02 新しい命
俺、相崎 海太は、本棚の下敷きになってあっさりと死んだ。
自分の小説のアニメ化が最終目標だったが、今では小説を書くことすら出来ない。
ましてや、小説に溺れた一生だったために、他にやりたいこともまだまだ沢山あった。
自分にとって、何が重要で、必要で。
何が蛇足で不必要なのか。考えたことすらなかった。
失ってから分かる大切なものなど、結局は理解出来なかった。
……悔しい。今まで小説にしか目を向けなかった事が悔やまれる。
……歯痒い。不幸な運命に、ほんの少しでも抗うことが出来たなら。
……腹が立つ。二度目の人生を歩めたなら。
……夢を見る。もっと世界に……目を向けて、生きていきたい。
何故だろうか。
今まで考えようともしなかった事が、次々と溢れてくる。
身体があれば、きっと涙を流していたに違いない。
────ならば、改心しなさい。
────ならば、足掻きなさい。
────ならば、切望しなさい。
────ならば、努力しなさい。
とめどない俺の魂の告白。
それとは別に、何かが語りかけてくる。
俺の意識に直接響く言葉は、子供に言い聞かせる親のように。
一つ一つに、道を示してくれる。
あてもない、確固たる意思のない願い。
しかし、それは俺に諦めることを許していないようだ。
────願いは聞き届けました。
────汝に、迷える魂に問う。
────新たな命があるならば。
────諦め、後悔しないよう。
────生きることを誓いますか?
……二度目の人生? 馬鹿馬鹿しい。そんなものがあるわけが無い。
頭ごなしに否定すれど、結局は心のどこかで望んでいたのか。
俺の中で、希望を見出そうとする感情が芽を出している。
……迷える魂? ……確かに、自分の心なのに、自分にはわからない。
今までの自分は、間違っていたのだろうか。いや、何をすれば良かったのだろうか。
小説のことなら泉のように湧き出した思考の渦も、自分のことになると一滴も滲まない。
……新しい命? そんなの、欲しいに決まっている。
手に入れられなかったもの、見て見ぬ振りをしたもの、心から敬遠したもの。
どれが必要で不必要か、判断することもままならない。
……諦め? 後悔? するに決まってるだろう、人間なのだから。
諦め、後悔。
傷つきたくないから、いつも無難な道しか選んでこなかった。
我が身可愛さ故に殻にこもった結果がこれとは、皮肉な話だ。
……ああ、誓うさ。なんせ、まだ見つけてないのだから。
俺にとって、何が重要で必要で、大切なものなのか。
それは今でもわからない。
……自分のための、新しい一歩を踏み出そう。
俺が手に入れられなかったもの。
次こそは必ず見つけ出してみせる。
◇◇◇
長い、とても長い夢を見ていた。
その間、ずっと自分と向き合っていたかのような。
しばらく考えたが、結局は思い出せず思考を放棄する。
とても、居心地がいい。
それは、全てを包み込んでくれるかのような温かさ。
まるで、母親に抱かれた赤ん坊の様な────
「はい、息を吸ってー、吸ってー、吐いてー。そうです、いい調子ですよ!」
……ん? 息を吸って吸って吐く?
何を言ってるのだろうか。
「は、はい! ひっ、ひっ、ふぅー。ひっ、ひっ、ふぅー!」
何?このリズムは、ラマーズ法じゃないか!
近くに妊婦でもいるのか?
「そうです! もう少しですよ!頑張って下さい!」
「はいっ! ひっひっふぅー! ひっひっふぅー!」
ずる……ずる……。
……ん? あれ、動いてる……?
ま、まさか……!
「ひっひっふぅー!ひっひっふぅー!」
「もう少し、もう少し……!」
待て待て待て、嘘だろ!?
今、頑張って産もうとしてるのって……!?
