神官ユーフェミアと宝来ちなみ
「あんた、リエ様だっけ? 言っておくけど、あたしはあんたに頭を下げるつもりはないからね」
そう言って見下ろしてやると、あんたは困ったように笑っていたっけ。
回復魔法の天才児。
国立教会のエリート。
神童ユーフェミアと言えば、誰もがその前にひれ伏した。
彼女自身も努力の人であったし、自分の力がどれほど皆の助けになるのかもよく分かっていた。
だから異世界から召喚された聖女の護衛に選ばれたときも、さもありなんという感じだった。
さて、他の護衛たちと共に見えた「聖女」というのは、なんてことない地味な風貌の女性だった。
年は、ユーフェミアと同じ二十四歳。神官であるユーフェミアが一生独身なのはまあいいとして、女性が二十四になって未婚とは、彼女の暮らしていた世界はどうなっているのだろうか。
ユーフェミアは最初、聖女をそれはそれは雑に扱った。
退魔の力を持つ聖女だが、ユーフェミアは決して彼女に頭を垂れることはしない。
偉そうに、雑に、適当に扱う。
だがそれは決して、聖女のことが嫌いだったからではない。
ユーフェミアは誰に対しても偉そうなのだ。
最初は、偉そうな態度を取るユーフェミアに聖女は困った顔をしていた。
だがいずれ彼女は、ユーフェミアが自分を特別扱いせず、一人の人間として扱っていることに気づいたのだろう。
気がつけば同い年の二人は、軽口を叩き合う仲になっていた。
「へえ、あんた恋人もいないの?」
「うん。そういう機会もなくって」
「だめじゃんだめじゃん! あたしみたいに一生独身と決められたわけじゃないんだし、恋愛しなよ! 恋しなよ!」
「う、うん。いずれね」
「なんなら、ジークベルトとかどう? 端から見てもあんたたち、お似合いなんだから」
「ええっ」
護衛騎士の名を出すと、聖女はとたんに慌てた。ああ、まどろっこしい、とユーフェミアは怒った顔をしつつも内心にやにや笑っていた。
こんな時間がずっと続けばいいのに。
「……どうしてやつらが追いかけてくるの?」
階段を駆け上がっていたユーフェミアが呟くと、弓を手にしていたサマンサが唇を噛む。
「……デュークが負けたのよ、きっと」
「は、はぁ!? あの筋肉男が負けるわけないじゃん!」
年上でいつも冷静なサマンサの言葉に、すぐさまユーフェミアは反発する。
反発するけれど……彼女にだって分かっている。
廊下に立ちふさがってユーフェミアたちを先に行かせたのが、デュークだ。
それなのに背後から追っ手が迫ってきているというのは、つまり――
「っ、ユーフェミア、伏せて!」
とっさにサマンサが振り返り、弓に矢をつがえて放った。ユーフェミアの頭上を飛んでいった矢が、階段の下の方で命中したようだ。野太い悲鳴が上がる。
「ちっ……もう上がってきたの!?」
「ベン! リエ様とジークベルトの結界は!?」
「なんとか完成した。あの二人が女神の間に行くまでは保つはずだ!」
上階の方から少年の声がする。ユーフェミアはほっとした。
回復魔法のユーフェミアと、攻撃魔法のベン。
地味な回復魔法に対して華々しい魔法を扱うベンに嫉妬したことは何度もあるが、彼の魔力はユーフェミアも認めている。十も年下の彼だが、結界が完成したというのならば一安心だ。
――その油断が、命取りになった。
シュンッ、と空を切る音。
そして、背中に襲いかかってきた衝撃。
サマンサが顔面蒼白になり、ユーフェミアに向かって手を伸ばす。
階段の上の方で、ベンが真っ青になってユーフェミアの名を叫んでいる。
ああ、あたし、負けたのね。
ユーフェミアの足下がぐらつき、階段を転がり落ちる。ふっと胸元を見ると、胸を貫通した矢の先端が飛び出していた。
ユーフェミアの回復魔法は完璧だ。
だが、術者が死んでは何にもならない。
リエ。
あんたとお喋りできて、楽しかった。
神殿育ちで何も知らないあたしにいろんなことを教えてくれて、同い年の女として扱ってくれて、嬉しかった。
ありがとう。
できることなら、生まれ変わってもあんたの友だちでありたいな――
宝来ちなみが進級した中学校は、ちなみが卒業した小学校の他にもう一つ、別の小学生も通っていた。
クラス分け掲示板を見ると、大半は知らない名前だった。それもそうだ。ちなみが卒業した小学校は一学年三クラス程度だったが、もう一つの小学校は六クラスあったのだ。同級生の何割かは私立受験をしたが、ちなみのように中学受験をしなかった者は自動的に公立学校に進級することになる。
クラス替えは、毎年憂鬱だ。
ちなみはもともと人付き合いが得意な方ではない。「偉そう」「気遣いができない」と小学校の先生からもよく言われていたのだ。ただ、注意されようと何されようと直す気はなかった。
ましてや中学校に進級した今、人間関係はより煩雑になる。とにかく面倒くさい。
どうやって三年間を乗り切ろうか――と考えながら教室に上がる。
そして。
窓辺の席に、「彼女」がいた。
「あたし、宝来ちなみ。あんた、名前なんていうの?」
学級開きが終わった後、ちなみは荷物を持つ暇も惜しんで「彼女」の元に行く。
頭が痛い。
何かを思い出そうとしている。
忘れてはならない、何かを――
「彼女」はずかずかと歩いてきて遠慮の「え」の字もないちなみをみて、かなり驚いていた。そしてすぐに、困ったように微笑む。
……ああ、その顔も、全く同じ。
「初めまして、宝来さん。私は吉崎理絵と言います」
そうして、ちなみは「彼女」と出会った。「彼女」と再会を果たした。
ちなみは性も懲りず偉そうに振る舞った。
前世を思い出した今、彼女はそれはもう、存分に偉そうに振る舞う。
そんな彼女でも、同級生の吉崎理絵には敵わなかった。
教師たちも、「吉崎がいればなぜか宝来は落ち着く」と判断したらしい。結局二人は三年間ずっと同じクラスだった。
理絵が地元の公立高校に進学するというので、ちなみも必死で勉強した。合格発表の日に二人の番号を見つけたときには、手に手を取り合って喜んだものだ。
「よかった! これで高校も一緒だね!」
「うん、これからもよろしくね、ちなみ!」
満面の笑みの理絵を見ていると、無性に泣きたくなってしまう。
こうやって、理絵と一緒に過ごせるのもあと何年なのだろう。
さすがに大学進学、就職と全て理絵にべったりというわけにはいかない。
でも、それまでは。
二人が別々の道を歩む、それまでは。
前世では引き裂かれてしまった友人との穏やかな時間を過ごしても、神様は怒ったりしないのではないだろうか。




