2-G 消灯! 働かざる者食うべからず!
五秒でわかる前回のあらすじ
「アルカ、あいつなんか覚醒しおったで」
『インパロールミシィ!』
パキィン、と音を立てて割れたのは、緑色のハイジュウの核。
昨日と同じように、破片は地面に落ちればシュウッと煙となり消えてしまった。
「それにしても、どういう原理なんだろうなあ」
私の肩の後ろから、覗き込んで来るエル。
「ふむ……話では聞いていましたが。本当にこれで天生物に戻るのですか?」
「うん。もうちょっと時間が経つとね」
マニさんも私の隣に。つまり天使の二人に挟まれる私。異様に緊張してしまう。
「その呪文、アルカディア特有だったりしないんですか?」
「またマニそういうこと言う」
「……? なんて……?」
聞き慣れない言葉に、私は小首をかしげてみる。
すると、エルが少し困った顔をした。
「ううん、別に何でもないよ。というかマニ。もし仮にアルカがそうだったとしても、なんで今でも僕たちと一緒にいると思ってるの?」
『それはスパイ的ななにかでしょう! 後に裏切るのだって目に見えるんですよ!』
『どうしてマニはそういうことしか考えないのさ』
『エルさんだって警戒心なさすぎじゃないですか!』
『僕だって総合的に考えた結果だよ。マニみたいに主観的じゃない』
突然、二人が謎の言語を繰り出した——おそらく母国語の、ギャラクアス語、というやつであろう。ニュアンスから、なんだか険悪なムードになっているのは、二人の表情から見て取れるだろう。
『————⁉』
『————』
『————‼‼』
『————』
まずい、結構ガチのケンカになってる気がする。なんとかして止めないと……!
「ふ、二人とも落ち着い……」
と、言いかけた瞬間。
私の胸の中を、何かがちくりと刺した。
「うっ……う……?」
次第にそれは熱を持ち、頭の方へ上がってくると、視界までもが物理的に歪み始めた。
なんだこれは? 目の奥が熱い。それに、目からぼたぼたと落ちてくるこれは一体——
「なっ、な、んで今っ……? あれ……?」
また、涙か。
私は、意識に反してこぼれ出てくるそれを袖に押し付け、ごしごしと擦った。
しかし、相変わらずすぐに止まらない。なんだか全身の力が抜けてしまい、その場にしゃがみ込んでしまう。
「————⁉」
その時、誰かが息を飲むのが聞こえた。もちろんエルだ。彼は即座に私の前に回り込むと、私と目線が合う高さまでしゃがんだ。
「アルカ、ごめん——! もう、マニのせいでしょ、謝ってよ」
エルは、私の背後に向かってキリッと睨む。
振り返った私は、涙を袖に擦りつけてから、ぼやけた視界の隙間から、いしかめっ面をした、セーラー服の少女を見る。
「なぜ私のせいなのですか! ……まあ、本人の前で色々と言ったのは……謝りましょう」
マニさんは腕組みをして、口を尖らせた。
ちなみに、さっきのギャラクアス語の会話の内容は聴き取れていないので、今何故自分が謝られているのか全くわからない。
すると、私達の周りで、シュゥゥ、と音がした。
見渡せば、先ほどまで散らばっていた金属の破片が、空気の中へ消えてしまう瞬間を見ることができた。
その中からは案の定————生物が出てきた。
「わっ! かわいいのがいる!」
私は目から出る液体を袖で拭いながら、ソレに駆け寄り、しゃがんでみる。
するとマニさんも私を追うように近づき、私の上に影を落とした。
「あらやはり……『フタポニオン』ですね」
ソレは、縦横奥行き30センチ程度の、赤い……タコ……そう、タコだった。頭から脚が生えているのを除いて。
ソレはぐったりとしており、動き出す気配はない。グラウミュースもそうだったので、ハイジュウ化でかなりの体力を使い、元の姿に戻ればしばらく気絶してしまうのだろう。
触ってみると、プルプルしていて本当にタコだ。指先に粘膜がこびりつくのも、これまたタコらしいというか。
「マニ、さん……フタポニオンって、これの名前ですか?」
「そうですよ。基本的に食用ですので天界でよく売ってます」
「しょ、食用……」
このかわいいのを食べるというのか……と一瞬引いてしまったが、この世界でもかわいい犬やネズミを食べる国もあったな、と考え直して相槌を打った。
すると、相手は腕を組んで、何やらぶつぶつと話し始める。
『フタポニオンを知らないなんて……でも理解してますし、天界人なはずでは……?』
「マニ、日本語で喋ってくれない? アルカがわかってないよ」
エルがマニさんに口を開いた。すると、彼女は私の顔を伺うように観察し始める。
さっきから、彼女は何をそんなに考えているのだろう。私は何かおかしいことを言ったのだろうか。確かに、先ほど流れていた涙はいつの間にやら止まっているし、不思議な点といえばそこだろうか……?
