気がして、余計に嬉しくなってくる。
「でも、嫌いじゃないわ。そういうところもね」
そして、そう言って穏やかに笑ったレオーネは、いつも以上に綺麗で自然と目を奪われた。




