エインパート1
埼玉県 山中
エインは埼玉県の山奥に潜んでいた。
あれから、一日経った今でもエインの頭は混乱していた。
見た事もない動物。見た事もない物体。見た事もない風景。見た事もない世界。そして……
時間にして一万年弱。エインにとって一万年以上眠る事はそれほど特別な事でもなかった。しかし特別な事ではなかったからこそエインを余計に混乱させた。
たった一万年、たかが一万年であった。
確かに多少は生態系が変わる事や大地の形が変わる事はあった。
同族との戦いの後も世界は変わっていたが、今回エインが見た世界はそんな生温い変化ではない。
億を生きるエインが一生を振り返っても自分の経験と一致しない情景がそこに広がっていたのだ。
そのありえない情景をエインは混乱した頭で再び思い出していた。
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東京都 街中 ~ 埼玉県 山中
東京の上空に現れたエインが初めに見たのは、大量の灰色の石の塊が大地を埋め尽くしている光景だった。山と言うには小さく、岩と言うには少し大きい。しかも、大きさの違いはあれど、どこか規則正しく並んでいた。
エインから見れば眠る前はただの平野だった場所に謎の物体が急に生えたように映っていた。
次に目についたのは、その謎の塊の間を縫う様に走る、これもまた見た事のない動物だった。大きさも形も色も違うので同じ種類の動物か判断出来ないが、どれも共通して、目の前を走るその動物の後ろを追いかける習性があるように見えた。
今まで見たどの知識にも当て嵌らない景色に唖然としていたエインに
――ゾワッ
急激に悪寒が走った。
その悪寒の正体は自分に集まっている、夥しい数の視線であった。
大量の何かに見られている不快感を覚えるエインは視線を特に感じる場所に目を凝らした。
通常の視力では見る事の出来ない距離を魔族の魔力は可能にする。望遠鏡の倍率を上げるように視線の元へと近づき、その正体がはっきり見えた時、エインはその目を疑った。
ある意味それはエインにとって、この変わり果てた世界で一番見覚えのある物であり、そして、同時に一番理解不能の物であった。
エインが見た物は結論から言えば人間達である。
魔族と同じ姿をしているにも関わらず魔力を一切感じないという矛盾。同じ姿をしているにも関わらず目の前に大量に存在している怪奇。同じ姿をしているにも関わらず殺し合わず群れを成している撞着。
同じ姿をしたそれは魔族らしさの欠片もなかった。
視線を感じる先にいるその魔族擬きは皆一様に手に何かを持ち自分に向けておりそれが視線の正体である事にエインは気付くがそれが何かは分からない。ただ魔力を感じないその何かで自分と同じ遠くを見ているだろう事は推測できた。
何を見ても、どこを見ても、理解の追いつかない、むしろ見れば見るほど理解が遠のいていく現状にエインがとった行動はその場を離れる事だった。
要するに、逃げたのだ。
数億年を生きた最強の魔族は目の前のありえない未知を前に恐れを抱いて逃げ出したのである。
どんな強敵を相手にした時でも、大戦によって滅びた世界の中でも、死に掛けた時でさえも感じる事がなかった「恐怖」という感情をこの時エインは感じたのだった。
湧き上がった初の感情にエインの脳は早くこの視線から逃げろと命じ、そして抗う事もなく忠実に、迅速に、エインは実行した。
鳥肌が立つ程のおびただしい視線から、観察されている気持ち悪さから、見せ物になっているストレスから、逃れようと東京上空を翔け抜けた。
離れた瞬間から視線を感じなくなったが、どこを見ても灰色の石の塊が続き、謎の魔族擬きはどこまで行っても地上を闊歩している。
本当に同じ世界なのか疑いたくなるような光景が飛び回っているエインの目にずっと映る。
そして、混乱しつつもエインはある事に気付く。
灰色の石が少ない所ほど魔族擬きが少ない事に。あの魔族擬きの縄張りがあの灰色の場所なのだと予想したのであった。
その事に気付いてすぐエインは近くに見えた小さな山に着地した。
山の中には予想通り魔族擬きはいないようで、エインは降りた先の近くにあった木に寄り掛かって座って蹲った。
エインの体は震えていた。
カタカタと。
エインに生まれた慣れない恐怖は、精神を蝕んでいく。一生のほとんどを孤独に過ごす魔族が心細く感じる事などありえないが、エインは今まさにその心境となっていた。
