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意外な一面

 あの予報外れの雨の日の翌日、一日の授業を終えた僕は、自転車に乗って絵画教室に向かっていた。

 昨夜の雨が嘘だったかのように、夏の日差しが地上に降り注ぎ、青々とした空には、ちぎれた紙屑のような小さな雲がまばらに散らばっているのみである。



 僕はその道中、昨日の鉄原先輩との出来事と、これから会うはずの彼女が、僕に対してどのような対応をするだろか、ということばかり考えていた。


 ちなみに、そもそも今日先輩が学校に来ていたのか否かということすら、僕は知らない。

 同じ学年ならまだしも、違う学年である先輩の姿を校内で見かけることは、今まででもそう多くなく、まして彼女が休み時間どこで何をしているかなんていうことは、知る由もないからだ。


 わざわざ3年生の教室まで出向いて、先輩が風邪をひかずに登校できたのかを確認するなんていうのは流石に気持ち悪いし、そんなことをすれば間違いなく嫌われるだろう。



(昨日の夜はお礼を言われたり、話しかけられたりするのをそこまで期待してなかったけど、いざ会うとなると、やっぱり少しはそういう欲が出てきてしまうもんだなぁ……)


 心中でそんなことを呟きながら、目的地の絵画教室に着いた僕は自転車を降り、敷地の裏手にある駐輪スペースへと自転車を押して歩く。

 この教室のアトリエは、先生の大きくて立派な個人宅の1スペースを使用しており、6人の生徒がそれぞれ好きな場所に自分の椅子とスタンドを並べ、作業をする形式になっている。

 

 自転車を停め、裏手から正面玄関へ着くと、扉を開けようとしていた一人の生徒と鉢合わせする。


「……あっ」

「……! ど、どうも……」



 そこにいたのは、昨日僕にお節介を押し付けられた張本人である鉄原先輩だった。

 その手には、きれいに畳まれたあの紺色の雨傘が握られている。


 彼女があのあと無事に雨に濡れることなく帰れたということ、そして僕の強引な善意を一応の形で受け取ってくれていたこと。

 この瞬間に判明した二つの事実が、僕に深い安堵をもたらした。


「……その、昨日はありがとう。おかげさまで助かりました。これ……返すわね」

「あ、いえ。どういたしまして。……まあ捨てて帰ったようなもんなんで、返さなくても全然よかったんですけどね……ハハハ」

「そ、そういうわけにはいかないわ! 他人に借りたものはきちんと返すのが礼儀よ」

「律儀な……いや、ごもっともですね。確かに僕が今の先輩の立場だったら、きっと同じように返したでしょうし」

「…………。」

「……あれ、どうかしました?」


 昨日は、僕がほとんど一方的に話していたため、彼女とこんな風に普通に会話するのはこの時が初めてだった。

 それに先輩のほうも、昨日よりいくぶん態度が軟化しており、その声からは、以前のような警戒の色がほとんど感じ取れなかった。

 

 しかし途中から先輩は急に無言になり、まるで不思議なもの見るような目で僕の方をじっと見つめてきた。

 ……ん? 僕何かまずいこと言っちゃいました?



「……本当に何も要求してこないのね」

「……いやいや、初めからそう言ってるでしょうに。……あのぅ、先輩は一体僕を何だと思ってるんです?」

「そ、そうよね……。疑ってごめんなさい。てっきり男の人って、借りを作ったりすると途端にそれを口実に迫ってくるものだとばかり……」

「いえ、別に気にしてないですよ。それに、世の中そういう男性が多数派なのは、同じ男の僕でも否定できませんし……っていうかほぼ先輩の言う通りですね、……うん」

「……ふふっ、あなたって何だか不思議な人ね」


 ……わ、笑った……!

男を寄せ付けず、“鉄の乙女”と名高いあの鉄原先輩が、男であるこの僕の前で、おかしそうにくすっと笑みを浮かべてみせたのである。


 これはもう歴史的快挙ではないか。彼女に笑みを向けられた経験のある男子生徒など、学校内でもそうそういないのではなかろうか。



「…………。」

「な、何よ? 急に黙り込んで……」

「……あ、いえ。その、先輩もそんなふうに笑うんだなって……」

「し、失礼ね! 私だって人間なんだから、泣きもするし笑いもするわよ! ……ちょっと甘い顔をすると男はすぐ調子に乗るから、普段は意識して無表情を心がけて――って何でそんなことあなたに教えなきゃいけないのよ!!」

「……いや、知りませんよ……。そもそも僕は何も訊いてないですし……」

「……ぅう」


 いつもの鉄仮面はどこへやらと言わんばかりに、先輩はさっきから笑ったり、怒ったり、慌てたりと、なにやら忙しい様子である。

 ……ひょっとして、実は彼女は非常にからかい甲斐のある……もとい親しみやすい人なのではなかろうか?

 普段はクールでどこかそっけない印象のある先輩だが、この一連の会話で、彼女の意外な一面を垣間見ることができた気がする。


 ……よし。閃いたぞ。



「……今みたいに表情豊かな方が絶対かわいいと思いますよ、先輩は」

「……へっ!? ななななにゃをいきなり……!!」


 ……あ、そこで噛むんだ。ふつう、『にゃ、にゃにを……!』とかだと思うんだけど。

 

 少しばかり魔が差した僕は、しれっと「今の方がかわいい」とか褒めてみたのだが、耳を真っ赤にして、びっくりするくらいわかりやすく慌てふためく先輩を見ると、なんだかこちらまで恥ずかしくなってきた。

 

 ……あれ? おかしいな……。先輩って普段異性からこういうこと言われ慣れてそうだから、てっきり『からかわないで頂戴』とか『お世辞は結構よ』とかいう感じで、あっさり流されると思ったのに……。やっぱり意外だ。

 


「……あ、いや、変な意味じゃなくて……その、単純にそっちのほうが親しみやすいっていう意味です!」

「……こほん。と、とにかく! 妙なことを言わないで頂戴。……ほら、いつまでも立ち話してないで、入るわよ」

「そ、そうですね……」



 さっきまでのうろたえっぷりを取り繕うかのように、扉を開けて僕にも入室をうながす鉄原先輩。

 その口ぶりや表情からは、もう昨日までのようなよそよそしさや警戒の色が鳴りを潜めているように感じられた。



(鉄原先輩って、こんなに感情豊かで親しみやすい人だったんだ……。)



 ――そう。これは、それまで”すごい美人だけど怖い人”でしかなかった彼女の存在が、僕の中で大きく変わり始めた瞬間であった。




次回からは、主人公の視点が現在(中3)に戻ります。

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