荒々しい蒼 ―ガイオス―
次の日、自宅にコロッセオの職員が尋ねてきた。
用件はガイオスからの手紙の受け渡し。そして、それを開くと中にはこう書かれていた。
【東の荒野、その中央にある丘にて一ヶ月待つ。どんな手段を使っても、不意打ちでもいい、戦いに来い】と。
手紙は書いた内容は端的で、相手の性格を物語っている。
俺は、すぐにそれをアルルカに見せると尋ねる。
「場所を教えてくれるか?」
「わかりました……ご武運を」
場所を聞いた俺は、身体強化をかけ、飛ぶようにしてそこへ向かう。
そして、広い荒野、その丘の上で目を閉じたまま、胡坐をかいて座る男を見つけた。
その姿は正に蒼い鬼、やつは、まるでそこに壁があるよかのような威圧感を放っていた。
「来たぞ」
声をかけると、男が目を開いた。
「おいおい、馬鹿正直に正面から来たのか。どんな手段を使ってもいいと書いたはずだが」
「必要ないさ。お前を真正面から叩き潰す。そしたら言い訳できないだろ?」
俺がそう言うと男は、獰猛な笑みを浮かべ笑った。
「はっはっはっは。こりゃ面白い。嫌いじゃないぞ、そういうのは。なら、始めるか」
「ああ。始めよう」
会話が止まり、沈黙が両者の間に佇む。そして、ひと際強い風が吹いた時、同時に駆けた。
魔術は使い続けると、精神力を消費する。だから、戦闘の度に身体強化は途切れる。
だから、今日はここへ向かう道中、それをずっと高め続けていた。恐らく、これまでの相手なら、それでケリがついただろう。
だが、それでは足りなかったようだ。俺は、轟音と共に吹き飛ばされ、地面を抉りながら転がる。
そして、その速度に追いつくように相手が迫り、追撃。その大樹のような太い腕から攻撃が放たれていく。
俺は、精霊の力を借りつつ回復。眼の力をこれ以上無いほどに行使しながら、それを避けていく。
そして、体勢を立て直すため、大きく距離を取ると、今度は敵は追撃をしてこなかった。
この眼を使っても避けきれずに負った傷から血が流れる。それに、最初の衝突で骨が何本か折れてしまっているようだ。激しい痛みを感じる。
回復をしつつ、眼の行使、その上身体能力の更なる強化を限界までしているからか、精神力がごっそりと削られていくのが分かった。
「ここまで耐えたのはお前が初めてだ。褒めてやる。だが、既に満身創痍、それでもまだやるか?」
ガイオスがこちらにそう問いかける。それに対し、俺は口の中に溜まった血を吐きだして応える。
「まだやるか?だと。そりゃそうだ。俺は、勝つまで止めるつもりは無い」
相手は、少し驚いた顔をした後、再び笑った。
「この差を知ってもまだ心が折れないか。わかった。お前が死ぬか、根を上げるまでもう止めない」
「ああ。それでいい」
体が治り、構える。そして、再び両者は激突した。
轟音が響き、俺が弾き飛ばされる。そして、地形を変えるほど苛烈な追撃が放たれていく。
それが繰り返され、やがて、丘が平地に姿を変えた頃。
その光景は変化していた。
お互いがぶつかり、均衡した。そして、ガイオスが逆に吹き飛ばされるようになり、追撃を受けていく。
そして、ついに、蒼い鬼は血を流した。
「やるな、お前。俺を傷つけるやつが現れるとはな」
「強いよ、お前は。それに、まだ本気じゃないんだろう?」
ガイオスからは、戦いを楽しみたいのか、力を出し惜しみしているような気配がある。
「わかるか?だが、次からは本気だ。それに値する相手だと認めたからな」
相手がそう言った瞬間、ただでさえ大きな体が更に大きくなる。そして、額から生えた一本の角が大きくなり、黒く輝いた。
その姿は正に鬼神、相対しているだけで、本能から負けを認めたくなるような気持ちにさえなる。
だが、俺はそれを気合でねじ伏せ、強く見据えた。相手は、今だ戦意を失わない俺を見て嬉しそうに笑うと、口を開いた。
「降参するなら大きな声で言ってくれよ?じゃないと本当に殺しちまうからさ。俺は、無駄に強者を失いたく無いんだ」
「その言葉はそっくりそのまま返すさ。俺の方も手加減はするが、うっかりやらないように早めに言ってくれ」
「抜かせ!!」
「お前こそ!!」