そこに最強で最古の魔族の面影などはなく、弱々しく怯える小動物のようである。
小さく丸まる様に、音も立てず静かに、恐怖に震えながら一夜を明かした。
その夜は今まで経験したどの夜よりも長く感じたのであった。
そして、場面は初めに戻る。
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埼玉県 山中
何度思い返しても頭が混乱するばかりで何の解決にも繋がらない。あの大量の魔族擬きがいた光景がエインの脳に張り付いて消えないのであった。
一晩経って未だに環境の激変に頭がついて行かない様子ではあるが、体の震えは消えていた。
この震えが止まったのはエインが「恐怖」に慣れ始めている事を表していた。たった一晩でエインは恐れを克服しようとしていた。
そこに魔法の干渉はない。
エインは感情の完全な発現が原因でエインは理性を得ようとしていた。
感情を抑える術を身につけつつあった。
適応が早いのは一万年前から自分に生まれつつある感情の存在に薄々気が付いていたからであろうか。
しかし、その変化を運命は待たない。
雑木林をかき分けて、山奥にひっそりと潜むエインの元にそれは来た。
一人の雄の魔族擬きであった。
やはり姿形は魔族と似ているが魔力を感じられないその存在は手には遠くを見ていた謎の物を手にしている。
エインは今度こそ間近に、その目で直に魔族擬きを確認すると、今しがたエインの中に生まれたばかりな理性の欠片など軽く吹き飛んだ。
昨日の恐怖が再燃する。
瞳孔が開き、大量の汗が流れ、肩を抱いて蹲り、治まった震えが再び止まらなくなる。
「あ、ああ……」
嗚咽を漏らすエインの目には涙が浮かんでいた。
「――――――!」
エインを見た魔族擬きが大きく鳴いている。同族からは聞いた事もない鳴声。
「――――」
意味が汲み取れない。何を鳴いているのか分からない。怖い。
そしてついに、魔族擬きはゆっくりと近づいて来る。
敵意は感じられない。だが、何だ……お前は何なんだ…………来るなっ!!
瞬間、山にいた鳥達が一斉に飛び立った。
エインの心の叫びは無意識に殺意となって漏れ出たのであった。エインに取って初めて魔族以外に殺気を放った時であった
魔族でなければ逃げ出す殺気。魔族であれば戦闘体勢になり敵意剥き出しで相手からも殺気をヒシヒシと感じるはずだが。
殺気を直に受けたはずの魔族擬きは数秒立ち止まりはしたが意に介す様子もなく、何事もないように近づいてくる。
「―――――」
静かに多様な鳴声を放ちながら
「―――――――」
ついに触れられる距離まで来た。
「―――――――」
恐れて、エインはその場に伏せた。そして
ファサ。
何かが自分に被さった。
驚き顔を上げると、彼に被さっていた物がなくなっていた。そして、自分の背中にはさっきまでそこの魔族擬きが被って物が自分に被さっている。
「―――――」
何だこれは?
「――――――」
何をしたい?
「――――――」
何がしたい?
「――――――。――――――」
エインは自分が何をされているのか解らない。何の意図を持って自分に近づいたのかも解らない。それでも
敵意など感じない、同族からも、他の動物からも聞いた事がない、静かな鳴声が
「―――――――――――」
自分に向けて発せられる多様だけど、どれもフワフワとした鳴声が
「―――――――」
暖かな液体が流れ込むように自分の中に入り、その温かさで、黒い塊が少しずつ溶かしているのを感じた。
いつの間にかエインの震えは止まっていた。
そしてやっと、その魔族擬きの顔を直視する事が出来た。
目の合った彼の顔はやっぱりどこも同じ作りであった。だが、彼が自分に向けた顔は行き会ってきたどの魔族の顔よりもポカポカとしていた。
「――……」
彼がまた何か鳴いている時――
「――――!!」
横にいる彼よりも高い鳴声で吼えながらエインの前に新たな雌の魔族擬きが現れたのであった。
エインはその魔族擬きを見て驚いた。
それは彼女が突然現れたからではなく、彼女に
微量の、魔族とは思えないほど少量の魔力を感じ取ったからであった。
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明日も9時に投稿する予定です!
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最近、寒いですがお体にお気をつけてください! それでは!