8-C 天秤! 災いぐるり、舞い狂い
「わからないのだ! なんにも、わかんなくなっちゃったのだぁ!」
ナチちゃんが叫ぶように泣き続けるところに、関城さんはよろよろと、慣れない足取りで彼女に近づいていく。
ばたん、と前方に転倒した。
——もう、見ていられない。
「関城さん!」
私は羽を畳んで急降下し、彼女の近くに降りる。 そして片膝をついて、関城さんの腕を持ち、背負う姿勢をとる。
「……関城さん、捕まって」
「白雨さん……辱いですわ……」
床と私の肩を押して、体を持ち上げる関城さん。彼女の腕は思ったよりしっかりしており、きっと転んだところから登る経験がたくさんあるのだろう。すぐに姿勢を持ち直した、が、二本足の歩行についてはとてもおぼつかない。
「わあああああああん!」
足を引きずるお嬢様を抱えながら、ぼろぼろと喚いている、片腕の悪魔に私は話しかける。
「——いいんだよ、ナチちゃん!」
彼女の葛藤に消されないように、必ず届くようにと、懸命に声を張った。
「わからなくたっていい! どっちが正解かなんて! だって、最初っからわかるモノなんか無いよ! 失敗して、失敗しながら、失敗し続けて、やっとわかってくのが、普通じゃないか!」
まだ距離がある。私は重い足で地面を踏み締めて、前へ一歩ずつ歩く。
「関城さんが言っているのはね、私を殺すことだけじゃなくて——ナチちゃんが傷つくのが悲しいって言ってるの」
相手の嗚咽はだんだんと小さくなっていた。もう声を張る必要もなくなった。
「ナチちゃんが怒られるのが嫌って気持ちも、わかる。でもね、その時はきっと、ナチちゃんは一人じゃないよ。」
「私達がそばにいるよ。だってみんな、ナチちゃんのこと、大好きだから」
彼女の目を見て、私は笑いかけた。
顔を合わせると、関城さんも強く頷いた。
最初は、ただお金持ちのお嬢様なだけで、不自由もなく、人から支えられてばかりの人だと思っていたが、まるっきり撤回しよう。関城さんは人一倍、強くてたくましい女の子だ。
「——アルカ、ワタシ……」
ナチちゃんは鼻を啜りながら、震える音で心を話した。
「それならワタシ、やっぱりこんなの——」
『残念だよナイチンゲール』
彼女の顔が、一瞬にして青ざめた。どこからともなく、声が聞こえたのだ。
男の人の、低い声だ。どことなく、ハイジンの声に似ているような——
——瞬きした瞬間、ナチちゃんの後ろに黒いものが舞い上がった。
「……っ! ナチちゃん危な——」
それは顔を仮面で覆った、黒いローブで身を隠したヒトだった。不気味な笑みに掘られた仮面によって、その狂気がより一層膨らませられる。
私は危険を察知して足を進めたが、関城さんを抱えていたことを思い出す。くそ、思ったように身動きが取れない!
「アルカさんっ!」
その時、上から白いマントが降りてきた。
——シュタッ
大きな鎌を、私と関城さんを守るように前で構える。大きな背中に安堵する。だがしかし、一番の危険にあるのは、ナチちゃんの方だ。
「マニさん、ナチちゃんを……!」
小声で私が指摘したところ、彼女は振り向き、静かに首を横に振った。
そうだ、マニさんは誤ちを躊躇なく罰するタイプの正義だった。それに気づいてしまえば、私が前にしゃしゃり出る術が見えなくなってしまった。
迷った挙句、エルがどうしているか心配になりそちらに目をやる。すると、エルは、セラさんやすぐるが暴れるのを落ち着かせたり抑えたりしている様子だった。あちらもあちらで色々大変そうだが、ちょっと苦笑いが溢れてしまった。
『うまく育ててやったはずだが、もうおしまいか』
「ボ、ボス! 違うのだ! 話を聞いてほしいのだ!」
ナチちゃんは一瞬男をキョロキョロと探して、見つけるとすぐにそちらの方を向いて立ち上がる。
「今までのやり方は間違っているのだ! やり方をちょっと変えたらさ、うまくいくと思うのだ!」
『…………』
黒い仮面の男は、ローブの下で腕を組んだ。
『……そうだな。やり方を変えよう』
「……! 本当か、ボス!」
『ああ、そうだなぁ……』
ナチちゃんは次第に顔をきらめかせていく。
彼女が万歳、と両手を上げた途端、地面から何かが床を突き破って生えてきた。
「…………? ボス、これは……?」
彼女が不思議そうに眺めたそれは、彼女に銃口を向けた、ビームガンだった。根本は植物のつたのようなものがグネグネと動き、銃を支えている。
この場にいる全員の目が、これを脅威と見做した瞬間。
銃口が緑色の光を放った。
『——キミがハイジュウになるというのはどうだい?』
瞬く間に、光は直線を描く。
光線が少女の胸に当たっていた。瞬きした次には、彼女は既に宙に小さく舞っており、やがて重い音と共に床に崩れ落ちた。
——嘘でなければ、最悪な事態である。
『ナイチンゲール。キミのように大きく欠けた者は、とても優秀だ。裏切る瞬間のその迷いが、君を実験台に適した体にしてくれた、わかるだろう?』
「……お、お前ェっ‼︎」
咄嗟に私の口が出る。関城さんが横にいなければ、躊躇なくそいつを殴りにかかっていたところだ。
「伏見さん……⁉︎」
状況を把握するのに時間がかかったのだろう、関城さんが目を丸くするのは誰よりも遅かった。
「そんな、伏見さんっ! 伏見さん!」
関城さんは私にもたれかかりつつ、動かない足で立ち、必死に片手を伸ばし、悲嘆を挙げた。
——そんな彼女の、祈りが伝わったのか。それともまた別の何かか。
伏見那智は立ち上がった。
『キミが悪魔で最初の実験体だよ——誇らしく思うといい』
何かの痛みに耐えるような、いや、まるで関節がうまく動かないかのような、ぎこちのない動きで姿勢を立て直していく。
その時、彼女の肌が、金属の鱗で覆われていくのを、私は見逃さなかった。
「想定外、です……」
あのマニさんまで、頬に汗を垂らし、怪訝な眼差しを向けていた。
——ギギギギッ
ヒトではない。ソレはゆするように首をこちらに向ける。
その瞳は、私達の知る“ナイチンゲール”ではなかった。
『さあ、その美しい姿を見せてやれ、“我が子”よ……!』