「来ました! えいっ!」
「んはぁっ! ……はぁっ、はぁっ、はぁぁぁぁぁああ……」
ずるっ、という感覚とともに、濡れた状態で風を受けた時のような寒気がした。
俺は今、抱き抱えられている。
「おめでとうございます! 男の子ですよ!」
どうやら俺は、転生したらしい。
◇◇◇
生まれてから、およそ二ヶ月が経過した。
転移・転生のお約束通り、言葉がわからないということは無かった。
新しい両親は、飽きれるくらいの頻度で俺の様子を確認しに来た。
それこそ、5分や10分に一度のペースだ。
まあ、仕方ないよな。
生まれた直後の赤ん坊が泣かずに静かにしていたら、誰しも異常だと感じるだろう。その証拠に、死ぬほど心配していた。心配しすぎると体に良くないよ?
世の中には、生まれてからすぐに泣かない赤ん坊もたまにいると言やれている。泣かないと呼吸が出来ないということから、多少手荒なことをしてでも泣かせて、息をさせようということなのである。
それは当然の反応である。
俺は今、泣きそうになって叩かれている。
しかし、残念だったな。俺は叩かれた程度で泣きはしない。
正直なところ、既に呼吸をしているのは明白なのだから、早くやめて欲しかった。痛いし。
俺は、普通の人間の間に生まれた。
せっかく転生したのだから、もっとこう、意外な種族でも良かったのではなかろうか。エルフとかエルフとかエルフとか。
そうだ、暇ついでに両親のことについて説明しよう。
誰にって? そんなメタいこと言わせないでくれ。え、聞いてない?あ、そう。
両親は、まさに異世界のお決まりを体現していた。
『異世界の登場人物、皆が美形』である。
現世ではそうそうお目にかかることはないだろうな。
父親の特徴は、くすんだ茶色の髪に、好戦的な感じのするツリ目。透き通る様な翡翠色の瞳と相まって、目ヂカラだけで人が殺せそうである。
それと、一目見てかなり鍛えているであろうしなやかな筋肉には、一切の無駄がない。
そして、最も印象的な所がある。
それは、右頬に一筋の切り傷が残っているところだ。
目元から耳の下に向かって、痛々しい傷が残っていた。
しかし、その傷が醜いかと言うと、そうではない。
歴戦の兵士か冒険者といったところだろうか?
母親の特徴は、通りすがりの人十人中、十人が振り向くであろう艶やかな銀髪。
陽の光が当たると、キラキラと光る銀糸の様な髪は、やはり凡人の俺は見とれてしまっていた。
次に目を惹くのが、慈愛に満ちた薄桃色の瞳である。更に垂れ目であることも、抱擁感を感じる一因であることは一目で分かった。
こんなイケメンと美人の間に生まれた俺は、きっと引く手数多の美形男子に違いない。うん。
……それにしても、退屈だ。
これほどまでに退屈だと感じたことは無い。
暇つぶしに、と思って、虚空を見つめながら2ヶ月間のことと両親の外見をざっと説明したはいいものの、虚しさを覚えるだけだった。
最終手段として取っておいた天井の染み数えも、三日で全て数え終わった。
更には、両親がありえない頻度で顔を見に来るため、もはや目新しさはない。
いっその事本でも読みたいのだが、残念なことに、まだハイハイは出来ない。
まことに残念である。
◇◇◇
それから更に1ヶ月後。
体を起こすだけで精一杯だったのだが、大きな変化が訪れた。
遂にハイハイができるようになったのだ。
これは人類の大躍進である。
ともかく、自由に移動できるようになった俺は、かねてからの計画通り、家の中を探索することにした。
だが、ここで一つ、大きな壁が立ちはだかった。
意気揚々とハイハイを始めた俺だが、考えたら誰でも分かることをうっかり失念していた。
聡明なる読者の諸君。次の瞬間に何が起こったのかは容易に想像できるはずだ。
ドアノブ、届かねぇ。
ガチャリ。
「おーい、ファルー!ミルクのじか……」
あっ。
「……ファ、ファルがハイハイしてるぅぅぅぅぅ!?」
あ、そうそう。この世界での俺の名前、ファルシクスって言うんだ。