夏の始まり
今年は例年にも増して暑い年だ。窓を閉めているにも関わらず蝉の鳴き声が耳に響くと、それは張り合うように教師が声量を上げた。
「このように今の生活が豊かなのは、私達の祖先『リクビト』が『ミズナビト』の人々と友好的であった事、そして、向こうも敵対心がなかったことだ」
今は歴史の授業真っ只中。
教師に対して20人の生徒がいる。生徒は皆、白い襟つき半袖シャツに濃い緑色のチェックズボンやスカートを着ていた。規律正しい学校であり、生徒もまた規律正しく生活している。だが、もうすぐ始まる夏休みに浮かれてしまい、殆どの学生が授業に耳を傾けていない。
それを感じ取っているのか、いつにも増して教師の話は長かった。
「だからと言って、戦争が無かったわけではない。いくつかの小さな紛争はあった。その中で孤島存続危機もあった。代表的な戦争は今から600年前、リクビト対ミズナビトの100年戦争。バール・エリス戦争だ」
ここで生徒たちの関心が一気に消滅した。
テスト範囲外の内容と知るな否や、真面目に聞いていた生徒ですら姿勢を崩したり、雑談をしたり、別の教科をやったりと好き勝手し始める。
(うわぁ。またこの話か。……眠い)
教室の後ろドアに近い席に座っている女子学生、古林瞬は手で大あくびを隠して、眠たそうに瞼を指でこする。栗色の柔らかいボブ寄りのショートカットがかすかに揺れた。
右手の指ペンを弄びながら、憂いを帯びた表情でため息をする。
その姿は年齢より幼い『美少年』という風貌でとても絵になっていた。スッキリした凹凸の少ない体形のため、スカートを履いていなければ男子生徒に間違えられるほどである。
瞬もテスト範囲外の話に集中が削がれたクチだ。一気に眠気が襲ってきたため、睡魔を払い落とすべくぺらぺらとページをめくる。どれの項目も予習済みであり新たな知識は得られそうにない。仕方なく、歴史教科書の1ページ目の『はじめに』を開く。
学年が上がってもこの部分は小中高一貫して同一の内容であった。くりっとした大きな茶色い目が、その文字を辿る。
島の名前は『水淸の孤島』。
ここには2種類の人間が住んでいる。
リクビトは陸地のみ活動できる猿から進化した人間で、生まれたときに性別が決まっている。
肌色は黄色と白の混じった薄い色素。髪は黒色・茶色が多く、目の色は琥珀色か茶色が多い。
ミズナビトは陸と水の両方で活動できる淡水魚から進化した人間で、第二次成長期に性別が決まる性質をもっている。
皮膚は水色っぽい色素、首筋もしくは胸骨部分に鰓があるのが特徴だ。髪は緑色や黄緑色が多く、水色や青色の瞳は水中で目を開けやすいよう透明な膜が張られている。ヒレから進化した耳は水中の音を正しく聞き取ることができる。
わたしたちは異世界の住人同士であり、世界が融合したことで出会い、共存の道を選んだ。
リクビトは食料不足、エネルギー不足、医療不足によりその数を減らした。
ミズナビトは水が減り濁ったため生活の場を陸地へと移し、その環境に適応するヒトだけが生き残れた。
混乱が生じて衝突が起こり戦火の歴史があったが、民族価値観を融合させて手を取り合った。
わたしたちは姿形は違うけれど同じヒトである。互いを尊重しよう。理解しよう。助け合おう。
わたしたちは新しい人類だ。
瞬の脳裏に友人のアルが浮かぶ。ミズナビトである彼と午後から会う約束があった。
腕時計を見るが時間はなかなか過ぎ去りない。秒針の遅さに何度も舌打ちを繰り返していた。
「結局の所、リクビトの兵器は使用される前に終結した」
教師は黒板に新しい文字を綴る。これも残念なことにテスト範囲外だった。
「これが用いられたら歴史は大きく変わっていただろう。民族間戦争は終結したが、ミズナビトの中にはリクビトに不信感や嫌悪をしている者が多く、ミズナビト同士の小さな紛争がその後も繰り返された」
教師は戦禍で一番苛酷で被害の大きかった戦争を熱弁している。
生徒達が呆れるほど、隙あらば捻じ込んでいる歴史だ。そのため大半の生徒がこの話をある程度暗記するくらいになっていた。
瞬は二回ほど聞けば覚えてしまうので、同じ話を繰り返し聞かされるこの時間は拷問に近かった。
「ミズナビトの紛争は女神様によって何度も鎮圧されている。方法も様々で、警護隊が解決したり、女神様が直接手を下すこともあった。女神様の裁きは洪水を発生させる。リクビトは水中で生活出来ないためこの事態が起こると半年から数年は機能が麻痺して……ああ話が脱線したな」