彼女はそんな私の心中はお構いなしに、また口を開く。
「……そうですね。それでは、あなたともきちんとお話をしましょうか。どうせ、私達だけで解決できるものではありませんし」
「よ、よくわからないんですが、お手柔らかにお願いします……」
「随分と弱気なことですね」
な、なんて辛辣なんだ! でもなんか怖くない! なんでだろう⁉︎
そんな少女の言葉を聞くと、エルが、私を庇うように体に腕を回す。そして徐々に強く締め付けようとする。
「マニ、そういう言い方もうやめてよ」
——ミシッ
私の肋骨が鳴いた。
「あああああっ‼︎ エ、エエエエエル‼︎ ああ、ちょっと待った! このままだと本当にシヌ……!」
目の前が一瞬白くなる。
なんとか抜け出すべく、元凶を排除することを試みる。
「エ……エル……あのね……私は全然気にしてないから……大丈夫だから……ね?」
私がなだめると、エルは少し納得いかない様子だったが、腕を外してくれた。
「うー、それならいいけど……」
よかった、殺されなくて……まだ視界がふらついてるけども。
マニさんはタイミングを見計らってくれたようで、私達の行動の後に、慎重な様子で口を開いた。
「アルカさん。あなたは本当に——『アルカディア』ではないのですね?」
…………。
…………。
「アルペジオ?」
「それは和音です。さっき一瞬ボケを考えたでしょうアルカさん。私が言っているのは『アルカディア』です」
「アルカディア? アルカ? 私の名前?」
「そうですね、あなたの名前も入っていますが、別の固有名詞です。『アルカディア』、この名前に聞き覚えは?」
私は首を横に振った。
「なるほど。エルさんは説明しなかったんですか?」
「…………」
私の後ろで、彼がぴくりと反応した。いや、反応した動きを、影が映した。
「説明はしたよ」
いつもより低い声である。彼は立ち上がり、私の横まで歩く。そして右足に重心を置き、右手を腰に当てた。
『名称は出さなかったけど。もしアルカディア当人なら知ってるはずだしね』
彼の横顔からは、ほんのりした怒りが伝わってきた。
彼らがまた2人だけで話始めてしまわないように、私は口を挟んだ。
「あの、アルカディアって、だれ?」
すぐに答えたのはエルだった。
「僕たちにとって、最も優先的な標的である組織だよ」
「標的の組織……って、ことは」
ハイジュウを作っている組織!
はっとしたのが顔に出ていたのか、エルはそれを悟ったらしく、満足そうに頷いた。
「まさか、そこに繋がるなんて……ん? つまり?」
何かが引っかかり、考え込む。
アルカディア——エルたち天使の宿敵。その名前に私の名前が露骨に入っているのが気になるが、そういうこともあるだろう。
しかし、エルがその名を口にしなかったのは?
ふと彼と目が合う。彼は私を見下ろして微笑した。
まあ——彼の性格から考えれば、私を気遣った、という説で納得できる。
「そうか、私は、疑われてた身だったのか……」
「その通りです。とっくに気がついてたと思っていたのですが。演技派ですね」
「マニ」
マニさんを押さえつけるようにエルが呼ぶが、彼女はびくともしなかった。
なるほど、マニさんが向けるこの眼差しは、最初から常に疑いの目であったわけだ。それならば、初対面の私に強い言葉を使っていたのも理解できる。ところどころ優しさが漏れていた気がするけれども。
「えっと、実際私って、アルカディアなんですかね……?」
「えっ」
私の質問に、マニさんは引き気味に反応した。その横で、エルが優しい笑みで答えた。
「アルカがそうじゃないと思っていたらそうじゃないんじゃないかな」
「でも、アルカディアって、悪魔の組織なんでしょ? 悪魔だったら必ずアルカディアってことではないのかそうでなきことか」
彼は首を横に振った。
「それは違うよ。たまに教養のない天使が勘違いしているけれど。アルカディアは組織名であって、種族名じゃないからね。」
あれ、エルさん、なんか一瞬、誰かをディスらなかった? 気のせいか。彼がそんなことするはずない。
そんな会話をしている間、ずっと難しい顔をしていたマニさんが口を開く。
「……アルカさん。もしやとは思いますが、『天使軍』もご存知なかったりしますか?」
「てんしぐん……? なにそれおいしいの?」
「…………」
「しかたないよマニ」
