騎士ジークベルトと設楽洋介
初めてあなたを見たとき、なんて弱々しいのだろうと思いました。
あなたと一緒に旅をすると知ったとき、私でその大役が務まるのだろうかと不安になりました。
あなたへの恋心を自覚した日、夜も眠れませんでした。
あなたが私たちの元から引き剥がされ、あの醜悪な王太子に手を付けられたと聞いて――
こんな世界、滅べばいいのにと思いました。
異世界から来た乙女は、聖なる力で邪をはね除ける。
その伝説は、古くからこの国に伝わっていた。
そうして此度、邪気に満ちたこの世界を救うべく、女神が異世界から一人の女性を召喚した。
リエと名乗った彼女に五人の護衛があてがわれ、各地の邪気を清める旅に遣わされた。
名門貴族の嫡男であるジークベルトもまた、剣術とその騎士道精神を高く評価されて聖女リエの護衛に選ばれたのだった。
「実はですね、サマンサさん以外にも私がもといた世界に、みんなにそっくりだった人がいたんです」
ある日の野営中。
ベンの魔法で結界を張った中は安全なので、就寝前の時間を皆で待ったりと過ごしていた。そんな中、理絵が思い出したように言ったのだ。
リエと仲のいいユーフェミアが興味津々に身を乗り出す。
「へえ、それって当然あたしもいたわよね?」
「ええ、ユーフェミアは同い年の子にそっくり」
「ユーフェミアみたいな我が儘娘がいるなんて、リエ様の世界も大変だなぁ」
「しばかれたいのデューク!?」
「ちなみにデュークは親戚のお兄さんです。小さい頃からよく面倒を見てくれました」
「ええ……俺って誰かの面倒を見るタイプじゃないんだけどなぁ」
「そりゃあ、別人だからでしょう」
「……僕は?」
ちゃっかりリエの隣に陣取っているベンが問うと、リエはにっこり笑った。
「ベンはね、私が住んでいる家の近所にいる子にどことなく似ているわ。ちょうど年も同じくらいで、頑張りやさんなの」
「なるほど、親戚、同い年の友人、近所の子、仕事の上司ときましたか」
たき火に枯れ枝を差し込んだサマンサがおっとりと笑い、少し離れたところで水を飲んでいたジークベルトに視線を向ける。
「では……ジークベルトはどんな立ち位置なのでしょうか?」
「あ、それあたしも気になる!」
「えっ」
いきなり皆の注目を受け、ジークベルトはさっと赤面した。
彼はあまり人付き合いが得意な方ではなく、注目されるとすぐに頬が熱くなってしまうという一面を持っていた。ユーフェミア曰く、「イケメンなのになんとなく残念よね」とのことだ。
だがジークベルトも先ほどの皆の会話は耳にしていたし、もしリエの世界に自分のそっくりがいたらどういう立ち位置なのだろうか……とは思っていた。
期待を込めてジークベルトは視線をリエに向ける。だが――
「それなんだけど……変ね、ジークベルトだけ全く心当たりがないの」
「え」
地味にショックである。
リエは頬に手を当て、難しそうな顔をしている。
「他の皆はそっくりさんがいるのに、どうしてかしらね」
「さては、まだ出会っていないだけじゃないかな」
ベンがそう意見を述べる。
「リエ様の世界も広いんだろう? だったら、まだ出会っていないだけでどこかをふらふらしているのかもしれないよ」
「ふらふらって……」
「あはは、あり得るかも!」
「ユーフェミアまで……」
「はいはい、そろそろお菓子が温まっただろうから、食べましょう」
「ありがとうございます、サマンサさん。……『もちっと大福』、懐かしいなぁ」
「またそのもちっとナントカの話ー?」
「だっておいしいのだもの! 青色コンビニの『もちっと大福』、みんなにも食べてもらいたいな!」
わいわいとにぎやかな夜のひととき。ジークベルトもこの時間がまんざらでもないと感じていた。
できることなら、こうやってずっと皆で過ごしたい。
そう思っていたのに――
「リエ様!」
ジークベルトは渾身の力でドアをぶっ飛ばした。蝶番が飛んでいき、破壊されたドアがゆっくり倒れていく。
