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水面下ならば潜ろうか  作者: 森羅秋
瞬とカンゴウムシ事件と夏休み
36/56

一難去らず更に一難


 プリメーラが泣きそうな顔で瞬を見つめていた。フォローが出来ず見守るしかない状況に心苦しさを感じていた。

 『ごめん、超ごめん!』と、視線で謝罪する。

 瞬は視線に気づき、貴女のせいじゃない。と小さく首を左右振った。

「いいか、今度から気を付けろ」

 顎を高く上げ自尊心を前面に出したガリウォント。

「すみませんでした。これから気をつけます」

 瞬は静かに丁寧な言葉使いで返事をしながらお辞儀をする。頭を下げたのは顔の端が引きつっているのがバレないためである。

 しおらしい態度で機嫌を良くしたのか、ガリウォントは機嫌よさそうに鼻で笑った。

「ふん。分かればいいんだ」

「はい」

 口の端が引き吊ってしまうから、まだ顔を上げることができない。

 心の中で悪口を羅列してから、瞬はゆっくりと顔を上げた。勿論、こちらが悪かったといわんばかりの低姿勢を忘れない。

「もう、いいですか?」

 泣き声の演技を行うと、ガリウォントが頷いた。

 肩を落とし、手で口元を抑えながら背を向けようとしたが、

「ちょっと待て」

 と、ガリウォントが静かな口調で瞬を呼び止めた。 

(まだ文句を言い足りないのか!)

 呆れながら振り返ると、ガリウォントの手が伸びて瞬の襟首を掴んだ。グイっと相手側に少し引き寄せられる。

 吃驚して瞬は目が点になった。

 プリメーラも目を点にするが、

「クソガキ、貴様もしや」

 ガリウォントの声にハッと我に返る。彼のいつもの行動を思い出したプリメーラは力づくで割り込んで、ガリの手を振り払い、庇うように瞬を抱きしめて後退する。

「いやいやいやダメですって! この子は民間人ですゲマイン部長! 折檻は駄目です!」

「馬鹿か、誰がするか」

 ガリウォントは興ざめしたように頭を軽く振る。

 嘘をつけ! とプリメーラは声のないツッコミをした。

「確認しただけだ」

 そして瞬を指で示した。

「このクソガキはアクアソフィーに入り込み、シフォンの傍をうろうろしている奴だな。一度見たことがある」

 瞬の心臓がドキリと鳴った。表情を読まれたかもと焦ったが、瞬の顔はプリメーラの胸にある。ガリウォントに動揺を悟られてはいない。

「いやいやそんなわけないですって! 一般人がそんな場所に行ったら怒られて追い出されますよう! 他人の空似ですってば!」

 必死に誤魔化そうとするプリメーラ。彼女にはわかっている。

 その通りですなんて言った日には、瞬にとんでもない被害が及ぶと。

 ただでさえガリウォントは事有ごとにアルに嫌がらせをする。相手に余裕で対応されてしまい、悔しそうに地団太を踏む姿を目撃したことがある。

 もし『親密な友人』だと知られれば、瞬が酷い目に遭うことが確定する。間接的に攻撃できる材料があるなら突っつくはずだと、環境課勤務歴五年の彼女には痛い程分かっていた。ここは違うと言い張るしかない。

「私の友人の事はもう勘弁してください。ゲマイン部長のお説教を聞いて、しっかり反省したんですから!」

 プリメーラは目を血走りさせながら訴えると、

「ちっ、まぁいい。不問にしてやる」

 ガリウォントは舌打ちのあとに肩をすくめた。そしてプリメーラを指さす。彼女はジャンプするほどビクゥと体を震わせた。

「貴様、確かプリメーラ=ホルダだったな」

「はひ!」

「戦闘着着用義務違反での反省文を百枚、俺の所へ持ってこい。三時間以内にだ!」

「……分かりました」

 力なく答えるプリメーラの目は半分死んでいた。百枚の反省文は提出のたびにきっと何度もやり直す。今日の業務が出来ない、徹夜だと嘆いた。

 無茶苦茶な、とツッコミしかけて瞬は慌てて口を閉じた。プリメーラに強くしがみつくことで勢い緩和する。

「大丈夫、大丈夫」

 落ち着かせようと、プリメーラは瞬のの背中を撫でた。頼られていると感じて、少しだけ心が軽くなる。

「あ。ううん、私よりも……」

 瞬は鋭い視線を感じて反射的にガリウォンを見た。兜は便利だなと思う。視線も表情も分からない。

 だが、確実にみられていると感じた。

(うーん、これは私を認識したみたい)

 アルの傍にいるリクビトと判断したが、この場で深く追及しないようだ。

(でも近いうちにこいつと一戦するから、その時に色々倍にして返す)

