食糧と灼熱
カニを食べ終えた夕凪は、ペットボトルを片手にパネルを睨んでいた。
何を迷っているのか、真剣な横顔にしばし見とれてしまう。
やがて意を決して指を伸ばし、クリック操作を続けた夕凪が『えぇえええええ!』と声を震わせた。
「どうした!?」
慌てて駆け寄ると夕凪のスカートの上には、小枝で作った『小さなほうき(?)』が乗っかっていた。
「なんだそれ?」
「…………歯ブラシ」
「えぇえぇぇえええええ!?」
食後に歯を磨こうとB5ptで交換してみると、出てきたのは小枝の端を割いて広げたようなアイテムだったのだという。
実際に昔はこれを使っていたのだろうか。確かに繊維でゴシゴシやれば歯ブラシとて機能しそうだが、期待とのギャップが大きすぎて驚嘆が声になってしまう。
……脱出まで、このレベルの生活で我慢させられるのか。ガサツな俺はともかく、夕凪には少し過酷かも知れない。
「5ptも使ったのに。こんな物なら、その辺の枝で作れるのに~」
「アイディア料だと思うしかないよ。小枝で歯ブラシが作れるなんて、普通の発想じゃ思いつかないから」
「ペットボトルがもう一本欲しいのを、我慢したのに……」
「まだ言うか。ポイントが溜まるまで休憩、それで問題ないだろ」
「うん。……歯磨きして、気分を立て直してみる」
* *
この世界の仕様について、いつくか分かったことがある。
モンスターの討伐や植物の採取とは別に、活発に動けばWポイントが増加し、休憩すればBポイントが手に入るのだ。調理や食事でも少しだけ上がる。
ゲームデザインの壊滅的なこのクソゲーにおいて、『休むこと』でポイントが獲得できる仕組みは、(正直、認めたくないが)面白いと思う。
○ポイント
秋葉原 B27 W94 H3
夕 凪 B10 W11 H1
狭いヤシの木陰で向かい合っていると、夕凪が手のひらを結んだり開いたりし始めた。
「どうした?手が痛いのか?」
「ううん。なんだか違和感があって」
「違和感?」
「100%思った通りに動かないというか……微かなズレがあると言えばいいのか」
「…………ラグがあるのかもな。脳波を読み取ってから、処理を実行するまでの――」
俺は入院生活のあいだ運動らしい運動もしていなかったので、体が鈍りまくっている。だから、元からこの程度の能力だと言われれば異論がない。むしろグロテスクなモンスターとの戦いに奮起して、普段の全力以上のパフォーマンスができている気がする。
「――夕凪みたいに、指先ひとつの挙動にも敏感なアスリートにしか察知できないような、微々たる狂いはあってもおかしくないよな。どれだけ精巧でも、電子計算機の中の世界に過ぎないんだから」
夕凪をまねて拳を繰り返し握ってみると。一秒に何フレーム処理しているのか、気が遠くなりそうなほど指の動きも滑らかだと俺には感じられるのだが。
*
夕凪のBが20ptに到達するまでの間、俺は食料調達をすることにした。
まずは狩猟の準備としてB5ptの【塩】を交換したが、小袋で50g程度の量しか獲得できなかった。
これなら海水を煮詰めたほうが――空き缶で作れる量はさほど多くは無いだろうが――良かっただろうか。
「足りるかな……」
「何に使うの?」
「それは見てのお楽しみ」
俺は浜辺に開いている穴へ向かって〖塩〗を振りかけ、じっと待った。
ピクン
湿った砂の小塚が微かに震えた。
……
じばらく見つめていると、穴のまわりに透明な線状の触手が現れたが、それ以上の反応は無かった。
ニュッ
残りの塩を全投入すると、穴からグロテスクな突起が顔を出した。もちろん逃さず、猛禽類の速さで摘まみ上げる。
「せいっ!」
砂へ潜ろうとする必死の抵抗に負けず引き上げると、予想を違えて貝の軟体ではなく、ミミズのような紐状の環形モンスターが両手で暴れた。足のように並んだイボから透明な触手を伸ばしてくるので、ミミズの十倍は気色悪い。
「長い、長い、長い!」
長さが2mを超える大ミミズは頭部を割って歯を剥き出し、噛みつこうと必死だが頭は俺が押さえている。ただし左手は透明な触糸に絡まれているので、こちらも打つ手がない。
互角の勝負だったな……1対1なら。
「夕凪~」
夕凪はヤシの木陰で俺の活躍を見て、歓声をあげながら手を振っている。
「夕凪~。休んでるところ悪いけど、剣でトドメを頼む!」
「#%'&$%')%$"!」
*
○怪物図鑑
