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水面下ならば潜ろうか  作者: 森羅秋
瞬とカンゴウムシ事件と夏休み
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女神様に最後の報告


 留置施設を抜け出た瞬達は20分ほどでアクアソフィーにたどり着いた。さらに先へ進み、小道に入る。

 目的地は香紋の公邸だ。女神は既に掌握していると思うが、最後の報告はしなければいけないと考えている。

 小道を走り抜けていたら、頭上に伸びている透明なポンプから、チカチカと色が付いた水が視界に入った。

(あの光……歓迎してくれているのかな?)

 湖の端からチカチカとした光が香紋の公邸へ流れていく。見ていると足が勝手に香紋の公邸へ向かった。入ってもい許可を得たと思い、瞬は奥に向かって走りだした。

「ここって……」

「俺、昔、抽選に当たってきたことがある。個水だ」

 後ろを走っていた芙美とトミヤは、この場所が個水と気づいて、バツが悪そうにお互いの顔を見合わせた。

 足を止めて周囲を見渡す。立ち入り禁止区域に入ってしまい、足が少し震えた。

「大変。瞬を止めなきゃ」

「いや。あれ絶対に分かってるぞ」

 人目を憚りながらも慣れた足取りで、個水から香紋の公邸へ走る瞬。何度か訪問していると行動が示していた。

 芙美は首を左右に振る。

「でも止めよう。女神様に逢うのは限られた人だけだもの」

「まぁ。そうだけど……」

 言葉を濁しながらトミヤは周囲を見渡した。個水の中に護衛の兵士が誰もいない。夜であれば、ましてや、女神反逆者がいると分かっている時点でこの警備の手薄さはありえない。何か考えがあるのか、何か予想外のことがあったとしか思えない。

しかし、警備の薄さこそが第三者の訪問を予想していたと考えれば、辻褄が合いそうだ。

「瞬を止めていいのか……」

トミヤが考え込んだので、業を煮やした芙美は彼を置いて全速力で走り、瞬の背中の服を掴んで引っ張った。

「瞬、ダメよ、ここに入っちゃいけないわ」

 くいっと小さく制止されて、瞬は驚いて足を止めた。後ろを振り返ると、芙美が少しだけ怒ったように眉を吊り上げていた。その向こう側を見ると、トミヤが駆け足でこっちに向かってくる。

「女神さまのところは勝手に入れないでしょ?」

 あくまでも優しく、戒めるように注意する。

 それを聞いた瞬はふふふ、と笑った。

「招かれてるから大丈夫。こっちこっち」

「いや無理だし」

 とトミヤに拒否され

「招かれているわけないでしょ」

 と芙美に怒られた。

「ほんとに大丈夫だから」

 瞬は芙美の腰に手を回すと、グイっと持ち上げた。俵持ちにして有無を言わせず運ぶ。

 芙美はきょとんと目を丸くして顔を上げると、二メートル向こう側にいるトミヤと目が合った。彼も驚いて目が点になっている。

 ゆっくりな足取りで瞬が香紋の公邸に足を踏み入れると、すぐに水面が盛り上がり人の姿を成して、女神ミナが現れる。女神ミナは優雅な足取りで湖のスレスレに近づいてくる。瞬は芙美を優しく下ろしてから、湖の端に駆け足で向かった。

 芙美は座った状態のまま見上げて固まり、トミヤは一メートル後方で立ち止まり固まった。


 三メートルの距離を開けて瞬は立ち止まる。女神ミナを真正面から見つめ、深々と頭を下げると、すぐに用件を伝えた。

「既にご存知かと思われますが、首謀者確定したので報告に伺いました」

『聞きましょう』

 女神ミナは嬉しそうに目を細めた。


 ガリウォント=ゲマインについて。身辺調査から今回の動機から知ったことを全て暴露した。

 本人が聞いたら真っ青になるほど詳細にかつ簡潔に述べる瞬に、女神ミナは表情を隠すことなく薄ら笑いを浮かべる。

 今の時点で既に『首謀者判明の報告』を兵士から受け取っていたが、それよりも詳細に語る瞬の言葉は、重みと説得力がある。

 『手足』から指導を受け、誘導されていたとはいえ予想以上の成果だ。

 流石『手足』の候補の一人だと満足げに頷く女神ミナ。そして瞬の向こう側にいる一人に対して、あれも、と頷く。

 一通り報告を聞いて、女神ミナは深く頷いた。

『わかりました。報告感謝します』

「あの、女神様。質問よろしいでしょうか?」

『なんでしょう』

「ライニディーネー、本当にされるおつもりですか?」

『あら? 貴女は反対ですか?』

 女神ミナが意外そうに聞き返すと、瞬は首を左右に振った。

「いえ、カンゴウムシがいなくなるなら賛成です。ですが、その、毒素をとり込み過ぎると、世代交代の危険性があるって聞きました。それってつまり、女神様が……」

『最悪、全ての力を使い果たし、病に倒れて命を落とすでしょうね』

 瞬は不安そうに見上げると、女神ミナは優しい笑顔を浮かべた。

『ですが、私も命を落とすつもりはありませんし、この程度ならば、いくつかの危機の一つです。安心なさい』


 力強い女神ミナの言葉を聞いて、瞬はほっと胸を撫で下ろす。


 女神たちは万物の理に近い生き物で、ヒトよりも遥かに長寿だが死は存在する。それが世代交代と呼ばれているものだ。

 女神ミナの年齢は千年と少し。彼女が生きてきた間にいくつも危機があった。そのたびにリクビトとミズナビトと共に乗り越えて今がある。

 本当に『この程度の』『この一回ぐらい』であれば、生命活動に支障はない。

 女神ミナが危惧しているのは、この規模が連続で発生することだ。

 回復するタイミングを逃して力を出し続ける事により衰弱死する。すぐに次の女神が産まれるとはいえ、自らの意思で女神として独り立ちするには数年かかる。

 万が一、女神二人が同時に新しく産まれてしまったら、力のコントロールを修得する前に島が壊滅するだろう。腐敗した水や汚染された大地だけが残り、リクビトもミズナビトも死に絶える。

