《3》
日が沈めば夜は早く、部屋を出ると東京と思えないほどに暗かった。
このアパートには外灯がないのだ。
幸いにも、門の外の小径の先には、街灯がある。現実世界への道しるべのようだ。
夜の代官山というのは、やはり想像していたよりも落ち着いていて、なにやらハイソな雰囲気をまとった人たちが背筋をピンとして歩いている。
おしゃれな人たちというより、自分のスタイルにブレがない人たちに見えた。
この街で自信がないのは自分だけだ。
さて、スーパーはどこだろうと探せば、パン屋の向かい側にある商業施設の地下にあるらしかった。
いや、商業施設というよりも高級タワーマンションの地下らしい。
地下なのに敷居が高いなんてものじゃない。
商業スペースに近寄るのもためらわれた。
勇気をもって敷地内に踏み込むと、直ぐさまピンクやブルーに光る謎のオブジェが目にはいる。天井には光の帯だ。クリスマスでもないのに常時イルミネーションが点灯されているとは恐れ入った。
俺はブラブラしてるだけですよ、という風を装って建物に入り、ドキドキしながらエスカレーターを降りると、やはりおしゃれな食料品店があり、笑顔の女性店員さんが試飲のお茶を振る舞っている。
ブラウンのエプロンがコジャレているし、なによりお姉さんのメイクがあか抜けている。
大輔は薦められるままにお茶を受け取った。
マロンの風味がするノンカフェインティーとはもはやなんなのかわからないが、美味しいしお洒落だ。
世界各地の食品を扱っているらしい。賞味期限間近なものを安く叩き売っている安売り店なのに、より高級なものに見せているのだから東京とは本当に恐れ入る。
そしてお客も、品がある。
いかにもブランド物という素晴らしいシルエットのスーツを着た男性が、白ワインを選んでいた。
小さな篭にはベーコンのようなものが入っている。店内を見れば、イタリアやフランス、スペインなどから仕入れた燻製肉やチーズを売っていて、ディスカウントなのに二千円をこえていた。
東京とはまことに恐ろしい。
スーツの男性はまだ若そうだ。二十代半ばから後半だろうか。
細い銀縁の眼鏡をかけていて、これぞエリートという風貌である。
これがエリートというやつか。
見るからにエリートだな。
エリート以外のなにものでもないな。
なるほど、なるほど。
大輔は感じ入って見つめた。
東京のエリート、生息、確認。
あまりにも見すぎたのだろう、エリートがちらりと大輔を見た。
大輔は慌てて顔を反らし、うっかりとチェリソーを手にとって、買い物するんですよアピールで篭に放り込んだ。
そのままそそくさとレジに持っていってお金を払い、逃げるように隣のパン屋に入った。ありがとうを言い忘れてしまった。慌てたまま、適当にパンも買った。ともかく、自分は単に買い物をしているだけなのだと言い訳をしなくてはならない気がしていた。
見てしまってすみません。
違うんです。
違うんです。
はっと気がつけば、全国チェーンのスーパーの前に立っていた。
田舎で働いていたスーパーと同じ系列である。
よく知るシンボルマークを見て、大輔はやっと落ち着きを取り戻した。
スーパーの中には安売りのソーセージも山崎パンもあるのに、お高い買い物をしてしまった。
東京とはやはり恐ろしい。
スーパーの横にはドラッグストアも併設されていて、食料以外にも最低限の生活必需品を買うことができた。
来た道とは別の道を通れば、何店舗ものコンビニがあり、そこで替えの下着なんかも買えた。
明日になったら服を買いにいこうと、ファッション誌なぞも買ってみた。代官山ではおしゃれでいることは絶対条件に思える。
おしゃれをして、通り様に見かけたワインバルみたいなキラキラした店で軽く食事をしたりするのだ。
想像したらワクワクしてきた。
小さな路地に、隠れ家のようなカフェを見つけてはテンションが上がる。
おかげで帰りは少し道に迷ってしまったが、街灯の下に住処に続く緑の小径をなんとか見つけ、思いの外時間のかかった買い物を終えた。
両手に提げた買い物袋を木々に擦りながら門まで行けば、ポストに早速何がが届いていた。
チラシだった。
残念である。
明日になったらポストに名前を書こう。
表札もさげよう。
噂に聞く東急ハンズとやらは近いだろうか。
大輔のウキウキは、寝ようとして布団が無いことに気付くまで続いた。