眉を寄せるマニさんの肩を、エルがポンと叩く。
『ここまで天界の常識が伝わらないのに、これ以上アルカディアの可能性があるとは思えないよ』
うぎぎ、またギャラクアスか。きっと私に伝わってはいけないことを話しているのだろう。仕方がないことだし、わかっていることだが、なんだかこう、胸の内がモヤモヤする。
「アルカ。天使軍は、天界にある軍隊——の中の、天使だけで作られた、軍隊のことだよ」
エルが優しい口調でそう言った。グンタイ——軍隊か。軍隊ってあれか、軍人さんか。アーミーか。
「へえ、天界にも軍人さんがいるんだね」
「そうだよ。僕とマニはその軍人の一人なんだ」
「詳しくは、私達は『天使軍対天生物特殊部隊』ですね」
「天使軍たいてん……え? なんて?」
「要するに、天使軍の中で、人間界でハイジュウをやっつけるために特別に訓練した人達のことだよ」
「なるほどー、エルとマニさんは天使軍——」
「はあっ⁉︎」
私は後ずさろうとしたが、なんと肋骨には、先程のスキンシップの痛みが残っていた。
「いっだ⁉︎」
重心を後ろ足に乗せ切れず、そのままどすん、と尻もちをついてしまった。
なんとか自分の意思を伝えたいがために、私は彼らに指を差す。
「えっ、えっ⁉︎ 天使軍⁉︎ 軍人⁉︎ 軍人ってミリタリーのアレであってるよね、いやマニさんは辛うじてわかるかもしれないけど、こ、このエルがまさか⁉︎ まさかのまさかり⁉︎」
「なんでそこまでびっくりするの」
エルがむすっと頬を膨らませた。これが軍人……にしては、威厳がなくないか⁉︎ 第一、この人Tシャツチノパンだし!
「まあ、混乱するのもわかります。エルさんだけ見れば」
「なんでさ!」
「なんでって……ああっ!」
マニさんが急に大声を出した。
「そういえば、エルさんってばまたその服装なんですか!」
彼女はグーにした手の表を床に向けて肘を伸ばした。片手でエルの身体を指差す。かわいい。
「ん? そうだけど……」
「そうだけどじゃないですよ……! いつも戦闘服着てくださいって言ってるじゃないですか!」
おっと、なんの話だ?
私はエルとマニさんを交互に見る。すぐわかった。
あれだ、マニさんの言っている『戦闘服』ってのは、私が今着ている赤い服見たいなやつであろう。きっと、これを着ることによって魔力だったり防御力だったりが上がるはずだ。少なくとも、私がこれまでやってきた家庭用ゲームの中ではそうだった。
しかし、エルのTシャツチノパンは、まさかの戦闘服ではない——ということはつまり、それはただの私服ということだ。おいおいまじかよ。
「エル、それは世間では舐めプって言うんだよ……!」
「だって……あれ暑いんだもん」
エルは両手を背後に回して口を尖らせた。
この人、もし本当に軍人だとしても、実は軍人に向いてないんじゃ……? と一瞬失礼なことを考えてしまった。
「暑いとかの問題ではなくて! 防御や魔力の温存のためにもですね……!」
「でもいつも戦えてるからいいもん」
「よくありません!」
マニさんが早口でお説教を言い続ける。エルはめんどくさそうな顔で相槌を打つ。
なんだか、こうして見ると二人が姉弟みたいに見える。いや、むしろマニさんは母親でエルが息子だ。
「エルさんのせいで私が指揮官に怒られるんですからね!」
「でも許してもらえたじゃないか」
「あなたがいつまで経っても着なかったから呆れられただけですよ!」
なんだかんだで仲がいいんだな。いいなあ……すぐると百合ちゃんも、いつもこんな感じだよね。いいなあ。楽しそうだなあ。
——と、和やかに笑おうとしたその時だった。
ふらり。
突然のことで我ながら驚いた。目の前が真っ白になったのだ。
全身の力が一度に抜けた。瞬間、自分の頭蓋骨が、重力に乗って後方へ倒れるのが分かった。
「——アルカ!」
暗中で、エルの声だけが聞こえた。
——おかしいな、何が起きたんだろう。
腕や足に力を入れようと試みても、ぴくりともしない。そのまま背中にバタンと衝撃を受ける。どうやら、私は倒れてしまったらしい。
「————! ————! ……」
——また、彼に心配をかけちゃうのか。
そうだ、何か返事しなければ、と思った。
口元だけなら動かせるだろう。
私はそう考えた。
——時、すでに遅し。
私の意識は、もはや真っ暗闇の中へ落ちていた。