悪趣味きわまりない、王太子の後宮。その中でも最奥にある部屋に、リエが監禁されている部屋があった。
逃げまどう女官たちをサマンサやベンが昏倒させ、警備の兵はデュークがなぎ倒す中、部屋に押し入る。
「リエ様! ジークベルトです、お迎えに参りました!」
「ジーク……?」
弱々しい声。寝室の方からだ。
再びドアを派手に破壊したジークベルトは、悪趣味なベッドに横になっていたリエを見るなり、血相を変えて駆け出した。
「リエ様!」
「っ……だめ! 来ないで!」
すぐに抱きしめたい――そう思ったのに、寸前でリエに拒絶された。
しばらく見ないうちにやせ細ったリエはまなじりに涙を浮かべ、ぶんぶんと首を横に振っている。
「だめ、もう私だめなの。あなたに触れてもらう権利がない!」
「っ……王太子のことですか」
王家は、リエを元の世界に帰らせるつもりも、仲間と共に暮らさせるつもりもなかった。
呪いにまみれた国を救った聖女を、手放したりしない。
リエを後宮に閉じこめ、王太子の妃に据える。
あの好色家な王太子のことだ。もう既にリエは――
ジークベルトは黙ってしまったリエにつかつかと歩み寄り、その体を抱き寄せた。
「っ! 私はもう王太子に……」
「関係ありません! あなたはいつだって清らかでお優しい。王太子といえど、あなたの心の純潔を踏みにじることはできません! ……守って差し上げられなくて、すみません」
「ジーク……」
震えるリエの手が、ジークベルトにすがってくる。
「……リエ様、女神の間に参りましょう」
「えっ……」
「女神の間に行けば、女神様と話ができるのでしょう? 女神様ならきっと、最善の判断を下してくださります」
王家がリエを後宮に閉じこめたのには、いくつもの思惑がある。その一つが、「神殿にある女神の間にリエを行かせない」というものだ。
いくら肉体的、精神的にリエを拘束しても、女神によって強制送還されては何も残らない。その女神の慈悲で召喚されたリエを閉じこめようというのがまた神への冒涜であるが、リエという存在に固執する者たちは聞く耳を持たなかった。
「女神の間までは、私たちがあなたをお守りします」
「で、でも! 警備の目もあるし、そうそう簡単に行けるはずがないわ!」
「いえ、行くのです。そのために私たちは今日、後宮を襲撃したのですから」
ジークベルトは微笑み、そっとリエの手の甲にキスを落とした。
「愛しています、リエ様。……共に参りましょう」
「っ……! ……お願いします、ジーク!」
リエの一言が、ジークベルトたちの使命感を燃え上がらせた。
「ね、ねえ。みんな無事なの?」
神殿の廊下を走っていると、リエが問うてきた。
先ほどリエとジークベルトは、サマンサと別れたばかりだ。彼女は扉を閉め、その前に立ちふさがっているはず。
ジークベルトは顔に無理矢理笑みを貼り付け、ゆっくり頷いた。
「ええ、きっと。皆の強さは、あなたがよく知っているでしょう?」
「う、うん」
「……さあ、女神の間です。よく頑張りました、リエ様」
立派な扉を開け、柔らかな光に満ちた聖堂へと足を踏み入れる。
ここに来さえすれば、リエは助かる。
そう信じていたジークベルトだったが。
「……何も、なかったことになる?」
女神の言葉を耳にしたリエが、呆然と呟いた。
「私は……みんなのことを、何も覚えていられないのですか?」
『記憶を残すには、あなたの心と体はあまりにも深い傷を負いすぎました』
リエの前に降臨した女神は、悲しげに告げた。
『理絵の世界で暮らすには、あなたが受けた傷はあまりにも深すぎる。あなたを傷付けた状態で帰らせることを、あなたの世界は許さないでしょう。……となると、あなたをここに召喚する直前の状態に戻す方がよいのです』
「でも、そうしたら私――」
『日常生活に支障は来しません。それに……あなたは覚えていられなくても、あなたを愛し、守った者たちの場合はうまくいくかもしれません』
えっ、とリエは勢いよくジークベルトを振り返り見る。
ジークベルトもまた、ぽかんとしてリエと女神を見ていた。
