ちなみは語る
『はいもしもし……あんたジークベルト? あ、違った、設楽洋介だっけ?』
「はい。お久しぶりです、ユーフェミア――宝来ちなみさん」
『ちなみでいいわよ。転生してもあたしの方が年下なんだし』
「分かりました、ちなみ。僕も『リエ様定期連絡会』に参加することになりましたので、よろしくお願いします」
『うんうん、グループの創始者であるあたしに挨拶するとは礼儀がなってるわね。よろしい』
「お褒めくださり光栄です」
『……で? だいたいのことは紗英さんに聞いたんだっけ?』
「はい。もちろん、『リエ様定期連絡会』の趣旨も把握しております」
理絵を見守る五人の願いは、「理絵が幸せになる」ことである。
以前紗英も釘を刺したように、ジークベルトが転生した姿である洋介が理絵にふさわしくない男であった場合、紗英たちは洋介の恋を応援してくれない。
それは洋介も重々理解している。
好きでもない相手に理絵が捕まるのは、前世のあの腐った世界だけで十分だ――
「理絵さんがジークベルトのことをご存じでない以上、僕が無理強いすることはできません」
『そうね。あたしたちもそうだったけど、再会したときのあたしたちはいわゆる好感度ゼロ状態だったからね』
でもねぇ、とスマートフォンの向こうでちなみが嘆息している。
『あたしたちはまだやりやすかったのよ。斎は隣の家に住む従兄だし、あたしは中学進級のノリで迫ればよかった』
「迫ったんですか……」
『あの頃は若かったし同性だからいいでしょ! ……翔平はあたしたちより年下だし大家の息子だから理絵も警戒しなかったみたい。紗英さんは職場の先輩だから、むしろ理絵の方から紗英さんを頼っていたくらいだそうよ』
「……あなたたちに比べて、僕は好感度を上げるのも一苦労ってことですね」
それはそうだろう。
青色コンビニで再会したときの洋介は嬉しさに胸がいっぱいになった。
理絵がいる。自分と同じ世界、同じ人種として理絵がいる。
洋介が転生した意味を見いだしたのだ。
だが、それを理絵視点として見るとどうだろうか?
コンビニで出会った謎の男。
いきなり泣きだし、無理矢理次週の約束を取り付け、二回目に会ったときには連絡先を渡してくる。
そしてデートを取り付けて。
変人だ。
「……僕、早まりすぎてないでしょうか」
『何、あんたそこまで変態行為してんの?』
「へ、変態行為とは何ですか!」
『そうねぇ……確かあんた、理絵からハンカチを借りたんでしょ? 洗って返したって言うけれど、家に帰ってから理絵の匂いのするハンカチを嗅いだりしなかった?』
「してません!」
すればよかった、と今になって思ったのはここだけの秘密である。
「理絵さんの僕に対する好感度が低いということは承知しております。ちなみたちと違って警戒されてもおかしくないことも」
『そうね。前世だとあんたはいい家柄の騎士だったし、『惚れたから嫁に来い』で十分通じたんだけどね。こっちの世界でそれをやると通報されるわ』
「はい。僕も二十六年間日本で暮らしてきたのですから、あっちの世界との常識の違いはよく分かっています」
そういう面では、ジークベルトの記憶が設楽洋介に無理矢理ねじ込まれた――などではなくてよかったと思う。
洋介は「設楽洋介」という人間として生きてきた。ジークベルトとしての記憶は、過去の思い出である。
この世界で何をすればドン引きされ、何をすれば警察を呼ばれるのか、ちゃんと分かっている。
『ふーん。ってことはあんたはこれから、理絵の好感度を上げるためにせっせと貢がないといけないのね』
「そ、それは……確かに贈り物もしようと思いますが、貢ぐだけじゃないですからね!」
『分かってる分かってる。あたしたちだって、できることならジークベルトの初恋を叶えてやりたいもの』
「初恋って……いや、まあそうですけど」
『理絵ってば結構警戒心が強いからね。ゆっくりゆっくり進めるんだよ』
それまでの口調から一転、感情を消したように静かなちなみの声が洋介の胸に刺さる。
『理絵とはちょくちょくメールとかするんだけどね、不安に思ってるそうよ。この前のデートの後も、楽しかったけれどどうして設楽さんが私に優しくするのか分からない、ってぼやいてたから』
「…………はい」
『聖女リエ様も理絵も同じ人間だけど、あたしたちは違う。違うのだから、価値観や感情を押しつけるんじゃないわよ』
「はい、肝に銘じます。……ちなみもこれからどうか、ご教授ください」
『あら、殊勝な態度でよろしいことね』
かつてユーフェミアだったときと同じように、ちなみはきゃらきゃらと笑った。
その後、ちなみとは理絵の好きなものや趣味、子どもの頃の思い出話などをしてから通話を切った。
洋介はスマートフォンをサイドテーブルに置いてベッドに横になり、天井を見上げた。
「……価値観や感情を押しつけてはならない、か」
思い出すのは、先日のデートの時の理絵の顔。
必死でデートプランを考えたおかげか、始終理絵は笑顔だった。
だがその笑顔は少しだけ、困ったような微笑みに思われた。
前世で旅をしているときも、そうだった。
ユーフェミアに雑に扱われたりベンにつんけんされたりしたとき、リエは困ったように笑っていた。
いつか、彼女が洋介の前でも――かつてジークベルトに向けてくれた笑顔を見せてくれたら。
二十六年間片想いをしていた女性のことを想い、洋介は静かに瞼を閉じた。