 しかし今その話をする必要はない。そうなる可能性はまだ低いからだ。


 女神ミナは色っぽい笑みを浮かべた。瞬はドキリと心臓が高鳴る。

『ご苦労様でした。この度の働きについては後日お礼を渡します。今日はもう帰りなさい』

「え? お礼?」

 瞬は無償で調査していたので、褒美発言を聞いてきょとんと目を丸くした。

 女神ミナは微笑みながら口元に手を添える。

『依頼には報酬を、でしょう?』

「え。あ、はい。あ。で、でもあの……もし貰えるなら。その、こっそりがいい……です」

 大々的に褒美得ると今後の活動及び人生設計に支障出来そうだ。

 欲しいけど、どうしよう。と困惑が強く出る。

『ふふふ。こっそりですね』 

 女神ミナは頷いた。もともとそのつもりである。

 女神ですら臆することなく意見を出す姿勢は好ましい、と初心な少女をもて遊ぶような妖艶さをだした。

 これには瞬だけでなく、後ろで固まっている芙美とトミヤの顔が、衝撃で真っ赤に染まった。

『目立たないものにします』

「ありがとうございます!」

『では、日が昇ってすぐにライニディーネ―を行います。それまでにメガトポリスに避難してください』

「はい!」

 女神ミナは芙美とトミヤを視界に入れた。

『あなた達も避難に最善を尽くしてください』

 芙美とトミヤの顔が驚きに染まる。目を見開き大きく口を開けて全身の筋肉が緊張してしまい、銅像のように固まってしまった。瞬が二人をみて、息をしているのかと心配してしまうほどだ。

 これ以上ここに留まると二人の心臓が止まる。そう判断した瞬は、女神ミナに丁寧な会釈を行った。

「有難うございます。それでは失礼します」

『気を付けて。また機会があれば会いましょう』

 女神ミナは凛とした佇まいで頷くと、その体を水中に沈めた。

 瞬は波打つ水面を眺めて。

(そんな機会は今後ないと思います)

 心の中で勘弁してくださいと思いながら、踵を返して二人に呼びかける。

「有難う二人共。用事すんだから帰ろう」

「しゅ、ん!」

 芙美を立たせようと手を伸ばした瞬だったが、逆に両手でガシっと捕まってしまった。芙美の瞳に星がちりばめられ、キラキラしている。熱い眼差しを受けて瞬は苦笑した。

「理由はあとで。落ち着いたら話してあげる」

「ほんとに話せよ! ほんとに話せよ!」

 いつの間にかこっちに駆け寄ってきたトミヤが、好奇心いっぱいの眼差しを瞬に向けていた。二人から熱い視線を受け、瞬は困った様に眉を潜めた。キラキラ視線から逃げるように顔を背けて体を半歩そらせる。

「うん、話すから……今は避難しよう」

「絶対ね!」

「絶対だぞ!」

「もちろん」

 瞬は笑顔で頷いた。

 女神と親しく会話をしたのだ。どう足掻いても興味が湧くのは当然である。

 ここまで巻き込んでしまったお詫びに、教えていい部分を話そうと決める。

 瞬たちは小声で談話しながら個水を後にした。



 

『ふふふ、楽しそうですね』

 女神ミナは唇と顎に右手を添え、左手を右肘に添えながら、張り巡らせた視界から瞬たちを眺める。

 早く帰らせるために姿を消しただけで、彼女たちが無事にアクアソフィーにたどり着くまでは見守ることにしていた。今は兵士が不規則にうろうろしているため、遭遇した時に庇うつもりだったが、予想通り何事もなくすり抜けてアクアソフィーに到着していた。『手足』の教えが徹底している証拠だ。

『頼もしいこと。さすが次世代の候補だわ』

 満足そうに呟くと、

『さて』

 と意識を変える。

 目から暖かい色が消えて、氷のような眼差しになった。

 今からもう一人の女神、妹であるユクに頑張ってもらうよう叱咤激励をしなければならない。

 浄化を行うのが彼女なら、浄化する毒素を集めるのが女神ユクの役目。

 今回も姉の体を心配してライニディーネーを行うのを渋る。説得出来る予想時間が日の出時間だ。

 本来は危機的状況に自ら気づき、自身の考えで対話し動いてほしいものだが、贅沢は望めない。三百歳の女神ユク、見た目は同じでも中身はまだ子供なのだ。

 そんな彼女に実戦として色々教え込むのも、姉であり、先輩でもある女神ミナの役目だった。

『ユクを説得しないとね』

 女神ミナは湖に溶けて沈んでいった。



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