「……それって、どういうことです?」
『ジークベルト、あなたたちは最後まで理絵への愛と忠誠を失わなかった。理絵と違い、あなたたちはわたくしの世界の子であるので、わたくしはあなたたちに祝福を施すことができます』
「祝福?」
『望むなら、理絵の世界にあなたたちを転生させられます』
ジークベルトははっと息を呑み、リエもまた目を見開いて女神を見上げる。
「そ、それじゃあ日本に戻っても、みんなに会えるのですか!?」
『ただし、先ほども言ったように理絵にこの世界の記憶はありません。わたくしの祝福を受けて転生した場合、ジークベルトたちは運命に導かれて理絵と再会を果たします。きっと、理絵の顔を見ればこの世界のことを思い出すでしょう』
「……ただしリエ様は私たちのことを覚えていないので、その後は私たち次第ということですか」
ジークベルトが言うと、女神は頷いた後、理絵を見つめた。
『……ジークベルト以外のあなたの守り人たちは、あなたの幸せを願って息絶えました』
「っ……!」
『彼らもいずれ、選ぶはずです。……さあ、理絵。時間がありません』
女神が理絵に選択を迫る。
リエはしばし逡巡していたようだ。ジークベルトは拳を固め、リエの言葉を待ち――
「っ……私、地球に帰ります! 記憶がなくても、何も覚えていなくても……みんなにまた会えるなら!」
『リエ様……』
「ジーク。あなたは……私を探しに来てくれる?」
振り返ってそう尋ねた理絵の目は、今にも泣きそうに揺らいでいた。
たまらずジークベルトは神の御前であるのも忘れて駆け出し、リエの体を抱きしめた。
「っ……はい! 生まれ変わった暁には、あなたに会いに行きます!」
「ジーク……」
「あなたが何も覚えていなくても、私のことを知らなくても、大丈夫です。私があなたに好いてもらえる男になります。あなたを幸せにできる男になって、あなたに会いに行きます!」
叶うことなら、もう一度あなたと共に歩きたい。
リエの目から涙がこぼれる。そしてにわかに、背後が騒がしくなった、国王の追っ手がここまでたどり着いたのだろう。
リエはもう一度ぎゅっとジークベルトに抱きつき、抱擁から離れた。
『さあ、行きましょう、理絵』
「はい」
「リエ様……!」
「……ジーク」
まばゆい光の中、振り返ったリエは泣いていた。泣いていて、笑っていた。
「また……会おうね」
その後のことは、正直よく覚えていない。
たぶん、女神もリエも消えた聖堂で呆然としていたジークベルトは、押し入ってきた追っ手に斬り捨てられたのだろう。
悔いはない。
『ジークベルト。あなたは、何を選びますか』
女神が問うている。
ジークベルトは微笑み、胸に手を当てた。
「はい。……リエ様の世界に転生することを、願います」
今度こそ、一緒に幸せになるために。
「……『もちっと大福』?」
仕事帰りに立ち寄ったコンビニで、設楽洋介は優美な眉根を寄せた。
コーヒーでも買おうと思ったところ、ラスト一個になっていた商品に何となく意識が向いたのだ。
その名も、「もちっと大福」。ころんとした白い大福が二つ入っていて、二百十六円。
なんだろう。
このゆるふわ系の名前が、妙に頭の隅で引っかかっている。
ひょっとしたら前に、誰かが話題にしていたのかもしれない。
洋介は大福を手に取り、会計へと向かった。まだ大学生だろう女性店員は、「袋はいいです」と洋介が言ったため、お買いあげシールだけを貼ってくれた。
今週も疲れた。
今日はこの大福でも食べながらまったり過ごそう。
そう思っていた洋介の耳に、客の来店を知らせるBGMが届く。
「いらっしゃ……あ!」
会計のためにカードを出していると、レジの子が入り口を見て声を上げる。何だろうと、洋介もカードを持ったまま入り口を見やる。
そこに立っていたのは。
あなたは何も覚えていない。何も知らない。
でも、それでもいいのです。
「申し遅れました。……設楽洋介と申します」
これから、時間はあるのですから。