火と油
文字数2600くらい
瞬は広場を突っ切り、寄り道をせず真っ直ぐホープへ向かった。今回の用事は済んだのでさっさと帰宅するつもりだ。しかし泉都市の暑い気温を思い出し足取りが重くなる。このまま夕暮れまで此処に居ようかなぁという考えが過るが、増え過ぎた改造カンゴウムシを少しでも捕獲しておこうと思い直した。
「古林さん!」
「ん?」
ホープの出入り口が見えてきた所に差し掛かったとき、女性の声で呼び止めらえた。聞き覚えがあるので立ち止まり、声の方向を振り返る。
アクアソフィーから女性のミズナビトが瞬に向かってやって来た。内部の勤務なのだろう、鎧は着用せず紺色の制服だ。見覚えのあるこの20代後半女性は環境課西区担当の被れの木管理係の人だ。名はプリメーラ=ホルダだったはず。
「良かった。まだこちらにいらっしゃったのね」
息を切らせて走ってきたプリメーラは瞬の前でホッと息をつく。
「どうしたんですか?」
きょとんとして聞き返すと、彼女は「あのね」と続けた。
「シフォン部長は深夜に勤務が終わりそうだから、そのまま伊東さんのお宅に行くって伝言を、貴女に伝えてほしいって電話があったの」
「わぁ、その伝言の為に私を探してたの? お手数おかけしました」
申し訳なさすぎて謝罪の気持ちも含めてペコペコ会釈すると、プリメーラは微笑みつつ「いえいえ」と手を振った。
「重要な勤務の時は私的な通話は取れないから、気にしていたみたい。まだこの周囲をうろうろしていると思ったみたいよ」
「擦れ違いにならなくて良かったです」
「ほんとね」
瞬とプリメーラが和やかに笑っていると。
「そこのお前! 鎧も着用せずに何をやっている!」
すこし皺枯れた怒涛の声が響いた。
吃驚て振り返る二人に、ドスドス足音を立てながらこちらに向かってくる兵士がいる。白金の兜と鎧姿、飾り色は黒が強いグリーン色だ。
それを見てプリメーラは緊張した様に体を強張らせて、ピッと背筋を伸ばした。顔色が青くなって冷や汗を浮かべている。
瞬はびっくりして目を見開いた。カラーネームコードとダミ声を忘れるわけがない。あれはガリウォントだ。
「鎧はどうした!」
ガリウォントがプリメーラの前に立つと彼女は理由を説明した。
「現在自分は内務勤務につき、戦闘着を着脱しております!」
「なんだその言い訳は! 内務勤務でも常に戦闘着を着用しろ!」
「お言葉ですが、規則違反はしておりません。内務勤務時は鎧着用の義務はありません」
「口答えするな! 義務はないと言い訳しよって、普通に考えたらわかる事だろう!」
「申し訳ありません!」
「これだから経験が浅い奴は始末が悪い!」
「申し訳ありません!」
規則違反してないのに怒られるのは理不尽だが、最大級のお辞儀をして謝罪するプリメーラ。瞬はそれを静観している。彼女を庇おうとして口を出せば、ややこしい事が起こるに決まっている。
瞬は口を慎みながら、ガリウォントの動作を観察した。兜で表情が分からないので、横柄な性格だな。と思うだけにとどまった。ここ数日は彼の身辺調査を中心にしているから、このような場面に遭遇しても驚きはない。彼の横暴な対応により多くの兵士が被害に遭っていると調査で分かっているからだ。その多くは環境課西側担当地区の兵士たちで、同情は禁じ得ない。瞬はひそかにプリメーラに同情する視線を向けた。
あまりにも長い言いがかりに、
(くそおっさん)
と瞬が毒づいた。
するとガリウォントが瞬を視界に止める。心が読まれたか!? と瞬の表情が引きつった。
「そこのガキ、ここで何をやっとる」
「え? 何をって……? 今から帰るところだけど?」
「質問に答えんか!」
怒鳴られた。高圧的な威圧がモロに体にかかる。敵意に近いその圧は慣れていなければ男でも恐怖で半泣きになるかもしれない。
優しさの欠片も見当たらない態度をみて、瞬は内心舌打ちをした。しかしここではあくまでもか弱い少女で通すつもりだ。瞬はビクっと大げさに肩を揺らして、居心地悪そうに視線を右往左往させる。
「あのあのあの!」
即座にプリメーラが割って入って来た。瞬に白羽の矢が立ったと気づき身を挺して守る。
「この子は私の知り合いで、丁度、用事があって声をかけただけです! 決して怪しいから声をかけたってわけではなくてですね! だからそのこの子は悪くないんですよ!」
引きつった笑顔を浮かべて弁解するが、ガリウォントは腕を組んでプリメーラに呆れる。
「お前に聞いていない。儂はこのガキに聞いている」
「いえその、だからですね」
「下がれ!」
ドン!
