後悔
主人公が死ぬシーンのみ、若干生々しいかもです。ご注意ください。これ以降残酷な描写はありません。
――山も谷もない無難な人生。
それはまさに、僕のためにあるような言葉だった。
それなりに裕福な家庭に生まれ、それなりに部活や勉強に励み、そこそこの大学を卒業し、そこそこ大手の会社に就職した。
大きな挫折もないかわりに、人に誇れるような華々しい成功体験もない。
就職した会社は超が付くほどホワイト企業で、一人が任される仕事の量も多くなく、3~4月の繁忙期を除けばほぼ毎日定時で退社でき、給与もサラリーマンの平均年収を少し上回る程度。
朝起きて会社に向かい、与えられた仕事を淡々とこなし、仕事終わりの飲み会などには参加せず、帰って夕食を作り、余った時間はゲームや読書などで適当にすごし、日付が変わるまでには就寝する。そんな代わり映えのない毎日。
数少ない学生時代からの友人たちは、僕と違ってみな日々の激務に追われており、入社後数年は1年に2回程度会っていたのが、今では2年に1回会うか会わないかといった状況。
ルックスは至って普通なうえ、恋愛に関してはひどく臆病なため、当然彼女がいたことはない。
そしてそんなぬるま湯のような人生も、30歳の誕生日を間近に控えたある日、唐突に終わりを告げる。
いつも通り仕事を終えて帰宅し、玄関の扉を開けると、そこにはニット帽を被り、マスクとサングラスをかけた「ザ・不審者」みたいな男が立っていた。
そう、僕は自分の家に忍び込んでいた空き巣と鉢合わせてしまったのだ。
予想外すぎる展開に声を上げることもできず、完全にフリーズしていた僕に向かって、空き巣の男は何やら叫びながら突進してきた。それも、鈍く光るナイフを右手に携えて。
左胸に走った人生最大級の痛みで、僕のフリーズ状態は解除された。
そしてそのまま膝をついて玄関の床に倒れこむ。
痛い痛い痛い痛い痛いイタい痛い痛い痛いたいいたい痛い痛い痛いイタイイタイ痛い痛いいたい痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいたいあアあああ嗚呼ああアアあああ
灼熱の痛みが僕を襲い、床一面に赤黒い血の池が広がってゆく。
あろうことか、空き巣の男は僕の心臓に向かってナイフを突き立てたのだ。
たった今、空き巣は居直り強盗と化したのである。
しばらくは地獄の苦痛に悶えていたが、やがて全身の感覚がほぼなくなり、体が冷たくなっていくのを感じると同時に、痛みも嘘のように消え失せていった。
徐々に瞼が重くなってきて、意識もゆらゆらと遠のいてゆく。
(……ははは、僕はここで死ぬのか。こんな山も谷もない平坦な人生でも、最期だけはナイアガラばりの急転直下なのな……)
直感でもう助からないと分かった僕は、完全に諦めの境地に至っていた。
……ああ、せめて一度だけでいいから、恋愛というものを経験してみたかった。
誰かを本気で好きになったり、振り向いてもらえるようにたくさん努力したり……
そして、やがて結ばれて2人だけの特別な時を重ね、ゆっくりと愛を育んでいくような。
身を焦がすような恋とか、互いに激しく求め合う愛とか、そういうドラマチックなものじゃなく、単純でなんでもない日常の穏やかな時間の中に、かけがえのない幸せを見出せるような、そんな恋愛を。
でも、もし奇跡が起こって今この状態から助かったとしても、それは叶わないだろう。
なにせ、僕にはこれといった取り柄もなく、おまけに人見知り……それも異性に対しては特に臆病なのだから。
あーあ……こんな僕でも、来世で超美形に生まれ変わるか、或いは女性だらけで男の少ない世界に転生でもすれば、恋愛ができるのかなあ……
薄れゆく意識の中で、ぼんやりとそんなことを考えていた。
そして、これがおそらく最期の時だというのに、残された両親や妹を思うどころか、自らの心残りを心中で述べるだけでは飽き足らず、来世へのくだらない空想にまで頭を巡らせている自分にふと気づく。
(……まったく、最期まで度し難い人間だな……僕は)
心の中でそう呟き、フッと力なく自嘲の笑みを浮かべたところで、僕の意識は完全に深い闇へと呑まれたのだった。