再び両者がぶつかる。俺と同じように、相手は精神力を削りながらその力を更に高めていっているようで、お互いの力は高まりつつも、均衡し、譲らない。
そして、それは続いた。日が落ち、昇り、また落ち、昇っても。
どれほど、時が経ったろうか。最早、お互い体を引きずりながら戦っていた。
脳みそが焼けそうなほど熱を持っているように感じる。体も重く、さらには、全てを投げ出し、諦めてしまいそうなほどに俺の精神は疲弊している。
だが、相手もそれほど条件は変わらないようだ。その顔には疲れが見え、般若のような顔は萎びて見える。
そして、お互いの拳がそれぞれの顔面に入り鏡合わせのように吹き飛ばされた。地面を転がり、既にクレーターのようになった大地に身を横たえる。
もう無理だ。嫌だ。帰りたい。
そんな弱気が心を絶え間なく過る。投げ出したくなってしまう。
だが、そんな中、彼女の姿が、笑顔が脳裏に思い出された。
そうだ。そんなことは許されない、許さない。
決めたんだろう?どんな苦難があっても、たとえ、どれだけ苦しくても歩み続けると。
だから、俺は勝ち続けなきゃならない。誰にも負けるわけにはいかない。
動いているか分からないほどの速さで体を動かし、体を起こす。
「まだ、やるか?」
震える体を支えながら、仰向けに倒れたままのガイオスに問いかける。正直、立っているのさえ、限界だ。
致命傷は無い。だが、精神は疲弊し、体もそれに引っ張られる。
「お前は、なぜ、戦う?」
ガイオスは太陽を見つめたまま、呟いた。
「俺は……世界を変える。強者が弱者をただひたすらに虐げる今の世界を。そして、作る。優しく、人が手を取り合えるような世界を」
「…………そうか。これまで色々な強さをねじ伏せて来たが、そんなふざけたことを言うやつは初めてだ」
「わかってる。恐らく、綺麗ごとだと笑うやつも多いだろう。でも、もう決めたことだ。曲げるつもりは無い。そのために俺は、今この場に立っている」
ガイオスはその言葉を聞いた後、目を瞑ると、再び呟いた。
「俺の負けだ。戦いは最後に立っていた方の勝ち。俺はもう立てそうにない」
俺はそれを聞いて、安心し、受け身も取れないまま、豪快な音を立てて地面に倒れ込む。
その音を聞いて、こちらを見たガイオスは気持ちのいい笑い声を上げた。そして、しばらく笑った後、穏やかな声でこちらに語り掛けた。
「後は、勝ったお前が好きにしろ。俺は必要ないから認めたつもりは無いが、これまでに負けたやつが差し出して来た領地も全てお前のものだ。それに、俺自身も出て行けというなら出て行くし、死ねというなら死ぬ。敗者に口なしってやつさ」
ガイオスは、戦っている間、本当に楽しそうにしていた。恐らく、それが彼の生き方で全てなのだろう。
ただ、強者を好み、戦えるようにそばに置いた。
しかし、彼は強すぎた。全ての者が彼を恐れ、従った。そして、その恐れの気持ちは虚像を作ったのかもしれない。強者以外は排除する冷酷な王であるという虚像を。
俺も、勘違いしていた。弱者を虐げ、暴力を是とする支配者だと。それは、彼の領地の民は貧しく、そのほとんどが荒廃し始めていると聞いていたこともあるだろう。
だから、さっきまでは取り除くべき敵だと思っていた。
しかし、今は違う。彼のその竹を割ったような潔さに心地の良さすら感じている。
なんとなくわかる。彼はただ、自分の好きなことをしてきただけだ。恐らく領地を持ったつもりも一切無かったのだろう。
「……ガイオス、お前は強いやつと戦えればそれでいいんだよな?」
「ああ、そうだな。正直、それ以外のことに興味は無い」
「そうか。なら、俺に協力する気は無いか?俺は、望む世界を作るために魔界を統一する。もしかしたら、その中でお前と対等に戦えるやつもいるかもしれない」
そう言いながら、彼を見ると、ポカンとした顔を浮かべていた。
そして、すぐに笑い出す。
「はっはっはっは。いいね、面白そうだ。それに、言ったろ?勝ったお前が好きにしろって。だから、ただ命令すればいい、俺の下につけってな」
「そうか。じゃあ、俺の元に来い、ガイオス。こき使ってやるから」
「わかった。これから頼むぜ、楽しくさせてくれよ?」
爽やかな笑い声が荒野に響く。どうやら、俺は、心強い味方を得ることができたようだった。




