なんかイケメンがいるんだが
毎週金曜日、青いライトが眩しいコンビニ。
私が毎週同じ時間にこの店を訪れるのには、理由があった。
「お疲れ様でした!」
金曜日の午後五時半定時きっかり。
バッグを肩に提げてしゅたっと右手を挙げた私に、先輩が反応して振り返った。
「理絵ちゃんお疲れ。今日も例のナントカ大福買いに行くの?」
「もちろんです! 早く上がれる金曜じゃないと残っていないんで」
「そんなにおいしいのかね?」
「そんなにおいしいのですよ。一度、仁科先輩にも食べてもらいたいんですけどね」
コーヒーのカップ片手に私を見つめる仁科先輩は、ククッと笑って肩をすくめた。
「いいよ、ただでさえ個数限定なんでしょう? もし複数ありそうなら買ってきてもらえたら嬉しいな」
「分かりました。二個残っていたら買うんで、その時は月曜に渡しますね」
「ええ、よろしく。私はこれからパソコンちゃんとデートするんで、また月曜にね」
「はい、失礼します」
仁科先輩以外の同僚や上司にも挨拶して、私は会社を後にする。駐車場に着いてから車のキーを探してバッグを漁るんだとそれだけで時間のロスだし、薄暗い駐車場ではうまく見つからないこともある。キーもキーに付けているマスコットも真っ黒だから、光がないと探すのが大変なんだよね。
駐車場に降りたらすぐに車に乗り込み、エンジンを掛ける。車に乗ると外界から遮断されるからか、ここに来てようやっと仕事モードをオフにできた。
金曜日の楽しみ、青色ライトが印象的なコンビニの限定商品である「もちっと大福」。
一週間仕事を頑張った自分へのご褒美である。
え? たかが二個入りワンパック二百十六円なんて安っぽいご褒美だって? 放っておいてほしい。
秋の日はつるべ落としと言ったように、夕方になるとあっという間に日が暮れてしまう。
会社から自宅まで、車で約二十五分。時間帯によっては途中の右折レーンがすごく込むので、ひどいときには四十分近く掛かることも。
目当てのコンビニは、自宅から車で五分のところにある。会社帰りだと左折で駐車場に入って帰る際には左折で出られるのでとても便利だ。
ここのコンビニでは、毎日個数限定で「もちっと大福」なる商品が売り出される。
いつも夜になる前には売り切れてしまい、早めに退社できる金曜日以外だと手に入れることができない。だからいっそのこと月曜から木曜までは思う存分残業して、金曜だけは定時に上がれるようにしていた。
私が大福のために必死になっているというのを会社で知っているのは、件の仁科先輩だけだ。
仁科先輩には入社当時から目を掛けてもらっていた。一人暮らしである私を気遣ってくれているのか、ご飯に誘ってくれたり差し入れをくれたりしていた。この前、大雨の日の外回り中、水たまりにはまってしまいスーツを濡らした日には、予備の服まで貸してくれた。本当に頭が上がりません、仁科先輩。いつか絶対、「もちっと大福」を買ってきますね!
いつもの道を通り、コンビニへ。いい感じに駐車場も空いていたので愛車をバック駐車で停め、財布とスマートフォンだけ持って車を降りる。
よし、今日も「もちっと大福」とチューハイで乾杯するぞ!
……と、意気込んでコンビニに入店した私。
このコンビニは、入店してすぐ目の前に冷蔵菓子用の棚がある。いつも真っ直ぐ歩いて「もちっと大福」とチューハイを手にレジへ向かう、のだけど。
「はい、お会計二百十六円になりまーす」
私の目の前で、本日最後の「もちっと大福」が、購 入 さ れ ま し た。
レジの前に立っているのは、スーツ姿の男性。たぶん、「袋はいりません」って言ったんだろう。レジカウンターの上に載っている「もちっと大福」のパッケージに、シールが貼られていた。
……あー、まじか。わずかな差で買われてしまったか。
たぶん私は、心底残念そうな目でカウンター上の「もちっと大福」を見つめていたんだろう。そしていつも同じ時間のシフトに入っているらしいレジの子が私を見て、「あっ!」と声を上げた。おお、あれか。きっと彼女は私のことを「『もちっと大福』の人」とか呼んでいるはずだ。いつも彼女がレジしてくれるからね。
レジの子が私を見て反応したからだろうか、カード払いをしようとしていたらしき男性が、クレジットカードを指に挟んだ格好でこっちを見た。
あ、けっこうイケメンだ。
彼の背後にある棚と比較しても、かなり身長が高い。濃紺のスーツをびしっと着こなしていて、染めているのか地毛なのか分からないかなり明るい色の髪が首筋でさらりと揺れている。
彼の双眸は最初、私の方を不思議そうな眼差しで見ていた。まあ、当然といえば当然の反応だろう。でも、瞬時に彼は豹変した。
「っ……え? あ……」
彼の唇から、とぎれとぎれの吐息のような声が上がる。徐々にその目が見開かれ、かつん――と、指からカードが滑り落ちてレジカウンターに転がった。
「お客様?」とレジの子が心配そうに呼んでいる。でも、彼はお構いなしだ。
彼は、私を見ていた。私だけを見ていた。
……なんで?
