2-C 突撃! となりの野獣さん!
五秒でわかる前回のあらすじ
「同棲」
時は、午前十一時三六分。
「よぉし、後一時間で給食だぁ」
私は椅子に座ったまま背伸びをした。
「……なんでか疲れたなぁ……」
そして、両腕を机に置き、その間に顎を置いた。
頭を横に倒し、完全に脱力をする。
「アルカがだらけるなんて珍しい」
不意に背後から声がした。私には声の持ち主が、目を瞑っていてもわかった。
「百合ちゃん……私次の国語で寝ちゃうかも……寝てたら起こしてぇ……」
「えっ」
彼女はぱたぱたと足音を立てて私の前方に移動した。
「……具合悪いの?」
私がやおら顔を上げると、心配そうに私を見下ろす、栗色の瞳があった。
「ううん、なーんか最近色々あってさ」
私は再び顔を腕の中に埋めた
「……ふうん」
彼女は興味なさそうに息を吐いた。
「色々って?」
「んー、まあほら、天使と悪魔でハイジュウがどーこー……」
「え?」
「あっ」
慌てて口を噤む。危ない、うっかり喋ってしまうところだった。
「…………」
「なあアルカ」
すると突然に、すぐるが首を突っ込んできた。
この二人、夜咲勝と夜咲百合は、似てない双子の兄妹で、同時に私の幼馴染みである。
「お前、最近なんかあった?」
「どっ⁉」
見透かされたように感じ、びっくりして上体を起こす。
「な、なんだそれ……なんでそんなこときくのさ」
私は頬杖をついて、彼らから視線を逸らした。
そこへ、すぐるが顔を覗かせてくる。
「近頃疲れた顔してるからさ。なんか気になっただけだけど」
「え、ええ? いやぁ、何もないよ? 疑いすぎでしょ」
「そうなのかー?」
すぐるは腰に手を当てて私を見下ろす。
彼はツリ目気味なので、どうにも睨んでいるように見える。少し怖い。
「だって、いつもお前は犬みたいにいくらはっちゃけても体力持ってるのに、今日は異様なほど疲れてんじゃん」
「そ……⁉︎ そ、そうかなぁ……⁉︎ そういえば! 今日はいっぱい走ったっけ! あ〜だからかぁ! ははっ!」
くっ……鋭い奴め……! いや、大丈夫。天使や悪魔など彼らには架空の生物でしかないわけだし、こちらが提供しない限り、突き止められることは無いだろう。
「…………ねえアルカ」
「な、なに?」
百合ちゃんが、カチューシャを弄りながら、少し息を吸った。
「何か、隠してない?」
彼女の瞬きと同時に、国語教科の先生が扉を開けた。
*
国語の授業。
あー、なんていうか。
もの凄く眠い。
私はなんとなく先生の話を聞き流し、板書が始まればそれを写す作業をしていた。
横をチラリと見ると、百合ちゃんと目が合った。瞬間互いにピクリとする。
視線を手元に戻し、板書の続きをノートに写す。
さっきの質問。私は笑って誤魔化した。曖昧な返事で。しかしながら、長年の付き合いである二人には、見抜かれてしまっていたように思う。
——悪いことしちゃったかな。
無言で遠くにいるのに、二人の間に気まずい空気が流れてしまった。
「あー、このね、主人公が万引きするというところねぇ、先生も子供の頃…………」
そこへ、助け船がやってくる。
国語担当の先生が、黒縁眼鏡をクイっと上げ、前髪を手で撫で整えた。
さあ、来たぞ、先生の雑談。
私はこの時間を「妄想タイム」と呼んでいる。この時間は『カッコいいものを考える事』に使うのだ! はーっはは!
「ふひひ……」
私は、先ほどの嫌なことを振り切るように、国語のノートの一番後ろのページをめくった。そこには、小学生の時から積み込まれてきた、落書き達が勢ぞろいしていた。
「眼中……聖玉……グラビトン……」
空気しか出さないようにして、独り言を呟く。
「……あ、グラビトンかっこいいな……てかグラビトンって何だっけ……」
頬杖をつきながら、ノートにメモしていた、次の瞬間だった。
——ゴオオオオオオオッ!
窓の向こう側から、大きな地鳴りが聞こえた。
そして、数秒して、床が縦に大きく揺れたのだった。
「がっ……ああ⁉︎」
——ずれた! グラビトンがグラZになっちゃったじゃねえかおい!
そんな冗談は置いておき。
はっとして見上げたのは、窓の外。
学校から住宅路を超えた、ショッピングモールの向こう側。
何か、木のようなもの……いや、なんとも言えない、大きなものが蠢いているものがそこにあった。
私の焦点は、それから背くことが出来なかった。
うねうね、うねうね。
それは、沢山の吸盤を付けていた。
どすん、どすんどすん。
それは、赤色をしていた。
くるくるくる。
それは、八本あった。
——それは、紛れもなく、『タコの足』だった。
言うまでもなく、すぐに教室中はパニックに襲われた。
生徒達は自分勝手に叫び、席を立つ。隣の教室からも女子の悲鳴が聞こえる。
「皆さん! 静かに! 落ち着いてください!」
先生はそんな風に叫んでいたが、彼女自身も、腰が抜けているようだ。教卓に手を乗せて、体を支えていたのがわかった。
「あ、ハイジュウだ……」
恐らくこんなに冷静なのは私だけだろう。
もしハイジュウでないとしても、エル関係だということは、はっきりわかった。
しかし…………どうしよう。
今、私は学業中だ。ここで悪魔になって目指せ世界平和! なんてやりだしても、学校中がさらに大混乱に陥るだろう。
「まあ、それはそれでちょっとカッコいい気もするケド……」
いやいや、だめだ。天使や悪魔の存在を人間に知られたら、処刑されるんだっけ。
これはヒーロー気取りする場合ではない。
……あれ、というか!
その前に羽の出し方知らないじゃんか⁉
肝心な事を忘れてた。昨日あれだけエルから天界の事を聞いていたのに、それだけ聞いていなかった!
護衛してもらう前に自衛ができないじゃん!
「ど、どうしよ……私としたことが……もはやこんなところで詰むなんて!」
そう頭を捻っている間にも、巨大なタコは、その滑らかな動きで、町を破壊し続けている。これで自転しだしたら最高だな。
おや、よく見たらこのタコ、頭から足が生えてるじゃん。変なの。
これが本当の頭一個抜ける、だな!
なんて呑気に考えていた時。
そのタコの上に、一本の白い光の縦線が現れた。
気のせいかと思ったが、それは円形にどんどん広がって行き、こちらにも近付いて来た。それも、かなり速いスピードで。
逃げられる余裕は、無かった。
瞬き一つするうちに、教室中はオーロラ色に染まってしまった。
あまりにも眩しかったので、私は手を目の前にかざし、目を瞑った。
その一瞬、強い風が吹いた。
*
どれくらい経っただろうか。
しばらくの間、無音の世界が続いたが、遂に眩しさが収まった。
私は恐る恐る片目を薄く開けた。
——ドオオオオオン!
地響きが聞こえた。
私は手を下ろし、両目を開いた。
窓の向こうでは、まだあの巨大タコが動いている。
ただ、何か違和感があった。
私はふと、辺りを見渡した。
何も変わっていない、と、一瞬でも思っていた教室には。
人影一つ、見当たらなかった。
「——へ?」