ガリウォントはプリメーラを押しのける。彼女は軽くふっ飛ばされて地面にお尻を強かに打ち付けた。
瞬は目を丸くして慌ててプリメーラの傍に行く。
「大丈夫ですか!?」
「あたたた。面目ない、大丈夫です」
お尻を摩りながらプリメーラが立ち上がる。瞬は不安げに彼女を見守ると、ガリウォントが鼻で笑った。
「で? ガキはここで何をやっている?」
質問と共に侮蔑の視線がきた。瞬はうっかりと真正面から睨み返す。
「アクアソフィーに遊びに来て、今から帰るところ。それが何か?」
「ハッ どうだかな」
せせら笑うガリウォントにイラつく瞬だが、喧嘩を売らずに平常心を保った。
とりあえず、気が済むまで喋らせてやろう。と口を閉じる。
「クソガキ、最近この辺りをうろついているな。リクビト風情が高貴な場所に来ても良いと思っているのか?」
(高貴な場所? どこの事だろう。アクアソフィー? 部長室? それともあの場所の出入りがばれているのか?)
後ろめたいことは沢山やっているので、思い当たる節が多すぎる。瞬は少し考えて、逆に聞き返した。
「高貴な場所とは?」
「深淵都市に決まっている! 貴様のような非常識リクビトがうろつくから、この場所が穢れる! さっさとムシだらけの土地へ戻れ! リクビトにはお似合いだ!」
ふんぞり返りながら差別発言の連発に、通りすがりの兵士たちや一般人たちは目を丸くした。しかし極力関わりになるまいと視線をそらしてそそくさと去っていく。アクアソフィー内でも内務勤務の兵士たちが数人、窓からこちらを伺っているが立場上の関係か、困惑するだけで誰も止めようとはしかなった。
(この空気。もしかして、こいつを注意するのがもっぱらアルだった? こんな面倒な奴からいつも嫌味言われてたの!?)
罵倒に近い説教がスーッと耳を通り抜けたところで、瞬はうすーく口角をあげた。よく見ないと笑っていると気づかれない表情だ。
瞬は体を震わせて怯える演技をしつつ、聞き返す。
「リクビトは深淵都市に来てはいけないと?」
「当たり前だ。どうせ虫から逃げて生きてるんだろ。そっちの生き物だろうが、我慢して過ごせ」
瞬の眉間に怒りマークが一つ。
「こんな時間にうろついても全く悪びもしないとは、低堕落が目に付くなぁ?」
瞬の眉間に怒りマークが二つ。
「わざわざ俺のような上階級の兵士が貴様のような底辺の輩に、お説教してやるだけ有難いと思え!」
瞬の眉間に怒りマークが多数浮かび上がる。
(お前一体何様だああああああああ! まだ昼の二時だぞ! 完全にリクビト嫌いなのは分かったけどこいつ阿保だろ。自分の役職を鼻にかけて何でも言って良いと思ったら大間違いだぞ!)
内心の燃え上がる怒りに気づかれないよう、萎れた演技を続ける。