最初から脱線してます。と生徒たちが心の中でツッコミする。
しかし口に出していないので教師に彼らの気持ちは届かない。
「えー。君たちはまだ生まれてないのだが、20年前の……レットブラッドログという反女神組織が起こした紛争、名前くらいは知っているだろう。警護隊達の活躍によって壊滅した話は親から聞いているはずだが、改めて説明しよう。レットブラッドログはドリープラッグ島と取引をして、麻薬という毒をこの島に蔓延させた。特にスラムの被害が深刻だった。中毒者が溢れかえって犯罪が多発、多くの死傷者をだした」
キーンコーンカーンコーンー
授業終了のチャイムが鳴り響いた。
結局、テスト範囲はほどんど出てこなかった。
「では今日はここまで」
歴史の授業が終了して、教師は早々に教室を後にする。
ドアが閉まった途端、学生たちがワッと歓声のような声を上げた。明日は休日であり、生徒達は遊ぶ予定に浮足立っていた。
瞬は担任が来てホームルームが始まる前に帰ろうと、カバンにさっさと教科書を詰め込む。
前の席でクラスメート数人が遊ぶ予定を話し合っている中、一人が「そういえば」と話題を振った。
「最近、カンゴウムシをよくみかけないか?」
三人の男子生徒の談話だったが、
「俺この前、一日で10匹近く見かけたぞ」
「私も! 家の中に入ってきてたの」
「最近多いいわよねぇ……怖いわ」
「何か起こるのかな?」
「でも大丈夫だろ。なんとかしてくれるさ」
その声を皮切りに何人かが話題に乗っかった。
最近『カンゴウムシが増加』というニュースが頻繁に流れるためだろう。
カンゴウムシは虫に似た『害虫』で、増えると島に災厄を起こす存在だと言い伝えがある。実際に災害の記録も残っているため、連日のニュースをみている生徒たちに不安が入り混じっていた。
瞬はそそくさと立ち上がり鞄を背負うとドアへ急いだ。
教室のドアを開けてたタイミングで、
「古林さん、待って」
呼び止められたため、瞬は後ろを振り向いた。
クラスの学級委員をしている加田芙美が、眉毛をきゅっと上げ、睨むように様に見つめている。
キリっとしているが、ぽっちゃりとした丸っこい顔でたれ目なので迫力に欠けていた。
「まだホームルームが残っているわ」
緑の黒髪色の腰に届く長い髪をポニーテールしているせいで、身体を動かすたびに髪が揺れる。まるで犬の尻尾のようで大変愛らしかった。
「帰ったらダメよ。ホームルームが終わってから初めて学校が終わるんだから」
しかしそんな外見から想像できないほど、とても雄々しく、正義感溢れる性格であった。
「そうだね……」
瞬は一瞬迷ったような顔を作ったが、
「じゃまた月曜日に」
言い終わる前に廊下に出ると、ダッシュして階段を駆け下りた。
その逃げ足たるやネズミが駆け出すようである。
「あ……」
芙美は瞬の運動速度に反応できず呆気に取られたが、我に返って廊下に身を乗り出す。とっくに去ってしまったと分かり、悔しそうに叫んだ。
「またああああもぉぉ! 古林さあああん!」
瞬は階段を降りながら見上げる。その顔はにんまりと笑っていた。
「良く通る声だね」
芙美はお節介だが嫌いではない。寧ろ頻繁に声をかけくれるので本気で嬉しかった。
挨拶に留まらず、困っていないかと心配して声をかけてきたり、移動教室や時間割変更も教えてくれる。学級委員の責任だからという押し付けがましさはなく、気になっただけという柔らかい雰囲気に好感を持っていた。
(彼女と仲良くなれそうな気がするけど……)
こちらからもう少し好意を示せばいいのだが、瞬はその一歩を踏み出せずにいる。
(でも無理かな。カンゴウムシ調査が好きってドン引きされるだけ)
一人で行動する理由がこの趣味である。
カンゴウムシを調査していることがバレると、行動を止められたり、変人扱いされたり、通報されたりする。
なので勝手に学校を休み、授業を途中で抜け出して問題児とされているのも、最低限しか人と関わろうとしないのも、すべては趣味を満喫するためであった。
(さぁて、行こうっと)
瞬は教師に見つからず学校を脱出した。
こうしてお咎めなく自宅に戻ると私服に着替え、午後からの予定であるアクアソフィーに出発したのであった。
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