病室キャットファイト
文字数3700くらい
睦月は、よしよしと、瞬の頭を撫でながら満足そうに微笑む。そしてトミヤと芙美に視線を向けるち会釈をして微笑んだ。
「瞬のお友達ね。こんにちは、私は姉の睦月。よろしくね」
最初の勢いに完全に飲まれたトミヤと芙美は「コンニチハ」と棒読みで挨拶を返した。
「この子、いっつも怪我したり色々動き回っているけど、出来たらずっと友達でいてあげてね」
睦月の柔らかい声を聞いて、
「勿論です!」
と、芙美はすぐに返事を返す。
トミヤは驚きから立ち直っておらず「あ、はい」と小さく答えただけだった。
「ありがとう」
会釈をしてお礼をいうと、睦月は傍にあった予備の椅子を掴みベットの脇に寄せ、座った。
「さてと」
一回深呼吸をして冷たい笑顔になる。すぅっと瞬の目をみつめた。
「瞬、今度は何に首を突っ込んだのかしら?」
この一言が部屋の空気を変えた。
明るい空気から寒気がするような息苦しい空間に変化する。
(うわぁん。処刑が始まったああああ!)
この状態の睦月が一番苦手だ。
瞬は「ええと」と言葉を濁しながらキョロキョロと視線だけでも逃げようとする。
睦月は表情を動かさない。笑っていない目が早く説明をしなさいと瞬を急かす。
ごくっと生唾を飲んでから、
「あ……あのね……。その、いつものようにカンゴウムシの発生を……原因を調べててね。その。結果的に、こうなっちゃった……んです」
簡潔に話した。
「ふぅぅぅぅん」
睦月は表情を変えずに相槌のように声を出しながら、鋭い目でアルを一瞥する。
「まぁた、あんたが巻き込んだのね?」
アルはやや口角をあげながら頷き、肯定する。
「そう」
「ね、姉さん! 今回も私が勝手にやったことだし……その」
瞬は慌てて布団から起き上がり、睦月の腕を捕まえるが、バッと腕が振りほどかれた。
「シフォン! 毎回毎回、瞬を巻き込むなって言ってるでしょ!」
怒鳴りながら椅子から立ち上がる睦月。
「姉さん! アルは悪くないよ。私が勝手に怪我をしただけなんだってば」
「少し黙りなさい瞬。私はシフォンと話してるの」
ギロリと血走った目を向けられ
「……はい」
圧に負けた瞬はベットで丸くなった。
アルは椅子から立ち上がり深く頭を下げた。
「ごめん睦月。結果的に瞬を巻き込んでしまった。瞬を怒らないでやってくれ。俺が全て悪い。申し訳ない」
「はあ? 頭を上げなさいよ。形だけの謝罪なんて鬱陶しいわ」
睦月は憤慨しつつ座っているアルを見下ろす。
アルは顔をあげた。誠心誠意の行動をしたところで彼女の心に響かないのは知っている。心の底から嫌われていると知っている。
何をしても駄目なのだ。口先だけで適当に扱う男に瞬を奪われたくないと本気で思っているから。
「本気で謝ってるんだけど」
アルは困った顔になって正面から睦月を見据える。
「何回聞いたことか。耳にタコよ」
「毎回本気で謝ってる」
「平気で人の妹を巻き込まないで欲しいわね」
「カンゴウムシ関連に瞬が首を突っ込まないはずないだろ? 変に暴走する前にお願いしただけだ」
「寧ろ関わらないで、関わらせないで」
「それやった日にはろくなことにならない」
「しっかり仕事しなさいよ!」
「してる」
二人にとって、このやりとりは日常茶飯事でもある。どっちも譲らないしどっちも引かない。
「姉さん、今回の件は私が勝手に」
「今は黙りなさい」
睦月は首だけを瞬に向け一喝した。般若のような表情で瞬は凍り付く。取り付く島がないとはこの事だ。
「はう」
あっさり沈没した。これ以上は余計な事を言うと火に油を注ぐ結果になる。
瞬は口を噤んで、アルに御免とジェスチャーを行った。
それに気づいたアルは嬉しそうに頷く。
睦月はへらっと笑ったアルに苛立ちが募った。
「危険なことはさせない様に、毎っ回お願いしてるはずだけどぉ!」
睦月の攻撃。右の平手がアルの顔面に向かって飛ぶ。
「調べてもらうだけだったよ。いつの間にか、こんな大事になったけどね」
アルは体勢を後ろに逸らし、回避。
「前の時もそんな事を……!」
睦月の連続ビンタ攻撃。アルは最小限の動きで全部回避する。
「このっっっ」
顔面に一撃当てたいのに、当たらない悔しさも混じって、睦月の手がワナワナと怒りで震え始める。
「まぁまぁ睦月」
そこに匠が割り込んだ。
「瞬が自分で行動した結果だから、アルに八つ当たりするのは良くない。どうせ叩いたところで当たらないんだから、やるだけ無駄だよな」
火に油を注ぐのが得意な奴が割り込んでしまったと瞬は慄く。
睦月は匠をギロっと睨む。
「ああ、そう、そーいうことね」
その強さはアルに向けられていた比じゃない。もっと苛烈な炎へと変わる。
「あんたが、炊きつけたんでしょ!」
「失敬な。協力はしたけどね」
「同じ事でしょ!」
睦月は匠をとことん嫌っていた。
いや、正確には嫌いになった。
ある日を境に、彼女は匠への不信感を募らせ、瞬に関わるなと念を押す。
しかし妹は匠の魅力に取りつかれ過剰に信頼している。いつか本当に自分の前からいなくなってしまうのではないかと不安になる。
「大体、いつもいつもいつもいつも」
人の気も知らず、いつもトラブルを運んで妹を巻き込んでくる匠。そしてアルも。この二人が大嫌いだ。
「いーっつも、あんたって最低!」
ガシィと匠の首襟を掴み、睦月はぐーで殴りかかろうとした。
緊迫した空気を切り裂くように
シャッ!