【ヤマトノオオゴカイ】砂浜に生息するサンドワーム。割れた頭部の千枚歯に噛みつかれたなら、殺しても皮膚に食い込んだまま離れない。波打ち際を素足で歩くなど、もっての外と知るべし。弱点を語るほど強くはないが、塩分濃度に敏感である。食用:可。
切り落とした首から漏出する狐色の体液ごと、ゴカイは光の粒となって消えた。代わりにドロップしていたのが【沙蚕の肉】だった。
「見た目的に、食用じゃなく釣り餌にしたほうがいいかもな?」
「聞くまでも無いでしょ!!」
はい……すいません。
食料調達手段を釣りに変更し、W5ptの【竿】を獲得しようすると、画面に(先/根)という選択ウィンドウが追記された。
「先と根? まさかの二本組ときたか」
チャキン
試しに根を選択すると、木製のロッド(棒)が砂浜に具現化した。
…………。
確かに言うけどな。
釣り竿も『ロッド』って。
先端と組み合わせれば釣り竿にはなりそうだが。リールをつける金具がついていない時点で、性能は察しがつく。
「秋葉原君、だめだコレ……」
「どうした?」
「【釣り糸】、10ptで1mだって……」
…………運営。プレイヤーに釣りをさせる気ないだろ。
*
各自ペットボトルを一本ずつ追加できたので、滝で真水を汲んだ。
「さて夕凪、そろそろ西に行ってみようか」
「うん…………」
疲れが出始めているのか、夕凪は遠くの海を見つめながら小さなため息をついた。
「大丈夫、日没前に何とか内陸に上がれば、誰かと合流できるから」
「……そうだね。三人寄れば何とやらだものね」
休憩しながらあれこれしている間に、岬が水没しそうなほど潮が満ちていた。
満潮時には滝へ引き返す連絡通路が断たれるかも知れないが、今は西進・探索を優先する。
内陸への登り口を探したいという理由もあるが、何より一晩を過ごせるような安全地帯が砂浜にはないのだ。
仮に嵐でも来ようものなら、吹き晒されて轟沈してしまう。
石・ワカメーナ・流木などを補充し、途中でストッキングの切れ端を拾いながら、俺たちは未踏地点に到達した。
〖鋼の剣〗を装備して警戒を強めたが、ポップの条件が不明なグランクラブの姿は見つけられなかった。
それにしても暑い。
時刻は午後3時を過ぎ、日差しの熱射と砂浜の反射に挟まれ、だんだんコンガリしてきた。
「秋葉原君、ストップ!休まないと熱中症寸前だよ!」
「んん、あぁ。ちょっと休憩するか~」
ヤシの木陰で瓶の水を半分かぶり、半分を飲み干した。
「ふぅ、生き返る。」
俺はW20ptの【帽子】を二つ交換し、一つを夕凪に放った。通気性の良いメッシュ入り・モスグリーン色のキャップが、夕凪の横顔を凛々しくみせる。
「……ありがとう」
「どういたしまして。お礼は、そうだな――」
「1年の時くれなかったホワイトデーのプレゼントだよね?ありがとぅぅ!」
「――なんだよそれ!?」
夕凪はケラケラ笑っているが、誰と間違えているのか。バレンタインにチョコを貰った覚えなどない。それとも中1の頃の話か?
「あのさ、夕凪……」
「さて、元気が回復したから、もう少し進もうよ」
勢いよく引っ張り起こされ、俺たちはヤシの木陰をあとにした。
記憶の欠落が気にかかったが、夕凪の満面の笑顔が見られたから対価は充分。
歩きながら俺たちはW5ptの【バンダナ】をそれぞれ獲得した。50㎝四方の真っ白な生地を水で湿らせ首に巻くと、潮風が少しだけ爽やかに感じられる。
次いでシャツの襟を立ててやると、首は陽射しからガードすることはできたのだが、砂浜の照り返しも相まって顔がジリジリと灼けてくる。
「顔を隠す用のバンダナも、あった方がいいのかなぁ?」
「タダで顔を覆って息苦しくならない方法がないわけでもないな。見栄えを気にしないなら」
「そりゃ、気にしてられないよ。こんな状況だもの」
俺は崖沿いに生えた芝を掘り、土を掴んで顔に塗りたくった。効果はUVクリームほどではないだろうが、これでいくらか直射日光に肌をさらさなくて済む。
「中村がやってたのを真似したんだが。どうだ?」
夕凪は少しだけ間を置いてから、俺に続いて白い素顔や手首を土で汚した。
「どう?似合ってる?」
「あぁ。相変わらずの美人だよ。心強い」
本音交じりのフォローを入れると、夕凪は陽炎の立ち上る西の浜へ向かって、顔を上げた。
さらに北西へ進み、ラグナヤシの実を一つゲットしたが、その少し先で西側の砂浜も途絶えていた。
数mを登るという、ただそれだけの動作が不可能な俺たちは、つかのま絶望しかけたが。それでも運(営)は俺たちを見捨てていなかったらしい。
岩壁を回り込んだ先に『洞窟』が開いていたのだ。