 ガリウォントがアクアソフィーに入り姿が消えると、プリメーラが瞬を放し腰が砕けたかのように座り込んだ。

「はひいいいいい。今日は厄日だぁぁぁぁ」

「大丈夫ですか!? あと有難うございました」

「うん、大丈夫。古林さんこそ、変な人が絡んできちゃってごめんね」

「いえ、そんな……」

 と、瞬は首を振りながら、怯える演技をする。彼女にも闘争心満々だったことを悟られてはならない。次に何かあったら庇ってもらえなくなるから。という打算だ。

「でも、白金の鎧着てるからまともだと思ったけど、横暴な人なんですね」

 と意外そうに呟くと、プリメーラは深く頷いた。そして立ち上がる。

「そうなのよ。もうねー、シフォン部長を目の敵にしすぎて大変」

「だから庇ってくれたんですか?」

 プリメーラは頷きながら瞬の耳元で囁いた。

「ここだけの話、あいつは陰険で乱暴で傲慢の塊。気に入らない人がいると、暴力なんて当たり前。噂では罪をでっちあげるとかどうとか」

(知ってる。噂は真なり)

 と、思いながらも、瞬はびっくりしたように瞬きを繰り返す。プリメーラは苦笑しながら、ポンポンと瞬の肩を叩いた。

「これからは気を付けてね。担当課の場所が違うから会う事はないと思うけど。シフォン部長の近くで見つかったら、色々なん癖つけて絶対に手をあげるはずだから。女性にも容赦しないから気を付けて」

「うわぁ……。だから庇ってくれて……すいません、ありがとうございます」

 瞬が謝ると、プリメーラに気にしないでと首を左右に振った。

「実はこーいうことって結構頻繁にあるのよ。そう、頻繁に……ね」

 がっくりと肩を落としたプリメーラの顔は死相が浮かび、口から魂が抜けていた。






 その日の夕方、瞬は匠家へ来ていた。匠が留守だったのでここで待たせてもらうことにした。

 あき子に暖かいミルクコーヒーを受け取り、瞬はソファーに深く座る。横でおかきを食べているあき子にお昼のアクアソフィーでの出来事を話して聞かせた。

「ふぅん。運がよかったわね瞬」

 あき子が頷いた。眼差しに少しだけ心配色が浮かぶ。

 瞬は疲労困憊といわんばかりにテーブルに突っ伏した。

「うん、運がよかった。でも絶対にバレてるーーっっ」

「そうか。なら瞬はそいつの身辺調査はもう関わるな。一度ロックオンした奴は最大に警戒しているだ。アルには劣るが剣技の腕は確かだ。お前だと敵わないぞ」

「うわぁ!?」

「ちょっと! 吃驚するわね!」

 背後からの匠の声に、瞬とあき子は同時に悲鳴をあげた。

 いつの間にか帰宅していたようで、彼は二人の間にひょっこり割り込んで上半身を乗り出し、おかきを手に取り口にもっていく。

「おう、ただいまー」

 少しも悪びれることもなく、匠はおかきをぽりぽり口で砕く。

「心臓に悪いなぁ! もっとしっかり自己主張してよ!」

 と、瞬が胸を押さえながらソファーに沈む。

「幽霊の化身かしら? 通路に鈴をびっしり設置してあげようかしら」

 と、あき子が眉間にしわを寄せながら呻いた。

 幽霊扱いされても、匠は気にせず口の中に入れたおかきを飲み込んでから、ソファーに寝ころんだ瞬に視線を落とす。

「返事は?」

「りょーかい。調査中にバレた方が厄介だもんね」

残念そうにため息をつきながら、瞬は起き上がった。匠が瞬の頭をぐりぐりと撫でる。

「おう。今回はこれでお前の役目は終わりだ。後は結果を待つばかり」

「なんだか不完全燃焼」

 と頬を膨らませて、匠の手を払いのける。

「あと、そうだ。アルが今夜、匠に会いに来るって伝言あったよ」

「おー。やっとか」

 匠はソファーをまたぎ、瞬とあき子の間に割り込んで座った。

「ちょっとー。気をつけてよ」

 と、瞬が声を上げる。三人掛けソファーなので窮屈ではないが、瞬の手の上に脚が降りてきて踏まれそうになった。サッと避けてスペースを譲る。

 ソファーに座った匠は、あき子が飲んでいた紅茶を取り飲み干す。

「それ私のよ。全く、新しいの用意するから待ちなさい」

「濃い珈琲で」

「はいはい」

 席を立ちキッチンに向かうあき子を見ながら、おかきを取り口へ運ぶ。ボリボリとかみ砕きながら、首を傾げた。

「アルが来るねぇ。まぁ、ギリギリアウトって感じだな」

「何がギリギリアウト?」

 聞き返すと匠は肩をすくめる。

「それよりも瞬。急ぎのお知らせだ。改造カンゴウムシで多数の怪我人が出たので、メガトポリスへの強制避難勧告が今日の夕方から発令される。お前も帰って準備しとけよ」

「わぁー……マジか。どうなるんだろう?」

「さぁな。ここまでカンゴウムシが広がると、最終的にライニーディーネーを待つことになるが、女神達がそれを実行するかどうかはわからない。でもまぁ、なるようになるさ」

「なるようになる……」

 酷く曖昧だが、調査以外に瞬が出来ることは何もない。後は野となれ山となれなのは事実だ。

「私のやったことで、何か成果が出るといいなぁ」

 小さく呟くと、匠が頭を撫でた。見上げると、彼は柔らかい笑顔を浮かべている。

「大丈夫さ。瞬の集めた情報はとても人の役に立っている。自信を持て」

 力強い言葉に安心して、瞬は微笑しながら頷いた。


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