仕切りカーテンが開く。
「そこまでよ、睦月」
あき子が顔を覗かせた。
睦月は拳をぴたりと止め舌打ちをする。
「あんたねぇ、匠に何やってんのよ!」
睦月と目が合ったあき子は鬼のような形相で怒りつつ荷物を放り投げ、ツカツカと大きくヒール音をたてながら匠と睦月の間に割り込む。
「せめてこいつ一発殴ってから来てくれない?」
手を離した睦月は腕を組んであき子を睨む。
「殴れるわけないでしょ。空振りで悔しがるだけじゃない」
あき子は背中で匠を庇う。その隙にそそくさと匠は移動し、あき子に場を譲った。
睦月は虎、あき子は大蛇をそれぞれバックに背負い、ゴゴゴゴゴと威嚇音を放つ。
「久しぶりに顔を見たと思ったら、病室で何を暴れてるの? 常識どっかに置き忘れてしまった?」
あき子は黒髪の艶やかな髪を手でファサァと流した。
「うるさいわね。凶悪の権化を殴ろうとしただけでしょ」
胸を張り、睨みかえす睦月。
「なんで匠が殴られるのよ」
「ふん、事情を知らないあんたなんかに分かるわけないでしょ」
「何よ! そっちの方が分かってないくせに!」
「あんただって分かってないでしょ!」
互いの額を引っ付け超至近距離で怒鳴り合う。
睦月の相手があき子に変わったところで、アルと瞬はほっと溜息をついた。
この二人、匠の事でいつも喧嘩になっているが親友でとても仲が良い。あき子と話しているうちに睦月の怒りが放出され落ち着きを取り戻すだろう。
匠もアルも睦月に怒りに油を注ぐ存在だ。あき子だけが、睦月の怒りを無難に鎮火させることが出来る。
「っていうか、その口紅色似合わないわよ! いつもの色はどうしたのよ!」
「はあああ? 分からないからって、毎回匠に突っかからないでほしいわね! 今日はこの気分なの! 睦月もそのチーク全然似合ってないわね!」
「瞬を巻き込むから怒ってるのよ! そしてこのチークは最新流行の必須アイテム! どんな肌色でも似合うってフレーズなのよ!」
「瞬は自分から進んで巻き込まれたのよ仕方ないじゃない! それでいつも言うけど、流行と似合うとは別問題なの! 肌色はちゃんとみたの!?」
「仕方ないで済む問題じゃないわ! 見たわよ肌色!」
「本人の自由でしょう! ちょっと何を参考にしたのよ! 私が選んであげるから買い物ついてきなさい」
「くっ。匠がいないならいいわよ!」
睦月とあき子の言い合い合戦は徐々に平和になってきたが、音量は大きく部屋中に響いている。
「看護師さんに怒られるから、姉さんもあき子さんも声小さくしてよー」
瞬は微弱ながら止めようと声をかけるが全く効果はない。
「いやぁ、流石あき子。丁度いいガス抜きやってくれるなー」
匠はニヤニヤしながら観戦し、
「はぁ。匠さん分かってますか? これ後で二人から同時に怒られる流れですよ」
アルはあき子が落とした荷物を取り行き、自分が座っていた席に置いた。
「それは全部アルに任せる」
「匠さんに関してだけだったら、俺もあっち側に回れるんですけどね。助手として一人で危険なことさせたそうじゃないですか?」
「うわぁ、トリプルかー」
楽しそうだと笑う匠。怒っても効かないだろうなぁと分かっているアルはそれ以上何も言わなかった。
「瞬のああいう性格が、わかった気がする」
茫然と眺めていた芙美はこそっとトミヤに話しかけた。
「俺も」
トミヤも同意した。
瞬がベッドから体を起こして、芙美側のベッドの端に座り、申し訳なさそうに手を合わせた。
「芙美、トミヤ。もう帰ったほうがいい。姉さんたちまだ終結しなさそうだし、このままだと一緒に怒られちゃう」
「そっか、じゃあ今日は帰るね」
芙美はあっさりと納得して立ち上がる。
「そうしよう」
トミヤもさっさと立ち上がった。
「うん。またね芙美。トミヤは芙美をよろしく」
「おう。じゃあな瞬。また明日」
「また明日ね、瞬」
病室から通路に出た芙美とトミヤは、通路側でも声がすごく響いていると気づいた。
これは他の患者に申し訳ないなぁ、と思いながら、歩き始めて数歩後。
ナースステーションから一人の看護師が駆け足でやってきて瞬達がいる病室に入っていった。
そして騒音が消える。
「あー……」
「怒られてるんだわー……」
トミヤと芙美は度々振り返りながらチラチラと部屋を確認する。
看護師はまだ出てこない。
角を曲がって、エレベーターが来るのを待っていたが看護師は病室から出てこなかった。
次回、最終話です。