ひょっとして私の背後に誰か知っている人でもいるんだろうか。
そう思って振り返る。誰もいない。
何のこっちゃと思って、前を向く――そして、思わず「うえっ!?」と悲鳴を上げてしまった。
さっきの男性が、泣いていた。嗚咽を上げたりすることはなく、ただただそのきれいな目から大粒の涙をこぼし、スーツに染みを作っていた。
さすがイケメン、静かに泣く姿も非常に絵になる――じゃなくって!
「お客様、どうなさいましたか!?」
「えっ……大丈夫ですか!?」
いきなり目の前で成人男性が泣きだすもんだからレジの子も狼狽えているし、私も思わず駆け寄った。
間近で見る彼は、やっぱり背が高い。百八十センチくらいあるんじゃないかな、見上げるのも一苦労だ。
彼は相変わらず私を見て泣いていた。やばい、どうしてかは分からないけれど、これは私が彼を泣かせたパターンか!?
「あ、あの、大丈夫ですか!? あの、ハンカチどうぞ!」
ポケットにハンカチがあったので、急いで取り出す。弾みで車のキーが飛び出したけど、今はとにかくこのイケメンをなんとかすべきだろう。
宙に浮いたままの彼の手に無理矢理ハンカチを握らせると、ようやく彼は我に返ったようだ。ぱちぱちと瞬きして、彼は驚いたように手の中のハンカチを見ている。あ、すみません。今日一日使ったやつです。
「……すみません、あんまりきれいなハンカチじゃないけれど」
「……い、いえ。申し訳ありません、お見苦しいところを――お見せしました」
男性は掠れた声で言い、私のハンカチで頬を拭った。おお、見た目にぴったりなイケメンボイスだ。
彼はハンカチで頬を抑えて涙を拭い、はっとして慌ててクレジットカードをレジの子に差し出した。
「一括払いで。……すみません、ハンカチをお借りしてしまって」
「いや、それくらい全然」
お礼なら、今あなたが購入した「もちっと大福」を――というのは、心の中だけに秘めておく。それじゃあんまりにも現金だからね。
「ハンカチも、用が済んだら捨ててください。どうせ安物なんで」
三枚二百円の特価セール品だから、惜しいとも思わない。むしろそんな安物しかお貸しできなくてすみませんだ。
私は落としたままだった車のキーを拾い、男性に背中を向けた。
今日は「もちっと大福」はないし、チューハイだけ買って帰ろうか――
そう考えながら棚の間を歩いていた私を追うように、さっきの男性が声をかけてきた。
「いえ! 捨てるなんてとんでもないです! 待ってください!」
「いや、本当にお気になさらず」
「そういうわけには――その、情けない姿をお見せしいてしまい、すみません。お詫びと言っては何ですが――」
チューハイコーナーにいる私のところまで小走りでやってきた彼が、そう言って差し出してきたのは――
「『もちっと大福』……」
「はい。お好きなのかと思いまして」
げっ、ひょっとしてさっき私が物欲しそうな目をしていたことに気づいたのか!?
頬に熱が上ってきて、慌てて視線を「もちっと大福」から引き剥がす。
「そ、そういうわけにはいきません。それはあなたが先に買ったものですし」
「ですから、これがお詫びなのです。それとも、そこまでお好きではないですか?」
「いや、大好きです」
そりゃあ毎週金曜日だけの最高甘味だからね! このために金曜は定時きっかりに退社するようにしているくらいだからね!
でももらうのもなぁ……と思って男性の顔を見ると、なぜか彼は驚いたような顔をして、しかも頬をほんのりと赤く染めていた。あれ? ここ、照れる場面?
「……そ、そうですか。それならなおさらです。どうぞ」
「いや、だから……」
「僕はまた来週、買いに来ます。……ひょっとしてあなたもこれを買いに頻繁にこのコンビニに来たりしますか?」
「ええまあ、毎週金曜――」
……しまった、ついつい答えてしまった。
きっと今、彼の頭の中では「毎週金曜にわざわざ大福を買いに来る女」としてインプットされてしまった。この女、どんだけ大福好きなのー? とか思われてるんじゃないか……。
さっと頬に血が上るのが分かったけれど、対する男性は嬉しそうににっこり笑い、私の手に無理矢理大福を握らせてきた。
「それでは、僕も来週のこの時間に来ますね。その時にハンカチもお返しします」
「……え?」
「また来週お会いできることを楽しみにしています」
フリーズした私を差し置いて、男性は爽やかに微笑んだ。ついさっきまで泣いていた人とは思えないくらいの豹変である。
そのまま彼は軽く手を振り、コンビニを出て行ってしまった。
「……見ましたか、店長? いつもの『大福さん』が、イケメンと話を……」
「おお、見た見た。今日飲む酒はうまいだろうなぁ」
レジの奥の方で、店員たちがお喋りしている声だけがむなしく店内に響いていた。
……なんだこれ?